
これらの社会的動向は、あなたがたにとって今では分かりやすいものです。簡単で、人々にとって身近でよく見られる一般的な例を挙げました。これらの社会的動向は、人間に大きな影響を及ぼしますか。(はい。)これらの社会的動向は、人間に深刻な悪影響を及ぼしますか。(はい。)人々にとって、極めて深刻な悪影響です。サタンは、こうした社会的動向を次々と用いて、人間の何を堕落させますか。(良心、理知、人間性、倫理です。)他には。(人間の人生観です。)社会的動向は人間の漸進的退廃をもたらしますか。(はい。)サタンはこうした社会的動向を用いて、少しずつ人間を誘惑して悪の巣窟へと誘い、社会的動向に捕らわれた人間は、気付かぬうちに金銭や物欲、邪悪と暴力を擁護するようになります。ひとたびこうした物事が人間の心に入ると、人間はどうなりますか。人間は邪悪なサタンと化すのです。それは、人間の心のどのような心理的傾向に起因しますか。人間は何を擁護しますか。人間は邪悪と暴力を好むようになるのです。人間は美や善を嫌い、またそれ以上に平和を嫌います。人間は通常の人間性による質素な生活を送ろうとせず、高い地位や大きな富を得ることを望み、肉の享楽に耽溺し、自分の肉を際限も制約もなく満足させるために努力を惜しまず、すなわち自分の求めるあらゆる事を行います。それならば、人間がこうした動向に没頭した場合、取得した知識はあなたが自由になるのに役立ちますか。あなたが知る伝統文化や迷信は、この窮地を投げ捨てるのに役立ちますか。人間が把握している伝統的な倫理や儀式は、人間が自制する上で役立ちますか。例として、『三字経』を考えてみましょう。三字経は、人間がこうした社会動向の泥沼[b]から抜け出す上で、役立つことがありえますか。(ありえません。)このように、人間はますます邪悪で、傲慢で、尊大で、自己中心的で悪意に満ちてゆきます。人間同士の愛情も家族同士の愛情も無くなり、親戚や友人同士の理解も無くなり、人間関係は暴力に満ちたものとなっています。誰もが暴力的方法を使用して、他の人間のそばで生活することを望み、自分自身の生活を確保するために、暴力を使います。地位や利益を得るためにも暴力を用い、また暴力や邪悪な方法を用いてしたい放題です。このような人類は恐ろしいものではないですか。(その通りです。)今わたしが述べた事を聞いて、サタンが堕落させたこのような人々や世界、環境の中で暮らすのは恐ろしいと思いませんか。(思います。)それでは、あなたがたは自分達が哀れだと感じたことはあるでしょうか。今、少々そのように感じているはずです。(はい。)あなたがたの口調からすると、あなたがたは「サタンは実に様々な方法で人間を堕落させている。サタンはあらゆる機会を捉え、あらゆる所に存在する。それでも人間は救われることができるだろうか」と考えているようです。それでも人間は救われることができるでしょうか。人間は自分自身を救うことができるでしょうか。(できません。)玉皇大帝は人間を救うことができるでしょうか。孔子は人間を救うことができるでしょうか。觀世音菩薩は人間を救うことができるでしょう。(できません。)それでは、誰に人間を救うことができますか。(神様です。)しかし、一部の人々は心の中に疑問を抱いて、「サタンは人間を極めて激しく害しているので、わたしたちには生きていく希望も自信もない。人間は皆堕落のただ中で生活し、いずれにしても誰もが神を拒否している。今や、人間の心は落ち込めるところまで落ちてしまった。サタンが人間を堕落させている間、神はどこにいるのか。神は何をしているのか。神が人間のために何をしているとしても、人間にはそれを感じることができない」と思います。一部の人々はどうしても意気消沈し、ある程度落胆します。あなたがたにとって、この気持ちは極めて深いものです。なぜなら、わたしがずっと述べていることは、皆に徐々に理解させ、希望が無いことをますます強く感じさせ、神に見捨てられたとますます強く感じさせるためだからです。しかし、心配は無用です。今日の主題「サタンの邪悪さ」は、わたしたちの真の主題ではありません。とは言え、神の聖なる本質を議論するためには、まずサタンがどう人間を堕落させるのかやサタンの邪悪さについて議論し、人間が現在置かれている状況を明確にする必要があります。これらの事を議論する目的のひとつは、人間がサタンの邪悪さを理解することであり、もうひとつは、真の聖さとは何かを一層深く理解出来るようにすることです。
わたしがここまで話した事は、前回よりもはるかに詳細なものですか。(はい。)それでは、あなたがたの認識は深まりましたか。(はい。)多くの人が今、神の聖さとは、正確には何なのかについて述べて欲しいと望んでいることは承知していますが、わたしが神の聖さについて述べる時、わたしはまず神の行なう業について話します。その後で神の聖さとは正確には何なのかをあなたがたに尋ねますので、注意して聞いてください。わたしは、あなたがたに直接述べず、あなたがたに自分で理解してもらいたいので、そのための余地を与えます。このやり方をどう思いますか。(良いと思います。)それでは注意して聞いてください。
サタンが人間を堕落させるとき、あるいは留まることを知らない危害を加えるとき、神は何もせず傍観することも、神の選民を無視したり、見て見ぬふりをしたりすることもありません。サタンが行うことは、神にとって全て明瞭であり、神はその全てを理解しています。サタンが何をしても、サタンがどのような動向を引き起こしたとしても、神はサタンが何をしようとしているかを知っており、神はその選民を見捨てることは無いのです。神は、その代わりに、誰の気を引くこともなく、秘密裏に、静かに、必要なことすべてを行います。神が誰かに対して働き始める時、誰かを選ぶ時、神はそれを誰にも告げず、またサタンに告げることも無ければ、それを誇示することが無いのは、なおさらです。神は静かに、そして自然に必要なことを行うのみです。まず、神はあなたの家族を選びます。家族の背景はどのようなものか、あなたの両親や祖先は誰かといった事柄は、既に神により決定されています。つまり、そうした事柄は神が取り急ぎ決めたことではなく、遠い過去に始まった業です。神があなたの家族を選ぶと、神はあなたが生まれる日を選びます。今、神はあなたが産声を上げてこの世に生まれて来るのを、あなたの誕生を見、あなたが最初の言葉を口にするのを見、あなたが躓きながら歩くことを覚えるのを見ています。あなたは最初の一歩を踏み出し、その後もう一歩を踏み出し、今では走ったり、跳んだり、話をしたり、自分の感情を表現できます。こうして人間が成長するにつれて、サタンの眼差しは獲物を睨む虎のように、人間ひとりひとりに注がれています。しかし神は働く時、人間や出来事、物事、場所、時間の制限を受けることが一切無く、神が行うべきこと、行なわなくてはならないことを行います。成長過程において、人が自分が好まない物事や疾病、挫折に遭遇することがあります。しかし、その道を進む時、あなたのいのちと将来は、完全に神の慈しみのもとにあります。神は、人生全体にわたってあなたの傍らにあり、あなたを守り、見守るという真の保証をあなたに与えます。あなたは、それを知らずに育ちます。あなたは新たな物事に接し、この世の中と人間を知るようになります。あなたにとってすべてが新鮮です。あなたは自分のことや、好きなことをするのを好みます。あなたは自分の人間性と生活環境の中で生活し、神の存在については一切の認識をもちません。それでも神はあなたが成長し、前進してゆく過程のすべてを見ています。あなたが知識を習得したり、科学を学習したりしている時でさえ、神はあなたの側から一歩も離れることが無いのです。あなたは、他の人々と全く同様に、世界を知り、世界と接触するなかで、あなた自身の理想を確立し、趣味を持ち、興味の対象を持ち、高尚な大志を抱くようになります。あなたは、自分の将来について頻繁に思索し、自分の将来がどうなるかを思い描きます。しかし、その過程で何があったとしても、神は全てをはっきりと見ています。あなたは自分の過去について忘れたかもしれませんが、神以上にあなたを深く理解している者はありません。あなたは神の見守る中で生活し、成長し、成熟します。この間、神の最も重要事項は、誰も気付くことができず、誰も知らないことです。神がそれについて、あなたに伝えることは当然ありません。その最も重要な事とは何でしょうか。知っていますか。(人々を神の前に来させることです。)それでは、人々を神の前に来させるため、神は何をするのでしょうか。神は人々をいつ神の前に来させますか。知っていますか。それは神の主要事項ですか。それは神の行なう最も重要なことですか。それは、神がある人間を救うという保証であると言えます。つまり、神はその人を救うことを望むので、神はそれを行う必要があり、その務めは人間にとっても神にとっても極めて重要なのです。知っていますか。あなたがたは、このことについて実感や概念が全く無いようなので、わたしが話します。あなたが生まれた時から現在に至るまで、神はあなたに対して多くの働きを行なってきましたが、神が行ったことを全て詳しく伝えることはありません。神はあなたに知らせることはなく、あなたに伝えませんでした。しかし、人間にとって、神の行いは全て重要です。神にとって、それは行うべき事です。神の心中には、神がなすべきことで、それらよりも遙かに重要なことがあります。何でしょうか。それは、人間が生まれてから現在に至るまで、神は人間ひとりひとりの安全を保証する必要があるということです。これを聞いても、あなたがたは完全に理解できないと感じ、「その安全とは、それほど重要なものなのか」と言うかも知れません。「安全」という言葉の文字通りの意味は何ですか。あなたがたは、それを平安である、災害や災難に遭遇することが無いことである、良い生活を送ることである、普通に生活することであるなどと理解しているでしょう。しかし、安全とはそれほど単純なものではないということを、あなたがたの心中で知らなければなりません。それでは、わたしがこのように話している、神が行うべきこととは一体何でしょうか。安全は、神にとって何を意味するのでしょうか。本当にあなたがたの安全の保証のことでしょうか。ちょうど現在のように。いいえ。それでは、神が行なうことは何でしょうか。この安全とは、あなたがサタンにより食い尽くされない、ということなのです。これは重要ですか。あなたはサタンに食い尽くされていませんが、そうであれば、これはあなたの安全に関連するでしょうか。これはあなた個人の安全に関わり、それよりも重要な事はありません。サタンにより食い尽くされたなら、あなたの魂も肉も、もはや神に属しません。神はあなたをもはや救いません。神はそうした魂や人々を見捨てるのです。ですから、神が行うべき最も重要なことは、あなたの安全、あなたがサタンに食い尽くされないことを保証することだと言うのです。これは極めて重要ではありませんか。それでは、あなたがたはなぜ回答できないのですか。あなたがたは、神の大いなる優しさを感じることができないようですね。
神は、人間の安全を保証すること、サタンに食い尽くされないことを保証すること以外にも、さらなることを行います。神は、誰かを選んで救う準備のために、数多くの働きを行います。まず、あなたはどのような性格か、どのような家庭に生まれるか、両親は誰か、兄弟姉妹は何名いるか、家庭の状況と経済的地位はどのようなものか、あなたの家庭状況はどうかなどは、神があなたのために、苦心して用意しました。あなたがたは、神の選民の大部分が、どのような家庭に生まれているかを知っています。名門の家庭でしょうか。そんな家も数件あるかも知れません。全くないとは断言できませんが、極めて少ないです。百万長者、あるいは億万長者など極めて裕福な家庭でしょうか。その種の家庭はまずほぼありません。それでは、神がそれらの人々のために用意するのは、どのような家庭でしょうか。(普通の家庭です。)それでは、普通の家庭とは、どのようなものですか。専ら労働者の家庭です。労働者は賃金に依存して生活し、基本的な必需品を購入することができます。労働者家庭は何があってもあなたを飢えさせることはありませんが、物質的必要性を全て満たすことは期待できません。また農家の家庭もあります。農家は作物の栽培に食糧を依存し、食糧として穀物があるので何があっても飢えることは無いですが、良い衣服はありません。また、事業や小規模商業を営む家庭や、両親が知能労働者である家庭などがあり、それらもまた普通の家庭と見なせます。また両親が事務職に従事する場合や、下級公務員である場合もあり、それらも名門とは見なすことはできません。多くの人々は普通の家庭に生まれ、それもまたすべて神が用意したことです。つまり、あなたの生活する環境は、あなたが想像するような資産家の家庭ではなく、神があなたのために決めた家庭であり、大部分の人々が、こうした家庭の制約範囲内で生活します。ここでは、例外は取り上げません。それでは、社会的地位はどうですか。ほとんどの場合、両親の経済状況は平均的であり、社会的地位は高くありません。彼らにとっては、職があるだけで十分です。長官はいるでしょうか。それでは総裁はいますか。(いません。)地位が高かったとしても、小企業の経営者や下位管理職にとどまり、社会的地位は中間で、経済状態は平均的です。もう一つの要素は家庭の生活環境です。まず、自分の子どもに影響を与えて易断や運勢判断などの道へ進ませる両親は極めて少ないか全くいません。大部分の両親は極めて普通であり、あなたがたに似ています。神は人間を選択すると同時に人間のためにこうした環境を用意しますが、それは神が人間を救う働きに大いに有益です。外面的には、神は人間のために何ら劇的なことをしていないように見えますが、神は全てを秘密裏かつ謙虚に、そして静かに行うからです。しかし実際には、神がすることは全て人間の救いのための基盤を築き、将来の道を用意し、救いに必要な全ての条件を用意するためのものです。神は、各人に指定された時間になると即時に人々を神の前に戻します。あなたが神の声を聞く時が来ると、それはあなたが神の前に行く時です。その時、ある者は既に人の親となり、ある者はまだ誰かの子のままです。換言すると、既に結婚して子をもうけた人もいれば、独身のままで自分の家庭を持っていない人もいます。しかし、人々の状況を問わず、神はあなたが選ばれる時期、神の福音と言葉があなたに届く時期を、既に決定しています。神は、あなたが神の言葉を聞くことができるよう、既に状況を設定し、あなたに福音をもたらす特定の人物や状況を決定しています。神は、あなたが知らないうちに神の前に来て神の家に戻るよう、必要とされる全ての条件を既に用意しています。また、あなたは知らないうちに神に付き従い、神があなたのために段階ごとに用意した、段階的な働きに入っていきます。神がこの時人間のために物事をおこなうのにはどのような方法があるのでしょうか。まず、神が最低限度として行うのは、人間が享受する慈悲と保護です。神は、人間が神の存在と神による業をそこに見出せるように、様々な人々や出来事、物事を用意します。たとえば、家族が病を患っているために神を信仰する人がいて、「家族が病気だが、いったいどうしたらよいのか」と言ったとします。誰かが「主イエスを信じよ」と言い、それゆえに神を信仰するようになります。その信仰は状況が原因となって生まれました。それでは、この状況を用意したのは、誰ですか。(神様です。)この病により、若い者も年老いた者も全員が信者である家庭が存在する一方で、信仰する者としない者がいる家庭も存在します。外見上は疾病のために神を信じるようになったけれど、実はその疾病は神の前へと行くように、あなたに与えられた条件であり、すなわちそれは神の優しさです。ある人々は、家庭生活が困難で平安を見出すことができないために、誰かが福音を伝える機会が訪れ、その誰かが「あなたの家庭には困難がある。主イエスを信じよ。主イエスを信じれば、平安が訪れる」と言います。その後、無意識のうちに、この人は極めて自然な状況下で神を信じるようになります。これは一種の条件ではありませんか。(その通りです。)それでは、その人の家庭に平安がないというのは、神がその人に与えた恵みではないですか。(その通りです。)それ以外の理由で神を信じるようになる人々もいます。信仰には様々な理由や在り方がありますが、神を信じるようになった理由がどのようなものであれ、実際には、それは全て神が用意し、導いたものなのです。最初、神は様々な方法であなたを選び、あなたを神の家に連れてきます。これが神があらゆる人に与える恵みです。