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2020年4月3日金曜日

[東方閃電]全能神教会 「ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乗る 日本語



「ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乗る  日本語 
ノアの時代の人類を振り返りましょう。悔い改めることを考えずに、人はあらゆる種類の邪悪な活動を行いました。誰も神の言葉を聞きませんでした。人々の頑固さと悪は神の怒りを呼び起こし、ついに大洪水の災いに人々は飲み込まれました。ノアと彼の八人の家族だけが神の言葉に耳を傾け、生き延びられました。今日、世の終わりはすでに到来しました。人類の堕落はさらに深刻になってきています。誰もが悪をあがめます。宗教界全体は世界の潮流に従います。人々は真理を少しも愛しません。ノアの時代はすでに到来しました。人類を救うために、人類の中で世の終わりの裁きの働きを行おうと、神はもう一度再来しました。これは神が人を救う最後の時です。人類は何を選べばよいのでしょうか。
これは実話です。四川省の清平镇の住民たちは全能神の国の福音を受け入れることを繰り返し拒否したため、二度の災いを経験しました。汶川大地震の間、全能神を信じる多くの兄弟姉妹たちは神によって奇跡的に保護され、生き残りました。これらの事実は証しを立てられました。神を受け入れ従う人々と神を否定し抵抗する人々です。これらの二種類の人々には、ふたつの非常に異なる結末があります。

2020年3月16日月曜日

[東方閃電]全能神教会 ゴスペル音楽 ワーシップソング 「神の国での新しい生活のために賛美しよう」




ゴスペル音楽 ワーシップソング 「神の国での新しい生活のために賛美しよう」 私たちは神様の御声を聞き 神の家に帰ってきた 私たちは集まって御言葉を食べ飲みし 祝宴に参加する 私たちは、悲しみや混乱に別れを告げ新しい人生を送る 日々御言葉が共にあり それをいっぱいに浴びる 真理についての交わりで心を開き 私たちの心はとても明るくなる 私たちは御言葉を黙想して 聖霊が私たちを啓く 私たちの障壁や偏見は取り除かれ私たちは神様の愛の中に住む 私たちは真理を理解し自由にされ心は蜜のように甘い 私たちは愛し合い、互いに距離はない 私たちは神様の心を理解しもはや消極的ではない 御言葉の中に生き 私たちは神の麗しさを見る 私たちは人生で光の道を歩んだがこれはすべて神様の導き 私たちは神様への賛美を大声で歌い 踊りまた踊る 私たちは神の国での新しい生活を賛美し 心は真に幸せ 私たちを救ったのは神様で 私たちは神様の民になった 神様の御座の前に引き上げられることは 比類なき楽しさ 御言葉はとても貴く、そのすべてが真理 御言葉の裁きを受け入れて 私たちの堕落が完全に暴かれた 傲慢な性質により 私たちは実に理性に欠けている 御言葉が私たちを刈り込み取り扱い自己を知るようになった 私たち顧み、自己を理解し、真に悔い改める 裁きと刑罰を通して 私たちの堕落は清められる 私たちは堕落した性質を捨て去り 新しい人間になる 私たちは合格できるように本分を尽くし神様の愛に報いる 私たちはそれぞれなすべきことをして神様に忠誠を尽くす 証しに固く立ち、神様の御心を達成する 私たちはそれぞれ自分の光と熱を放ち 神様のために証しを広める 神様への純粋で誠実な愛は幸福で甘い 私たちは神様への賛美を大声で歌い 踊りまた踊る 私たちは神の国での新しい生活を賛美し 心は真に幸せ 私たちを救ったのは神様で 私たちは神様の民になった 神様の御座の前に引き上げられることは 比類なき楽しさ 私たちは、心と手をつなぎ神様を証しする 私たちは、御国の福音を広め 苦難や疲労を決して恐れない 患難や試練を通して 私たちは祈り、神様に頼る その道は辛く険しいが 神様は道を開いてくださる 御言葉の真理を知ると 私たちの心は力を得る 御言葉は私たちを勇気づけ 私たちは前へと突き進む 私たちは肩を並べて手と手をとりあって 神様のために証し体と心を神様にささげる 苦しみがどんなに大きくても 私たちは心から喜ぶ 御言葉の導きで、私たちはサタンに勝利する 真に神様を愛し、それを決して悔やまない 私たちは赤い大きな竜を完全に見捨てた 私たちは勝利の兵士だ 私たちは、神様を愛する道において証しし 決して引き下がらない 私たちは神様への賛美を大声で歌い 踊りまた踊る 私たちは神の国での新しい生活を賛美し 心は真に幸せ 私たちを救ったのは神様で 私たちは神様の民になった 神様の御座の前に引き上げられることは 比類なき楽しさ 私たちは神様への賛美を大声で歌い 踊りまた踊る 私たちは神の国での新しい生活を賛美し 心は真に幸せ 私たちを救ったのは神様で 私たちは神様の民になった 神様の御座の前に引き上げられることは 比類なき楽しさ 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

2019年4月14日日曜日

福音書|イエスキリストが復活後に人の前に出現された意味は何か

    聖書にはこう記されています。「こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた」(ルカ24:36–43)。


     私はこの聖句を読むと、いつもペテロやヨハネたちをうらやましく思います。イエスはユダヤでお働きになっているあいだ、常に昼夜を問わず弟子たちと共におられ、復活後は以前同様に彼らに目をかけられ、彼らの前に出現なさり、聖書を解説し、教えを与えられました。ペテロたちは幸運にも主によって弟子に選ばれ、自らの耳で主イエスの教えを聞くことができました。実に祝福されていたのです。その後、私は神の御言葉を読み、イエスキリストが復活後に人の前に出現されたことの背後には実は主イエスの御心があったということ、この行いには神の全能性と知恵が更に込められていることが分かりました。復活後の主イエスの出現は本当に意義深かったことが真に分かるようになったのです。


    神の御言葉にはこうあります。「主イエスの復活後、主が最初に行った業は、全ての人々がイエスを見て、イエスが存在することと復活したことを確認させることであった。さらに、そうした業により、主と人々との関係は、主が受肉して業を行い、人々が見て触れることのできるキリストであった時の関係に戻った。このように、ひとつの結果として、十字架にはり付けられた主イエスが死から復活したこと、および人間を贖う主イエスの業について、人々は確信を持った。また別の結果として、イエスキリストが復活後に人々の前に現れ、人々が主を見て触れることができるようにしたことにより、人々の心には恵みの時代が定着した。この時点以後、主イエスが「失跡」したので、人々は従前の律法の時代に戻ることが出来なくなった。しかし人々は主イエスの教えと業に従って生活を続けた。このようにして、恵みの時代の新たな業が正式に始まり、これ以後、律法に従っていた人々が正式に律法時代から新たな時代へと移っていった。以上が、イエスキリストが復活後に人々の前に現れたことの意義である。」(「神の働き、神の性質、そして神自身3」より)

    私は神の御言葉を読んで、イエスキリストが復活後四十日間人の前に出現されたことには意味が二つあることがようやく分かりました。一つは、神が律法の時代を終わらせ、恵みの時代を始め、人類を新しい時代へと導かれると人に告げるためであったことです。もう一つの意味は、神がそうなさったのは、人々が主イエスは受肉された神ご自身だと確めることで神への信仰を強められるようにするためです。

    1.主イエスが復活し人の前に出現されたのは、人を新たな時代に導き、恵みの時代にしっかりと定着させるため

 主イエスは恵みの時代を開き、律法の時代を終えられました。主は「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ4:17)という道を示し、人々が神からの豊かな恵みを享受できるように、病人を癒し、悪霊を追い払い、足なえを歩かせ、盲人の目を治すなど多くの奇跡を行われました。しかし当時の人々は神の働きを知らず、イエスが神の受肉であることを真に理解していませんでした。主イエスが十字架につけられたとき、それは神が贖いの働きを終えられたことを意味していましたが、人々はそのことを全く知らなかったため、否定的で弱気になりました。そして主イエスの身分を疑い、神殿に戻って旧約聖書の律法を守り始める者もいました。

    このようにして、人々はなおも自らの罪のために律法によって死に定められる危険にさらされ、主イエスが人類を贖うために行なわれた働きは中途半端なままでした。主イエスは人の心の奥底を探り、人の必要と欠点を完全に理解されていました。それゆえ、主は復活後、先ず弟子たちの前に出現して語られ、彼らと実際に接触し、そのおかげで彼らには主が本当に死人の中から蘇り、人類を贖う働きを成し遂げて新たな時代を始められたことが分かったのです。その後、人類は律法を離れて新たな時代に入りました。それが恵みの時代です。

    主イエスの働きと言葉のお導きの下、人々は主の教え通りに実践し始め、十字架を負って主に付き従い、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)という主の教えを守りました。こうして彼らは天の国の福音を広め始め、万人が主イエスの御名を受け入れて主の救いを得ることができるように、主イエスの御名を証ししました。現在、主イエスの福音は全世界に広がっています。これは全てイエスが死人の中から蘇られた後に人の前にお姿を表された結果です。このことから、復活後の出現がどれほど意義深かったかが分かります。

     2.イエスキリストが復活後に人々の前に出現されたおかげで、人は主が神ご自身の受肉だと断定し、主への信仰を強めることができた

    神の御言葉にはこうあります。「受肉した主イエスが業を行っていた間、イエスに付き従う者の殆どが、イエスの身分やその言葉を完全に認識できなかった。イエスが十字架にかけられた時、イエスに付き従っていた者たちの態度は、何らかの期待であった。イエスが十字架に釘で打ち付けられたときから墓に入れられた時まで、人々の主に対する態度は、落胆であった。この時、受肉したイエスが言われた言葉に関し、人々の心は疑念から否定へと移り変わり始めていた。そして主が墓から出て、ひとりずつ人々の前に現れた時、イエスを自らの目で見たり、イエスが復活したという知らせを聞いたりした人々の殆どが、否定から懐疑へと次第に変わっていった。主イエスがトマスにわき腹を手で触れさせた時、また復活した主イエスがパンを裂いて人々の前で食べた時、そしてその後人々の前で焼き魚を食べた時、そこで初めて人々は主イエスが受肉したキリストであるという事実を真に受け容れた。それは、人々の前に現れた、肉と血のある霊的存在が、その人々をひとり残らず夢から醒めさせたようであった、と言うことが出来るであろう。人々の前に立っている人の子は、永遠の過去から存在していた神であった。神には形も、肉と骨もあり、また長いこと人間と生きて食事をしていた。この時、人々は、イエスの存在は全くの真実であり、実に素晴らしいと感じた。また人々は大きな喜びと幸福にあふれ、同時に感極まった。イエスが再び現れたことにより、人々はイエスの謙遜を真に理解し、人間に対する近親さ、ひたむきな望みと愛情を感じることができた。この束の間の再会により、主イエスに会った人々は、自分が既にこの世を去ったかのように感じた。人々の心は、迷い、困惑し、恐れ、不安になり、思慕をつのらせ、愚鈍になっていたが、そうした人々の心は安息を得た。人々は、疑うことや落胆することを止めた。なぜなら、その時希望が生まれ、信じることのできるものが生まれたからである。人々の前に立っている人の子は、永遠に人々の味方となり、人々の堅固なやぐらとなり、常に存在する逃げ場となる。」(「神の働き、神の性質、そして神自身3」より)

    神の御言葉は、復活後の主イエスの出現のもう一つの意味も明らかにしています。主イエスは人のもとで受肉し、三年半のあいだ働きを行われ、多くの人が主の救いを受け入れて主に付き従います。しかしほとんどの人は主イエスがキリストであり、神ご自身であることを真に理解していませんでした。そのため、主イエスが十字架につけられようとしていたとき、彼らは一連の出来事が起こるのを見て、「主イエスは本当に神なのか。もしキリストで神ご自身なら、どうしてローマの為政者に捕らえられ、兵士たちに鞭で打たれて嘲笑された挙句、十字架にかけられるのだ」と心に疑問を抱いたのです。

    特に、主イエスが十字架につけられているとき、彼らは主に全く失望し、主が神の受肉であることを否定し、主が表された御言葉を否定しました。逆に、イエスは普通の人のように死に、生き残るはずがないと信じたのです。主イエスは人々がその程度の信仰しか持たず、主を知らなかったことも、主が十字架につけられたためにさらに多くの人が弱気になって意気消沈することもご存知でした。そのため主イエスは死人の中から蘇られた後、弟子たちと接触して彼らに語りかけ、聖書を解説し、彼らと親しく交わり、食事を共にし、トマスにご自身の手と脇を触らせるといったことをなさいました。

    イエスキリストが復活後に語られた御言葉と行われた御業から、弟子たちはイエスが本当に復活されたと断定し、「この方こそ、以前我々と食事をし、同じ住処で生活を共にされたあの主だ。我々に説教し、養い、導いてくださったあの主であり、以前のように愛してくださるのだ」と悟り、「主は我々のことを気づかってくださり、我々のもとを離れられたのではなく、我々のすぐ側に一緒にいてくださっている」とも確信しました。主イエスは神ご自身の受肉であり、永遠なる御方、人の永遠の支え、人の強き塔であり避難所だったのです。

    主イエスは十字架につけられても、死後の鍵の番人であり、蘇る力を持っておられました。なぜなら神ご自身だったからです。以後、人々はもはや迷いも戸惑いもせず、もはや主イエスを疑わず、むしろ心の底からイエスを信じ頼ることができました。これは全て、主イエスが死人の中から蘇られた後に弟子たちの前に出現し、彼らと語られた結果です。

    主イエスの復活後の出現のこれら二つの意味から、私は主はそのような形で出現することで人々の心を目覚めさせ、そのおかげで私たちは神の配慮と愛を経験できるのだとやっと悟りました。このような配慮と愛は単なる伝説ではなく、事実なのです。また、このことから神が私たちを親類のようにみておられることも認識できます。神はいつも人と共におられ、私たちから離れられたことがありません。なぜなら、ご自身のものにするために私たちを創られたのであり、私たちが御言葉を聞いて神に従い、絶対的に崇拝し、神と心を一つにすることを望まれているからです。

    ですから、主イエスが肉となって働きを行い、御言葉を語られたときも、復活後に霊として人の前に出現されたときも、常に人類を思い、特にご自身に付き従う者たちを気づかわれました。なぜなら人には罪を克服する能力がなく、神の導きも真理の施し供給なしには、自らの堕落を脱して神の真の救いを得る術がないからです。私たちは誤解して、神が贖いの働きを終えた後に私たちを離れ、それ以降もう私たちに何の注意も向けられなかったと信じていますが、事実は、私たちの想像通りではないのです。

    主イエスは人類を贖う働きを成し遂げられましたが、人を離れられたわけではありません。主イエスは今も以前と同様に人と共におられ、私たちを気づかい、養い、導いてくださっています。主イエスはいざという時に私たちを助けて支えてくださり、どのように出現されても、いつも私たちと共におられます。それはまさに神の御言葉通りです。「主イエスは復活したが、イエスの心と業は、人間から去らなかった。イエスは人々の前に現れ、自身がどのような形で存在しようと、人々に付き添い、共に歩み、いつでもどこでも人間と共にある。そして、あらゆる時、あらゆる場所で、人間に施し、牧養し、自身を見て、触れ、決して再び絶望しないようにする。また主イエスは、この世における人生では、孤独ではない、ということを理解するよう、人間に対して求めた。人間には、神の慈しみがあり、神は人間と共にあり、人間は常に神をよりどころとすることができる。神は、神に付き従う者たち全てにとって、家族である。よりどころとすることのできる神の存在のため、人間は孤独になることも絶望することも一切なく、またイエスを罪のためのいけにえとして認める者は罪に縛られることがない。」(「神の働き、神の性質、そして神自身3」より)

    実は、主イエスを信じる私たち一人ひとりにとって明白なのは、神への信仰の道において、いつ金や名声や富などの誘惑に遭遇しても、主は私たちを守ってくださり、誘惑を避けて克服することができるようにしてくださるということです。私たちがいつ挫折や失敗に遭遇しても、主は御言葉で導き、信仰と力を与え強くしてくださいます。私たちが生活の中で困難に遭遇しても、主は常にまさかの時の助けであり、道を開いてくださいます。私たちが試練で苦しんでも、主の御言葉が十分に照らして導いてくださるおかげで、私たちは神の御心を理解し、霊における平安と喜びを感じることができるのです。神が側にいて毎日を私たちと共にいて導いてくださるおかげで、真理を理解し、御心を理解できるようになると本当に実感できます。

    私は主の愛に深く感動し、なぜイエスキリストが復活後四十日間、人の前にお姿を表わし、弟子たちの前で食事をし、聖書を語り、彼らと親しく交わり、弟子たちにいくつもの要求を告げるといったことをなさったかがよく分かるようになりました。主イエスが言われ、なされたことの一つひとつが大いなる配慮と思慮に満ち溢れており、主の業は全て非常に意義深いものだったのです。今私は、神の御言葉を読むことで、復活後の主イエスの出現をより深く理解しています。神に感謝します。

2019年3月19日火曜日

クリスチャン映画「私は善人!」正直な人のみ天の国へ入れます 完全な映画 日本語吹き替え



クリスチャン映画「私は善人!」正直な人のみ天の国へ入れます 完全な映画 日本語吹き替え 
お人よしの役割は私の身にも存在しています。解決すべきですね。この映画が私の心の根底の毒を解決できますように! キリスト教徒ヤン・フイシンは幼い頃から善人であることを好み、人の機嫌を損ねるとを嫌い、自分は人に親切で優しいから善人だと信じている。しかし、神の終わりの日の福音を受け入れ、神様の言葉の裁きと刑罰を経て初めて覚醒し、自分は本当は善人ではないと悟る。むしろサタン的な哲学に基づいて生きている非常に利己的で狡猾な「八方美人」なのだ、と。真理を求めて正直で高潔な善人になろうと決心するヤン・フイシンだがどのような経験を通してそのような変化を遂げるのだろうか?

2019年3月16日土曜日

マッシモ・イントロヴィーニャ 第2部:全能神教会に対する中国共産党による風評攻撃の分析



周知のように、中国共産党はウソと暴力によって権力を掌握し、権力維持のためにもウソと暴力に頼っている。中共の支配はウソ、暴力、殺戮以外の何物でもなく、宗教を人民の精神的なアヘンと見なして、無神論を広めている。クリスチャンは神の御心を行うべく福音を説き、神の証しをするが、中共はそうした義の行いに対し、家族を捨てて引き裂いていると非難し、様々な虚偽の罪状でクリスチャンを逮捕し、投獄する。中国本土では、様々な家庭教会、特に全能神教会のクリスチャンが、宗教的信念を理由に残忍な抑圧と迫害を受けており、身体障害を負った者や死者も出ている。多くのクリスチャンが亡命し、家族と離散して家を失っており、無数のクリスチャンの家族がこのようにして壊されている!今回は、イタリアの新宗教研究者であり新興宗教団体の研究センター(CESNUR)創立者・常務取締役であるマッシモ・イントロヴィーニャ教授を招き、中共がなぜ全能神教会を抑圧し、迫害するのか、中共の全能神教会に対する非難は事実なのか、クリスチャンの家族を崩壊させた張本人は誰であるかなどについて語って頂く。真実が明らかにされ、中共が民衆を欺いて正義と争うことで名声を得ようとしている実態、その神に背く残酷で邪悪な本質が暴露される。乞うご期待!

2019年3月15日金曜日

マッシモ・イントロヴィーニャ 教授第1部:中国政府によるクリスチャンの弾圧──ウソと暴力



周知のように、中国共産党はウソと暴力によって権力を掌握し、権力維持のためにもウソと暴力に頼っている。中共の支配はウソ、暴力、殺戮以外の何物でもなく、宗教を人民の精神的なアヘンと見なして、無神論を広めている。クリスチャンは神の御心を行うべく福音を説き、神の証しをするが、中共はそうした義の行いに対し、家族を捨てて引き裂いていると非難し、様々な虚偽の罪状でクリスチャンを逮捕し、投獄する。中国本土では、様々な家庭教会、特に全能神教会のクリスチャンが、宗教的信念を理由に残忍な抑圧と迫害を受けており、身体障害を負った者や死者も出ている。多くのクリスチャンが亡命し、家族と離散して家を失っており、無数のクリスチャンの家族がこのようにして壊されている!今回は、イタリアの新宗教研究者であり新興宗教団体の研究センター(CESNUR)創立者・常務取締役であるマッシモ・イントロヴィーニャ教授を招き、中共がなぜ全能神教会を抑圧し、迫害するのか、中共の全能神教会に対する非難は事実なのか、クリスチャンの家族を崩壊させた張本人は誰であるかなどについて語って頂く。真実が明らかにされ、中共が民衆を欺いて正義と争うことで名声を得ようとしている実態、その神に背く残酷で邪悪な本質が暴露される。乞うご期待!

2019年2月21日木曜日

クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(5)結局クリスチャンの家族崩壊は誰のせい



クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(5)結局クリスチャンの家族崩壊は誰のせい
主イエスはこう言われました。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコによる福音書
16:15)神の要求に従い、クリスチャンは福音を広めて神の証しをして、多くの人が神の救済を得られるようにと働いています。彼らの行いは善意と徳に満ちています。しかし、中国共産党は神を信じる人々を大々的に逮捕して迫害しています。これにより、数えきれないほどのクリスチャンが家に帰れなくなりました。そのような家族は離散し、家は壊され、人々は命を失っています。それにもかかわらず中国共産党は、これらはすべてクリスチャンが福音を説くために家と仕事を捨てたことで生じていると言います。この中国共産党の声明は事実と一致しているのでしょうか。結局クリスチャンの家族が離散したのは誰のせいでしょうか。

2018年11月11日日曜日

全能神教会の御言葉の朗読動画「福音を広める働きは、人を救う働きでもある」


全能神は言われた。「終わりの日に、わたしの名は異邦人の間で広められ、わたしの業は異邦人によって知られることとなり、彼らはわたしを、全能の神と呼ぶであろう。その結果わたしの言葉が速やかに実現されるだろう。わたしは全ての人々に、わたしが、イスラエル人の神であるだけではなく、全ての異邦人の神でもあり、わたしが呪った民族の神でさえもあることを、知らしめる。わたしは、全ての人々に、わたしが全ての被造物の神であることを分からせる。これが、わたしにとって最大の仕事であり、終わりの日のためのわたしの行動計画の目的であり、終りの日に達成されるべき働きのすべてである。」 『言葉は肉において現れる』より

2018年3月29日木曜日

【東方閃電】全能神教会賛美歌「終わりの日に神は言葉を通して全てを成し遂げる」



終わりの日に 神は肉体となり 言葉を通して 全てを成し遂げ 言葉を通して 全てを啓示する 彼の言葉の 中でのみ人々は 彼の全てと  彼が神自身であるという事を 見る事が出来る 神の言葉を 話すためだけに  肉体となった 神が地上に来る  言葉だけで 充分であるので しるしはもう 示される事はない 言葉によって 人は神の働きを 知るようになる  神の性質と 人の本質と そして 人が入るべき ところを知るのである 言葉によって 神が言葉の時代に 為そうとしている 全ての事が 成し遂げられる そして 人は顕わにされ・・取り除かれ・・試される 神の言葉を 人々はその目で見て その耳で聞き そして今まさに 神の言葉の 存在を知った それゆえ人は 神の存在と 神の全能と 神の知恵を信じる 人を愛し 救いたいと願う 神の心も 人々は信じる 神の言葉が 神の権威と 力を示す時 古代から 今この時までに 神が語った 全ての事は 必ず起こり その一つひとつが 為されるのである やがて栄光が 地上の神を訪れ 神の言葉は そこで崇高なる ものとして 統治を行う 神の口から 語られる言葉は 全ての悪い 人々を懲らしめ 一方で 全ての正しい 人々には 祝福を与える 言葉によって 全てが打ち立てられ 完成される          奇蹟ではなく 言葉によって 神は 全てを為し遂げ 真実をもたらす 神の国の 時代を通して神は その働きを 成し遂げる為 言葉を使う そして 神は言葉によって その働きの 成果を得る 奇蹟も行わず・・唯一言葉を通して・・神は働く   『言葉は肉において現れる』より



私たちについて:全能神教会の紹介
世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しましょう