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2020年4月3日金曜日

[東方閃電]全能神教会 「ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乗る 日本語



「ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乗る  日本語 
ノアの時代の人類を振り返りましょう。悔い改めることを考えずに、人はあらゆる種類の邪悪な活動を行いました。誰も神の言葉を聞きませんでした。人々の頑固さと悪は神の怒りを呼び起こし、ついに大洪水の災いに人々は飲み込まれました。ノアと彼の八人の家族だけが神の言葉に耳を傾け、生き延びられました。今日、世の終わりはすでに到来しました。人類の堕落はさらに深刻になってきています。誰もが悪をあがめます。宗教界全体は世界の潮流に従います。人々は真理を少しも愛しません。ノアの時代はすでに到来しました。人類を救うために、人類の中で世の終わりの裁きの働きを行おうと、神はもう一度再来しました。これは神が人を救う最後の時です。人類は何を選べばよいのでしょうか。
これは実話です。四川省の清平镇の住民たちは全能神の国の福音を受け入れることを繰り返し拒否したため、二度の災いを経験しました。汶川大地震の間、全能神を信じる多くの兄弟姉妹たちは神によって奇跡的に保護され、生き残りました。これらの事実は証しを立てられました。神を受け入れ従う人々と神を否定し抵抗する人々です。これらの二種類の人々には、ふたつの非常に異なる結末があります。

2020年3月15日日曜日

[東方閃電]全能神教会 HDドキュメンタリー2018 「万物の主権を握るお方」創造主の全能への証し|完全な映画|日本語



広大な宇宙に広がる天体。それぞれが寸分の狂いもなく軌道を回る。天の下では山も、川も、湖もそれぞれの領域を守り、あらゆる生物はいのちの法則に従い、四季を通じて生き、繁殖する・・・全ては美しく、完璧に作られ、配置されている―それを支配する力強い手は存在するのか。この世に生まれた瞬間から、だれもがその人生に託された役割を担う。人はみな生まれ、老い、病み、そして死ぬ―喜びと悲しみを繰り返しながら・・・人はいったいどこから来てどこへ行くのか?私たちの運命は誰が握っているのか。太古の昔から今日まで、偉大な国家が興り、王朝が栄えては、衰退していった。歴史の渦の中で、国々と民族が繁栄しては消えていった・・・自然の法則同様、人類発展の法則にも神の奥義がある。あなたはその答えが知りたいだろうか。ドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」が、あなたをその真髄へと導き、奥義を明らかにする。


[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年2月4日火曜日

キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(2)神様の現れの奥義を知っていますか



主の信者の多くは、主は輝きに満ちて雲に乗り公然と姿を現すと信じ、いつも空を眺めて主が雲に乗って現われるのを待ち、天国に引き上げられ主に会えるものと考えています。果たしてこれは真理に沿っているのでしょうか?神様の出現と御働きにどうやって気が付くのでしょう?神様の出現にはどのような奥義が込められているのでしょう?

[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年1月30日木曜日

[東方閃電]全能神教会 ゴスペル音楽 「失われた時は二度と戻ってこない」神からの終わりの日の警告



Ⅰ
目覚めよ!兄弟姉妹たち!
神の日は遅れることがない
時は命、時をとらえることは命を救い
その時は近い
試験なら、落ちたとしても
学び直し、再挑戦できるが
神の日は決して遅れないことを
あなたは知らなければならない
Ⅱ
覚えておくように
神のこれらの良い言葉は
あなたを促すためにある
終わりは目前で
災害が近づいている
大切なのはあなたの命か
それとも食べ物や衣服だろうか
今、熟考するべき時が来たのだ
Ⅲ
人類は何と惨めで
貧しく盲目で、残酷なのか!
神の言葉は耳のそばを吹きゆく
風のようなものなのか
神の話は無駄だろうか
何故あなたはまだ怠慢なのか
神がこれらを誰に言っているのか
一度も考えたことはないのか?
神を信じなさい
神はあなたの救い主
そして全能者なのである
見張り続けよ
失われた時は戻らず
後悔に効く薬はない
神はどのようにあなたに告げるのか?
神の言葉は熟考に値しないのか?
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

2020年1月26日日曜日

[東方閃電]全能神教会 「いにしえは刺の如く」から、その六「救われることや天国に入ることについて討議する」



常に罪を犯す者が天国に入れるでしょうか。どうすれば罪が取り除かれ、天国に入れるのでしょうか。本短編映画があなたにその答えを教えてくれます。

[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年1月11日土曜日

[東方閃電]全能神教会 「玉座から命の川の水が流れ出る」から、その八「どうやって『永遠の命の道』を得るか」



「玉座から命の川の水が流れ出る」――どう追い求めれば永遠の命の道を得ることができるでしょうか?

[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年1月7日火曜日

[東方閃電]全能神教会 「覚醒」から、その二「救われることと救いを得ることの違い」



救われるとはどういうことで、救いを得るとはどういうことでしょうか。あなたはその区別が分かりますか。本短編映画があなたと一緒にこの問題を討議します。

[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2019年11月7日木曜日

全能神教会御言葉朗読「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」



[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2019年11月3日日曜日

素晴らしい讃美聖歌 「神は栄光と共に世界の東に現れた」救い主はすでに再臨された


Ⅰ
神は全宇宙で業を為している
東で絶えず轟く音が全ての宗派と教派を揺さぶっている
神の声は皆を導き征服し
彼らはこの流れに落ち  神に従う
神は昔  地で栄光を取り戻し
東からそれを再び放った
それを見たいと望まないのは誰か
熱心に神の帰りを待たず
神の再来を渇望せず
その素晴らしさを恋慕わないのは誰か
光に来ず  カナンの富を見ない者は誰か
贖い主が戻って来るのを切望せず
全能の神を讃えないのは誰か
神の声は全地に広まるべきだ
選民への神の言葉は更にある
山河を震わす雷のように
神は宇宙と人類全てに語り
その言葉は皆に愛される宝となる
稲妻が東から西へ真直ぐ走る
皆神の言葉を手放したくない
それは計り知れず、喜びをもたらす
生まれたての乳飲み子のように
喜び神の到来を祝う
神の声が人を神の前に惹きつける
今後神は正式に人の間に入る
皆が神を礼拝し
栄光と言葉ゆえ
神の前で東に光る稲妻を見る
Ⅱ
神は東のオリーブ山に降り立った
長く地にいる
神はもはやユダヤ人の子でなく
東の稲妻である
神は人の元を去ったが
今栄光に満たされて再び現れた
神は幾時代も前に崇められ
イスラエルに見捨てられた乳飲み子
栄光ある現代の全能神!
これこそ神の成し遂げたいこと
神の計画の終結と絶頂
業の目的は人々が玉座の前で
神の顔と業を見てその声を聞くこと
こうして全ての国は神を拝み認める
皆が神を信頼し神に従う!
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

2019年9月1日日曜日

[東方閃電]全能神教会 朗読 神の言葉 「神の信仰は宗教的儀式でなく現実に焦点を合わせるべきである」



[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2019年7月9日火曜日

なぜ主イエスはパリサイ人を呪ったのか。パリサイ人の本質は正確には何か。

参照聖書箇所
  「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。」(マタイによる福音書 15:3-9)


 「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕

 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。

 盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。 また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。 祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。 神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。 また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。

 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。

 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。

 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。

 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。」(マタイによる福音書 23:13-36)

 「しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。総督は彼らにむかって言った、『ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか』。彼らは『バラバの方を』と言った。 ピラトは言った、『それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか』。彼らはいっせいに『十字架につけよ』と言った。 しかし、ピラトは言った、『あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか』。すると彼らはいっそう激しく叫んで、『十字架につけよ』と言った。ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、『この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい』。 すると、民衆全体が答えて言った、『その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』。 そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。」(マタイによる福音書 27:20-26)

関連する神の言葉

10.パリサイ人によるイエスの審判

 「身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、『彼はベルゼブルにとりつかれている』と言い、『悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ』とも言った。」(マルコによる福音書 3:21-22)

11.イエスによるパリサイ人に対する戒め

 「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。」(マタイによる福音書 12:31-32)

 「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。」(マタイによる福音書 23:13-15)

 上記には、個別の聖句が2つある。この2つのうち最初に挙げた聖句「パリサイ人によるイエスの審判」について、まず検討する。

 「聖書によると、イエスと、イエスの行動に対するパリサイ人の評価は『気が狂ったと思った⋯「彼はベルゼブルにとりつかれている」⋯「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」』(マルコによる福音書 3:21-22)というものであった。律法学者とパリサイ人による主イエスに対する審判は、何の根拠もなく下されたものではなく、律法学者とパリサイ人が主イエスの行動について見たこと、聞いたことに基づいた結論であった。その審判は、表層的には法に基づき行われ、人々は、それが十分な根拠に基づくものと考えたが、イエスを裁いたその傲慢さを、律法学者とパリサイ人は抑えることが出来なかった。人々の主イエスに対する激昂した憎悪のエネルギーが、神を拒絶する邪悪な本性とともに、人々の向こう見ずな野望と邪悪なサタンのような形相に現れていた。主イエスの審判で律法学者とパリサイ人が口にしたことは、人々の向こう見ずな野望、嫉妬、そして人々の神と真理に対する敵意の、醜く邪悪な本性を動機とするものであった。律法学者とパリサイ人は主イエスの行動が何によるものかを調査せず、イエスの言動の本質を調査することもなかった。その代わりに、律法学者とパリサイ人は、主イエスが取った行動を、盲目的に、苛立って、狂気のように、そして計画的な悪意をもって非難し、卑しめた。それは、主イエスの霊すなわち聖霊、神の霊を見境なく卑しめるような状態にまで達していた。律法学者とパリサイ人が『気が狂った、ベルゼブルと悪霊どものかしら』と言うのは、そうしたことを意味するものであった。つまり、神の霊はベルゼブルであり、悪霊の頭である、と言ったのであった。彼らは、受肉した神の霊による業を、狂気であるとした。彼らは神の霊をベルゼブル、悪霊の頭として冒涜したのみならず、神の業を罪であるとした。律法学者とパリサイ人は、主イエスを有罪とし、冒涜した。彼らの神に対する反逆的、冒涜的本質は、サタンと悪魔の神に対する反逆的、冒涜的本質と同じである。彼らが象徴するものは、腐敗した人間だけでなく、サタンの権化でもあった。彼らはサタンと人類の繋いでおり、サタンに力を貸す伝令であった。主イエス・キリストに対する彼らの冒涜と誹謗の本質は、神の地位を奪おうとする奮闘努力であり、終わることのない神への反抗、挑戦であった。彼らの神への反抗、神に対する敵対心の本質、そして言葉や考え方が、神の霊を直接冒涜し、怒らせた。それゆえに、神は律法学者とパリサイ人の言葉と行動に妥当な裁きを下し、その行動を聖霊に対する冒涜の罪であるとした。この罪は、この世でも後生でも赦されることがないのは、聖句に『聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない』、また『聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。』とある通りである。⋯⋯」

 「これら二つの聖句について、何か気付くことはあるだろうか。一部の人々は、神の怒りに気付くと言う。また別の人々は、人間による侮辱を赦されることがないという神の性質と、人々が神を冒涜すると神の赦しを得ることができないことが分かる、と言う。この二つの聖句から、神の怒りと、人間の冒涜に対して神が不寛容であることを人々が理解しているが、人々は神の姿勢を真に理解していない。この二つの聖句には、神を冒涜し、神を怒らせた者に対する神の真の姿勢と処遇を示す部分がある。この『聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。』という聖句には、神の真の姿勢と処遇が含まれている。人々が神を冒涜した時、あるいは怒らせた時、神は審判を下し、その審判は神の最終的な結論である。そのことについては、聖書において『だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。』(マタイによる福音書 12:31)、また『偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。』(マタイによる福音書 23:13)と説明されている。」

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身3」より

 「ユダヤのパリサイ人は、モーセの律法に基づいてイエスを罪に定めた。彼らは当時のイエスとの融和を求めず、律法に文字通りに忠実に従うあまり、イエスが旧約の律法に従っておらず、またメシヤでもないという罪で、ついに無実のイエスを十字架につけたのである。彼らの本質は何であったのか。彼らは真理と融和する道を求めていなかったのではないか。彼らは聖書の一字一句にこだわり、わたしの心とわたしの働きの手順や方法には無関心でいた。彼らは真理を求めた人々ではなく、聖書の言葉に厳密に従った人々であった。彼らは神を信じたのではなく、聖書を信じていた。つまるところ、彼らは聖書の番犬であった。聖書の影響力を擁護するため、聖書の権威を維持するため、聖書の評判を守るため、彼らは慈悲深いイエスを十字架につけることまでした。彼らは、ただ単に聖書を守るため、人々の心の中にある聖書の一字一句の地位を維持するために、そうしたのである。だから、彼らは未来と罪のための捧げ物を見捨て、聖書の教義に従わなかったイエスを罪に定めて殺したのである。彼らは聖書の一字一句に隷属していたのではないか。」

『言葉は肉において現れる』の「キリストと融和する道を探せ」より

 「二千年前にユダヤ人たちがイエスを十字架に釘づけにしたあと何が起きたかを思い起こしてみるがよい。ユダヤ人はイスラエルから追放され、諸国に逃亡した。多くは殺され、全ユダヤ民族は前例を見ない破壊を受けた。彼らは神を十字架に釘付けにし——凶悪犯罪を犯し——そして神の性質を侵害した。彼らは自分たちが為したことの代価を払い、その行動の結果に耐えなければならなかった。彼らは神を罪に定め、神を拒絶したので、たどる運命は一つしかなかった。すなわち、神の罰を受けたのである。これが彼らの支配者たちが彼らの国と民族にもたらした苦い結果と災害である。」

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より

 「あなたがたはパリサイ人がイエスに逆らったことの根拠を知りたいか。あなたがたはパリサイ人の本質を知りたいか。彼らはメシアに関する空想に満ちていた。さらに、彼らはメシアが来ると信じていただけで、いのちの真理を求めなかった。だから未だに彼らはメシアが来るのを待ち続けている。いのちの道に関して何の認識もなく、真理の道がどのようなものかも知らないからだ。これほど愚かで頑固で無知な彼らが、神の祝福を得られるだろうか、とあなたがたが言ってみよ。彼らがメシアに会うことなどできるだろうか。彼らは聖霊の働きのめざすものを知らなかったためにイエスに敵対した。イエスの語った真理の道を知らなかったために、イエスに敵対し、さらにはメシアを理解できなかったためにイエスに敵対した。彼らはメシアに会ったことがなく、メシアとともに過ごしたこともないために、彼らはみなメシアの名前をむなしく守りながら、どのようなことをしてでもメシアの本質に逆らうという過ちを犯した。これらパリサイ人は本質的に頑固で、傲慢で、真理に従うことはなかった。彼らが神を信じる原則は、『どれほどあなたの説教が奥深く、どれほどあなたに権威があろうとも、あなたがメシアと呼ばれない限り、あなたはキリストではない』というものである。これらの見方は不合理でばかばかしいものではないのか。」

『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である」より

もっと注目:

宗教的な牧師や長老たちはすべてパリサイ人の道を歩いていると言われるのはなぜか。彼らの本質は何か。

なぜ神の働きの新しい段階はそれぞれ宗教界の激しい反抗と非難に遭遇するのか。その根本原因は何か。


2019年6月25日火曜日

終わりの日に神によって表現された真理はなぜ人を清め、人を完全にし、人のいのちになることができるのか。

関連する神の言葉

 「いのちの道は、誰でも持てるものではなく、誰にでも簡単に得られるものでもない。なぜなら、いのちは神のみに由来しているからだ。それはすなわち、神自身のみがいのちの本質を持っており、神自身なくしていのちの道は存在せず、神のみが、いのちと永遠に流れつづけるいのちの生ける泉の源であることを意味する。神が世界を創造したとき以来、神はいのちの活力に関わる多くの働きをし、人にいのちを与える多くの働きをし、人がいのちを得られるよう多大な代償を払ってきた。神自身が永遠のいのちで、神自身が、人が復活できる道だからである。神が人の心に不在であることはなく、常に人の中に生きている。神は人の生活の原動力であり、人の存在の基盤であり、誕生後の人の存在にとっての豊かな鉱物である。神は人を生まれ変わらせ、人が自分の持つあらゆる役割においてしっかりと生きられるようにする。神の力と、神の消えることのないいのちの力のおかげで、人は何世代も生きてきた。その間ずっと、神のいのちの力は人の存在の支えであり、神は普通の人間が誰も払ったことのないような代償を払ってきた。神のいのちの力は、いかなる力にも勝る。そしていかなる力をも超越する。神のいのちは永遠であり、神の力は非凡であり、神のいのちの力はいかなる被造物や敵の力によっても簡単に圧倒されない。神のいのちの力は存在し、時と場所にかかわらず明るい輝きを放つ。神のいのちは、天や地が激変する間も永遠に不変である。万物は過ぎ去るが、神のいのちは依然としてそこにある。それは、神が万物の存在の源であり、それらの存在の根幹だからだ。人のいのちは神に由来し、天の存在は神に拠り、地の生存は神のいのちの力から生じる。活力を有するいかなる物体も神の主権を越えることはできず、いのちの力を有する何物も神の権威の及ぶ範囲から逃れ出ることはできない。このようにして、誰もが神の支配下に服従し、神の命令の下で生きねばならず、誰も神の支配から逃れられない。

 神自身がいのちであり、真理であり、神のいのちと真理は共存している。真理を得られない者がいのちを得ることは決してない。真理による導き、支え、施しがなければ、あなたは文字と教義、そしてさらには死しか得られない。神のいのちは常に存在し、神の真理といのちは共存する。真理の源を見つけることができないなら、いのちの栄養は得られないだろう。いのちの施しを得られないなら、もちろん真理は全く得られないので、想像と観念以外には、あなたの肉全体はただの肉、臭い肉でしかない。活字による言葉はいのちとはみなされず、歴史の記録は真理として敬われることはなく、過去の教義は神が現在話している言葉の記録とはみなされない。神が地上に来て人の間に生きているときに告げたものだけが真理であり、いのちであり、神の心であり、神が実際に働くやり方である。昔神が語った言葉の記録を現代に適用しようとするのなら、あなたは考古学者であり、あなたにぴったりの表現は歴史的遺産の専門家ということになる。なぜなら、あなたは常に神が過ぎ去った時にした働きの痕跡を信じており、神が以前人の間で働いた時に残した神の影しか信じておらず、神が昔自分を信じる者に与えた道しか信じていないからである。あなたは、神の今日の働きの方向を信じておらず、今ある神の栄光に満ちた顔を信じておらず、現在神が表している真理の道を信じていない。それゆえに、あなたは間違いなく完全に現実から遊離した空想家である。もし今、あなたがなお人にいのちをもたらすことのできない言葉に固執するなら、あなたは望みのない一片の枯れ木だ。あなたは保守的すぎで、あまりに強情で、理性がなさすぎるからだ。」

 『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

 「終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。」

 『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

 「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。これが、神がなす裁きの働きである。」

『言葉は肉において現れる』の「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より
 「人間は、自分で自分の性質を変化させることができない。人々は神の言葉による裁き、刑罰、そして辛い精錬を受けるか、あるいは神の言葉による取り扱いと懲らしめ、刈り込みを受けなければならない。その後初めて、彼らは神への従順と献身を実現することができ、神を欺こうとしたり、いい加減に神に対応したりしなくなる。神の言葉による精錬のもとで、人間の性質は変化するのである。神の言葉による暴露、裁き、懲らしめ、そして取り扱いを受ける者のみが、見境なく行動しなくなり、平静沈着となる。最も重要な点は、神の現在の言葉と業に従えることであり、たとえそれが人間の観念と一致しない場合でも、それらの観念を捨てて、意図的に従うことができる、ということである。」

『言葉は肉において現れる』の「性質が変化した者たちとは神の言葉の現実の中へ入った人々である」より

 「終わりの日の働きにおいては、言葉はしるしや不思議の顕示よりも力強く、言葉の権威はしるしや不思議の権威を超越する。言葉は人の心のすべての堕落した性質を現す。あなたは自分でそれらを認識することはできない。それらが言葉を通して明らかにされるとき、あなたは当然それを認識し、否定することはできず、完全に確信するであろう。これは言葉の権威ではないであろうか。これは言葉の現在の働きによって得られる成果である。だから、人は病気を癒したり悪霊を追い出したりすることにより、罪から完全に救われることはできず、しるしや不思議を顕すことにより、すっかり完全にされることはないのである。癒したり悪霊を追い出したりするための権威は人に恵みを与えるだけで、人の肉は依然としてサタンに属し、堕落したサタン的な性質は依然として人の中に残っている。すなわち、まだ清められていないものは依然として罪と汚れに属しているということである。人は言葉によって清められて初めて、神のものとされ、清められる。もし人から悪霊を追い出したり、贖ったりする以上に何もされなければ、それはただサタンの手から人を捕まえ、神のもとに戻すことでしかない。それだけでは人は神によって清められていないし、変えられてもいない。堕落したままである。人の中には、依然として汚れ、敵対心、そして不従順が存在する。人は贖いを通して神のもとに帰っただけで、人は神について何の認識もなく、依然として神を退け裏切っている。人が贖われる前、サタンの毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。サタンによる堕落を何千年も経た人間には、神を退ける性質が既に存在していた。だから、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られた贖い以上のものではなく、人の中の毒を持った性質は取り除かれてはいなかった。あまりにも汚れた人は、神に仕えるにふさわしくなる前に変えられなければならない。裁きと刑罰の働きを通して、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして、人は完全に変わり、清められることができる。この方法でのみ、人は神の玉座の前に戻るのにふさわしくなることができる。この日なされるすべての働きは人が清められ変えられるためである。言葉による裁きと懲罰、また精錬を通して、人は堕落を捨て、聖くされることができる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言った方が適切であろう。実際、この段階は第二段階の救いであるとともに征服の段階である。人は言葉による裁きと刑罰を通して、神のものとされる。言葉を用いて練られ、裁かれ、そして明らかにされることで、すべての汚れたもの、観念、動機、そして人の心にある個人的な願望などが完全に明らかにされる。人は贖われ罪を赦されたが、それは神が人の罪を思い出さず、人の罪に応じて人を取り扱わないからである。しかし、人が肉に生き、罪から解放されていないと、人は堕落したサタン的な性質をどこまでも顕し続け、罪を犯し続けることしかできない。これが人の送る人生で、罪と赦しの終わりのないサイクルである。大多数の人は昼間罪を犯し、夜告白するだけである。そのように、たとえ罪のためのいけにえが人にとって永久に有効だとしても、人を罪から救うことはできない。救いの働きは半分しか完成していない。人は堕落した性質を持ち続けているからだ。たとえば、自分たちがモアブの血統であることを知った人々は、愚痴をこぼすと、いのちを探求することをやめ、すっかり消極的になってしまった。これは、人々がいまだに神の支配に完全に服従できないでいることを示していないだろうか。これこそが、まさに堕落した悪魔的な性質ではないだろうか。刑罰を受けていなかったとき、あなたの手は他の誰よりも、イエスすら超えて、高く上げられていた。そしてあなたは大声で叫んだ。神の愛する子になりたまえ。神の親密なものとなりたまえ。サタンに服従するなら死ぬほうがましだ。あのいまいましい悪魔に対抗したまえ。赤い大きな竜に対抗したまえ。赤い大きな竜が完全に権力から落ちるようにしたまえ。神によりわたしたちを完全にしたまえ。あなたの叫び声は他の誰よりも大きかった。しかし、刑罰のときが訪れ、再び人々の堕落した性質が明らかになった。人々の叫びは途絶え、彼らは決意を失ってしまった。これが、人間の堕落である。それはサタンによって植えつけられて人の心の奥深くに根ざし、罪よりも深くはびこっている。人が自分の罪に気づくのは容易ではない。人は自分自身の深く根ざした本性を認識することができない。言葉による裁きを通してのみ、そのような成果を達成することができる。これによって初めてその時点から次第に人は変えられていくのである。人間は自らの元来の堕落した性質を理解していなかったので、過去にこのように叫んだ。これが人間の中にある不純なものの有り様である。これほどの長い裁きと刑罰の期間中ずっと、人間は緊張状態の中で生きた。これはすべて言葉をとおして成されたのではなかったのか。奉仕者の試練の前には、あなたも大声で叫んだのではなかったのか。神の国に入れ。この名を受け容れる者は皆、神の国に入るであろう。皆、神とともにあるであろう。奉仕者の試練が訪れたとき、あなたはもう叫ばなかった。初めに、皆が『神よ。いかなる場所に私をお置きになろうとも、わたしはあなたの導きに服します』と叫んだ。『誰がわたしのパウロになるのか』という神の言葉を読むと、『わたしがなります』と人間は言った。次には『ヨブの信仰についてはどうであろうか』という言葉を読んだので、人間は『ヨブの信仰をもちます。神よ、どうかわたしを試みてください』と言った。奉仕者の試練が訪れたとき、人間はただちに崩れ落ち、ほとんど立ち上がることができなかった。この後、人間の心の中の不純なものは徐々に減少した。これは言葉をとおして成されたのではなかったのか。だから、あなたがたが現在経験したことは、言葉により達成された結果であり、イエスのしるしや不思議の業をとおして達成されたものよりもさらに偉大なのである。あなたに見える神自身の栄光と権威は、十字架上の死や病の癒し、悪霊を追い払うことだけをとおして見えるのではなく、言葉による神の裁きをとおしてさらにはっきりと見えるのである。これはつまり、しるしや病の癒しや悪霊を追い払う業だけが神の権威と力なのではなく、言葉による裁きが神の権威をよりよく象徴的に表し、神の全能を明らかにできることを示している。」

  『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より
 「言葉の働きで最も需要なのは、人々が真実を理解した後、真実を実践し、自分自身および神の御働きについての知識を獲得するようにさせることである。話すことを通して働く手段のみが神と人の関係を明らかにすることができ、言葉のみが真実を説明することができる。このような方法で働くことは、人を征服する最善の手段である。言葉を発することは別として、その他の手段では真実や神の御働きをより明確に人に理解させることはできない。そこで神は御働きの最終段階で人に話しかけ、人が理解しないすべての真実や神秘を人に隠さず話して、彼らが神から本当の方法と人生を得て、神の御心を満足させることができるようにする。…この働きの段階――御言葉の働き――は人が理解しないすべての方法と神秘を人に明らかにし、人が神の御心と人に対する神の要求を理解できるようにし、彼らが神の御言葉を実践する条件を持ち、性質の変化を達成できるようにする。」

『言葉は肉において現れる』の「あなたたちは地位の恩恵は脇に置き、人を救済する神の御心を理解するべきである」より

 「…終わりの日に、神が肉になるとき、神はすべてを成し遂げるために、すべてを明らかにするために、主として言葉を用いる。神の言葉の中においてのみ、あなたは、神とは何かを知ることができる。神の言葉の中においてのみ、あなたは、神が神自身であることを知ることができる。…神の力と至高を人が自身の言葉の中に見られるように、神が身を低くして自身を隠すことを人が自身の言葉の中に見られるように、そして神の完全性を人が自身の言葉の中に知ることができるように、来たからである。神が所有するものおよび神が今あるところのものすべてが、神の言葉の中にあり、神の知恵や素晴らしさは神の言葉の中にある。この中にあなたは、神が自身の言葉を話す多くの方法を見ることができる。…神は自身の言葉から人がいのちを得ることを可能にする。これはあらゆるしるしの中の最大のしるしである。そしてなお偉大であるのは、これが議論の余地のない事実であるということである。この事実こそ、神を知る論拠とするのにもっともふさわしい。そしてこのことこそ、しるしよりもさらに偉大なしるしである。このような言葉だけが、人を完全にする。」

『言葉は肉において現れる』の「神の国の時代は言葉の時代」より

2019年6月19日水曜日

東方閃電はどこに由来するのか

 私たちは今、主の再臨の預言が基本的には成就している終わりの日を生きています。そして何千もの敬虔な信者たちが、主イエスの再臨を待ち望んでいます。しかし同時に東方閃電は、主イエスは終わりの日の受肉をし、全能神として既に再臨しており、神の家族から裁きの働きを既に始めているという証を告げ知らせています。東方閃電の現れは、心から神を信じ、真理に飢え渇くすべての人々のみならず、宗教界全体を揺るがせています。全能神の言葉と働きを追い求め、研究することを通して、全能神が主イエスの再臨であることを多くの人々が認め、1人また1人と、全能神の御前に来ています。このことは宗教界の牧師たちや長老たち、中国共産党政権をパニックに陥れました。東方閃電を迫害し、法的に追放するため、宗教界の牧師たちや長老たちと中国共産党政権は共謀し、数々の噂を作り上げ、東方閃電を異端と呼んで激しく非難、中傷を行い、終わりの日の全能神の出現と働きを求め、研究したいと望む忠実な信者たちに妨害を加えて嫌がらせをしています。当時、ユダヤ教世界はローマ政府と同盟関係にあり、主イエスの残酷な迫害という歴史的悲劇を繰り返しました。全能神が主イエスの再臨であるかどうか、そしてそれが神の働きであるかどうかについてはさまざまな説明や異なる見解があります。否定や糾弾をする宗教界の牧師や長老たちに続く人もいれば、東方閃電は聖書の主イエスの預言に関係があると信じる人もいます。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書24章27節)。そして、それは終わりの日の人の子の出現にも関係すると信じているのです。では東方閃電は実際にはどこから現れるのでしょうか。それは神の働きなのでしょうか。それはどのような神秘を伴うのでしょうか。

 神の働きを理解するすべての人々は、その働きがかつてない新しいものであり、決して進歩を止めないことを知っています。ちょうど、神が霊を通して働き、人類の地上の生活を導く律法を与えた律法の時代のように。そして恵みの時代には、神は受肉し、人の子として現れ、主の働きを行い、病人を癒し、悪魔を追放し、多くの奇跡的な行いをし、次の言葉に示されている悔い改めの道を表しました。「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書4章17節)。 その後、十字架につけられ、全人類を贖うという主の働きを完成させました。しかし、人々は神の働きを知らず、傲慢で自己中心的なサタン的な性質を持っており、非常に独善的で、頑なで強情であり、ついには真理に飽き、真理を憎むようになるほどまで観念と想像に固執しているため、神は新たな働きを行うたびに、権力と宗教界の野蛮な冒涜、迫害および非難に苦しまなければならないのです。神の新しい働きを宣べ伝え、証言する人々は、あらゆる形の罪状と不名誉な呼称のレッテルを貼られるだけでなく、残酷な迫害を受ける場合もあります。この事実は新約聖書に記録されています。守ることのできない律法を破り、罰を受ける危険から人類を救うため、神は主イエスの像として受肉し、恵みの時代に贖いの働きを始めました。主イエスがユダヤで働きを行っていた時、多くの奇跡的な行動をし、病人を癒し、悪霊を追い払い、豊かな恵みを人類に授け、数多くの真理を表現しました。このことは、主イエスが神自身であり、イスラエル人が長く待ち望んだメシアであることの証明として十分です。しかし、ユダヤ人の祭司長たち、律法学者たち、そしてパリサイ人たちは頑固に宗教的な考えに固執し、イエスこそ彼らが長い間待ち望んでいたメシアであると信じることをひたすら拒みました。それどころか、聖書のいたるところからイエスに反対する根拠として使える記述を探し出し、主イエスの働きを異端扱いし(使徒24:14参照)、そしてイエス自身を「ナザレ人らの異端のかしら」と呼んで(使徒24:5参照)、中傷し、裁き、非難したのです。彼らはユダヤ人をだまし、煽り立てて主イエスを非難させたうえ、ローマ政府と同盟して彼を十字架にかけて苦しめました。それゆえ、ユダヤ人の国全体が神の性質に背き、かつてない破壊がもたらされることになりました。それゆえ、宗教界と権力者たちから非難され抵抗されることは必ずしも間違っているわけではなく、それは神から来たことであり、神の働きである可能性は非常に高いと言えます。ですから、何かが神の働きであるかどうかを調べる際は、宗教界と権力者たちがそれを認め、受け入れているかどうかに基づいて判断を下すことはできません。律法の時代と恵みの時代に行われたあらゆる働きを見れば、何かが神の働きであるかどうかを決めるのは、主に、その表現されているものが真理であるかどうか、現時点でそれが緊急に人類に必要とされるものであるかどうか、そしてそれが聖霊の働きであるかどうかです。このようにして初めて、それが神の働きであるかどうかを本質的に見分けることができるのです。これは最も重要です。

 終わりの日には、人類はますます深く堕落していきます。人間は完全にそのサタンのような堕落した性質の支配下にあり、無意識のうちにしばしば罪を犯し、昼間に罪を犯して夜になればざんげするような生活を送り、耐え難い痛みの中に生きています。人類はどんどん神から離れ、救いを得るという彼らの望みはさらに不確かになっていきます。罪を犯してはざんげし、ざんげしては罪を犯すような状況から人間を救うために、そして人間たちがそのサタン的な堕落した性質と罪深い束縛と足かせを徹底的に捨て去り、清められ、神の救いを得ることができるように、神は再び受肉し、真理を表現し、堕落した人類を裁き、完全に人類を清めて救う新しい働きを行われます。今回、神は世界の東方の中国で受肉して現れ、働かれます。神は恵みの時代を締めくくり、神の国の時代を始められました。神はかつてないほど高く豊かな真理をもたらし、世界の創造以来の神のすべての働きの神秘を明らかにし、人間を清めて救うであろうすべての真理を彼らに授けました。終わりの日に全能神の働きを受け入れる人々は、全能神が表現する言葉から多くの真理を理解します。彼らには、終わりの日に真理を表現する全能神が真に主イエスの再臨であることがはっきりと分かります。彼らは自身の堕落した性質と罪の根本原因を具体的に知るようになり、サタン的で堕落した性質を解決する道を見つけました。彼らの心は明るく、明晰です。神の言葉の裁き、懲らしめ、試練、そして精錬を経験することによって、彼らのいのちの性質は絶えず変化しています。彼らには救いの希望があり、神の良き聖なる本質と神の義と不可侵の性質について真の知識を持っています。彼らは、神が持っているものとその存在そのものについて実践的な理解と知識を得ています。例えば、神の全能性、知恵、権威などです。彼らは皆、神に対する信仰がもはや空でも不確実でもなく、むしろますます現実に近づいていくことを認識できます。彼らは近しく愛するように真に神を体験します。結果として神を畏れる心を起こし、神に真に従順し、神を思うようになります。そして彼らは皆、終わりの日の全能神の裁きの働きは確かに人間を清め、救うことをよく理解しています。終わりの日に、全能神の裁きの働きと清めの時は短く、その速度は稲妻のように速いのです。わずか20年の間に、神の国の福音は中国本土にくまなく広がり、勝利者の集団をつくり出し、今ではその福音は急速に世界のあらゆる方角のあらゆる国々へと拡大しています。これは具体的に主イエスの預言の成就です。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書24章27節)。それにもかかわらず、宗教界の牧師たちや長老たちは頑なに宗教的な観念に固執し、人間の観念と相反する神の新しい働きに直面して、それを求めたり調べたりしないだけでなく、聖書を振りかざして神に反するのに利用できる間違いを探しています。終わりの日の全能神の働きを無謀にも裁き、非難して、全能神教会を異端の「東方閃電派」であるとして非難しているのです。彼らのふるまいや行いは、ユダヤ人の祭司長、律法学者、パリサイ人が主イエスを非難したときのふるまいや行いと全く同じです。彼らが終わりの日の神の働きを批判、攻撃して、神の足跡を追い、神の働きに従う人々を妨害するなら、彼らはキリストを否定し糾弾した現代のパリサイ人ということになりませんか? 彼らのふるまいの本質は、真理を憎み、聖霊を冒とくするものではありませんか? 全能神の現れと働きに対する宗教界の指導者たちの猛烈な非難もまた、完全に主イエスが再臨を預言した時の言葉の成就です。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカによる福音書17章25節)。 

 もし、全能神が言葉を語らず、神秘を明らかにしないならば、私たちは決して次の預言の意味を真に理解することはできないでしょう。「いなずまが東から西にひらめき渡る」。 全能神は言っています。「すべての人々が注意を払い、すべてのものが再生され復活し、あらゆる人がためらわずに神に服従し、神の重荷の重い責任を負おうとするのは、東から稲妻が現れ、東から西を照らし、この光の到来で地のすべてを畏怖させるときである。この瞬間、神は再び神の新しい生活を始める。……すなわち、東の世界では、神自身が証しされ始める時から、神が働きを始め、神性が地上で主権を発揮し始めるまでである。これは東の稲妻の輝く矢であり、宇宙全体をいつも照らしていた。地球上の諸国がキリストの国になる時は、宇宙全体が照らされる時である。東の稲妻が現れ、受肉した神が働きを始め、さらには神性の中で直接語るのは今である。神が地上で語り始めるときは、東の稲妻が現れるときと言える。正確に言えば、生ける水が玉座から流れ、玉座から発言が始まるのは、七つの霊の発言が正式に始まるときである。」(『言葉は肉において現れる』の「第十二章」より)「宇宙の隅々までわたしはわたしの働きを行っている。東方では、雷のような轟音が終わることなく発生し、すべての国々や宗派を震わせている。すべての人々を現在に連れて来たのはわたしの声である。わたしはすべての人々がわたしの声により征服され、みなこの流れに落ち、わたしの前に帰服するようにする。わたしはずっと前に全地からわたしの栄光を取り戻し、東方で新たにそれを発したからである。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしの再臨を心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを思慕しない者がいるだろうか。光の元へ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを見上げようとしない者がいるだろうか。『贖い主』が再び来るのを待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は全地の隅々まで広められるであろう。わたしはわたしに選ばれた者に向かって、彼らにもっと話しかけたいと願う。山々や川を震わせる強大な雷のように、わたしは全宇宙と人類にむかってわたしの言葉を話しかける。そしてわたしの口にある言葉は人の宝になり、すべての人々はわたしの言葉を大切にする。稲妻が東から西へひらめき渡る。わたしの言葉は、人が決して手放したくないもの、そして測り難いものであるが、それ以上に彼らにさらなる喜びをもたらすものである。生まれたての赤児のように、すべての人々は喜びに満ち、わたしの到来を祝う。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れて来る。その時から、わたしは正式に人類へ入る、人々がわたしを礼拝するために。わたしから放たれる栄光とわたしの口にある言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、またわたしが東方の『オリーブ山』に降ったことも知るようになる。…なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の中から去って、その後栄光と共に再び人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた『赤児』である。それだけでなく、わたしは今の時代の栄光に満ちた全能神である。」(『言葉は肉において現れる』の「七つの雷が轟く――神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」より)全能神の言葉から、終わりの日の神の働きと言葉は東方から閃く稲妻だということが分かります。「稲妻」は偉大な光であり、神の言葉、終わりの日の神の裁きと懲らしめの道です。「東方から閃く」という句は、中国から現れることを意味し、「西へひらめき渡る」は、西方に到達することを意味します。最後に、「人の子も現れるであろう」は、神が受肉することと最初の現れ、そしてその働きを東方の中国で始められることを指しています。そこで神は真に神を知る人々の集団を形成します。彼らは黙示録で預言されている勝利者たちです。そしてこの人々を通して、終わりの日の福音はすべての人々が終わりの日の神の救いを受けられるよう、西方にまで広がるのです。このことは今では達成され、誰でも分かる事実です! 東方の稲妻(中国における終わりの日の神の裁きの働きと同義)によって私たちは神が人間に授けたすべての愛と救いを受けられるようになり、神の真の顔を知ることができます。私たちの中に神に対する真の畏敬の念と賛美が起こります。稲妻のように、神の言葉は人間に光と希望を与えます。東方の稲妻、つまり終わりの日の神の働きを受け入れた人々は皆、このことの証人になることができます。

 さて、これを読んだ皆さんは東方閃電の起源は何かという問いに対して明快な答えを得たことと思います。神は天地とすべてのものの創造主です。人間はサタンによって堕落したため、神は人間を救う働きを始められました。神は全宇宙のすべての人々が神の御業を理解し、信仰をひとつにして創造主を礼拝することを望んでおられます。そうすれば神は、神の出現を真に求め、その足跡をたどるすべての人に、清さと救いを達成させるでしょう。神は、みこころに従う人々を神の国に連れて行き、主と共に憩わせるでしょう。ですから、真に神を信じ、主イエスの再臨を待ち望む兄弟姉妹の皆さんそれぞれが、宗教的観念を退け、真の道を研究すべきです。真の道に盲目的に反対する噂に耳を貸さないでください。それは終わりの日には神の救いを失う結果になるからです。私たちは神の働きの段階に歩調を合わせ、神の足跡を忠実にたどらなければなりません。これが、最終的に神の救いを得て、神によって神の国に入れられる唯一の方法です。

2019年5月31日金曜日

朗読 神の言葉「神の現れによる新時代の到来」(抜粋)

 全能神は言われた。「私たちがたどっているのは神の足跡である。神の足跡を探し求めている私たちは、神の心と、神の言葉、神の発する声を探り求める必要がある。神の新しい言葉があるところには神の声があり、神の足跡があるところには神の業があるからである。神による表現があるところには神の現れがあり、神の現れがあるところには真理と、道と、いのちがある。...もし神の現れをその目で見たいと思うなら、神の足跡をたどりたいと願うなら、自分自身の観念というものを超越しなければならない。神にこれをせよあれをせよと命じることは許されない。ましてや神を自分の枠の中に閉じ込めたり、自分の観念の中に押し込めたりすべきでない。そうではなく、どのように神の足跡をたどるべきか、どのように神の現れを受け止めるべきか、どのように神の新しい働きに従うべきかと問うべきなのである。これが人のすべきことである。人は真理ではなく、真理を持っているわけでもない。だから人は探し求め、受け入れ、従うべきである。」

福音書 |『言葉は肉において現れる』より

2019年5月23日木曜日

義なる全能の神様を賛美しよう 全能神教会韓国語合唱団第10集



   世の終わりのキリスト――全能神は、元来の義なる性質を帯びて既に人類の間に現れ、広く憐れみを施し、深く怒りを発して、人類に向かって真実の神自身を現しました。神様はずっと人類を憐れみ、容赦しており、また、怒りをもって人類を警告しています。神様の憐れみ、慈しみと威厳、激怒のため、人は神様を心から畏れるようになり、神様の聖さ、義のため、人類は光明と正義の現れを見ることができました。今、ますます多くの、真心で神様を信じる人は神様の声を聞き、神様の玉座の前に戻り、これは正に「私の民は必ず私の声を聞く」という神様の言葉の実現です。全宇宙のすべてのことは神様の言うとおりになり、神様は言ったからには必ず成し遂げ、成し遂げるからには必ずそのようになり、しかも永遠に続きます!

もっと注目:全能神教会韓国語合唱団 第11集
                    全能神教会韓国語合唱団 第9集


2019年4月30日火曜日

朗読 神の言葉 「唯一の神自身 2神の義なる性質」 その1



朗読 神の言葉 「唯一の神自身 2神の義なる性質」 その1
(1)頑なに神に反対する者は、神の怒りにより破壊される
ソドムの腐敗:人間にとっても、神にとっても、激怒に値する
ソドムは神の怒りを示すために滅ぼされた
ソドムによる神への反抗と敵対の繰り返しの後、神はソドムを完膚なきまでに根絶した
『言葉は肉において現れる』より

おすすめ朗読
朗読 主イエス・キリストの再臨の御言葉 「唯一の神自身 2神の義なる性質」 その2

朗読 主イエスの再臨の御言葉 「唯一の神自身 2神の義なる性質」 その3



2019年3月18日月曜日

クリスチャン映画「福音の使者」 神の福音を伝えることはクリスチャンの責任だ 予告編 日本語吹き替え



クリスチャン映画「福音の使者」 神の福音を伝えることはクリスチャンの責任だ 予告編 日本語吹き替え
キリスト教徒チェン・イーシンは主を長年信じ、終わりの日の主イエス・
全能神をお迎えする幸運に恵まれていた。彼女は全能神の御言葉から、人類を一刻も早く救いたい神の御心と、被造物が果たすべく使命と責任を理解したため、福音を伝えて終わりの日の神の働きを証し始めた。その間、多くの都市や省に渡り、何度も宗教界からの抑圧と拒絶や中共政府による追跡と迫害に見舞われる。多くの苦難に遭う彼女だが、神の御言葉の導きの下、使命を背負い続け、危険を恐れず勇敢に前進する。

2019年3月13日水曜日

キリスト教讃美歌「人の子が現れました」神の祝福がゆえに本当の楽しみがある



キリスト教讃美歌「人の子が現れました」神の祝福がゆえに本当の楽しみがある
世界の東から(東…東…)
一筋の光が現われ(光…光…)
西の果てまで照らします
人の子が地に降臨しました
Ⅰ
救い主が戻られました、彼は全能神
真理を表し、新時代を始めました
人の子が現れました。(本当?)
神が来られました。(おお!)
神は人類に永遠のいのちの道をもたらします
新しい天と地、新しい時代
新しい人間、新しい道、新しい生活
新しいエルサレムが地に降臨しました

私達は神の家へ戻り
教会生活をおくり
神の言葉を毎日飲み食いし
神の愛の中で育ちます
さあ、来て歌いましょう!(よし!)
私は踊ります!(踊ろう!)
私達の生活はまことに楽しい。(真に楽しい)
私達は神と一緒にいます。(真に楽しみます。)
私達は神の祝福を得ています。(真に幸せ)
キリストの国は暖かい家庭です

全能神、終わりの日のキリスト
私達がお慕いする最愛の人
神が発するあらゆる言葉は真理で
私達を潤します
神は振る舞い方、正直になる方法を
私達に教えてくださいます
神の祝福の中で生き
私達は心から神を愛します

神の言葉の裁きは全ての人々の心を征服します
神の民は清められ、神を証しします
心を一つにし(本分を尽くす)
神の愛に報い(神を証しする)
神の国の福音を宣べ伝えよう。(神の国の福音)
神の言葉は世界中に伝わります
神の聖き名は皆に賛美されます
キリストの国はこの地に実現されます
心を一つにし(本分を尽くす)
神の愛に報い(神を証しする)
神の国の福音を宣べ伝える。(神の国の福音)
神の言葉は世界中に伝わります
神の聖き名は皆に賛美されます
キリストの国はこの地に実現されます
キリストの国はこの地に実現されます
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

2019年3月9日土曜日

讃美歌「受肉した神は静かに救いの業を為す」キリストの愛は確かなものだ



讃美歌「受肉した神は静かに救いの業を為す」キリストの愛は確かなものだ

Ⅰ

神は肉となり、人の中に隠れ

新しい業で私たちを堕落から救う

神は説明するよりも

自ら立てた計画の 通りに少しずつ業を為していく

神の言葉は日ごとに増え

人を慰め、思い出させ 叱責と警告を与えている

穏やかで優しいものから 荒々しく威厳あるものまで

神の言葉には憐みと畏れがある

神の言葉全ては最も深い秘密を暴く

私たちは心を刺され、恥入る

神の生ける水は尽きず、彼の

おかげで私たちは神と顔を合わせて生きる

Ⅱ

神の言葉はいのちの力に満ち

歩むべき道を示し真理を教えてくれる

目立たぬ人の姿だが

私たちはその言葉に惹かれ

彼の口調と心の声に耳を傾ける

彼は全ての努力を尽くし その心から血を流す

私たちのために嘆き、痛みに泣き

その行く先と救いのために 恥を忍び、その心は

私たちの反抗ゆえに血を流し、泣く

こんな存在と属性を持つ者は他にない

誰も彼の忍耐強さには及ばない

どんな創造物も彼のような

愛と忍耐を持つことは決してできない

神は肉となり、人の中に隠れ

新しい業で私たちを堕落から救う

神は説明するよりも

自ら立てた計画の

通りに少しずつ業を為していく

そうだ、神は少しずつ業を為していく

『言葉は肉において現れる』より


2019年2月26日火曜日

クリスチャンの証し「党の話は済んでない」中国共産党がクリスチャンの家庭を壊す証拠 完全な映画



クリスチャンの証し「党の話は済んでない」中国共産党がクリスチャンの家庭を壊す証拠 完全な映画
リー・ミンアイは中国本土に住むキリスト教徒です。彼女は高潔な人柄の女性で、義父母を敬い夫を支え子供を教育し、幸せで平和な家庭を持っています。しかし無神論が支配する中国では、中国共産党政府が常に神を信仰する人々の逮捕と弾圧に躍起になっています。2006年にリー・ミンアイは神への信仰を理由に逮捕され罰金を課せられました。釈放後も、中共警察は幾度となく彼女と家族を脅迫し、彼女が神への信仰を続けることを妨げようとしました。ある日彼女が集会のために外出している時、密告者の通報により、警察が彼女を逮捕しようと家にやって来ました。彼女は家を離れることを余儀なくされ、様々な場所に隠れる逃亡生活が始まりました。中共警察はなおも彼女を狙い続け、常に家を監視し、逮捕のチャンスを窺います。ある晩、リー・ミンアイは家族に会うため密かに自宅に戻りますが、すぐに警察が飛んで来て捕えようとします。幸いある人の忠告のおかげで、災難を切り抜けました。それから3年後、家から遠く離れた地で信仰を実践し本分を果たしていた彼女は、中共警察に付け狙われ逮捕されてしまいました。警察は彼女に非人道的な拷問と苦痛を与え、家族愛を利用して彼女を誘惑しようとしました。子供から就学の権利を奪う、将来公職に就く道を閉ざす等の脅しで、母親に信仰を捨てさせ、教会の指導者を裏切らせ資金の場所を白状させようとしました。そんな中、リー・ミンアイは神に祈り、神にすがりました。神の御言葉に彼女は光と導きを見出しました。中共警察の拷問や苦痛に耐え、サタンの策略を見抜き、神を裏切るまいと決意し、断固として神を証ししました。中共警察の尋問は成果がなく彼らは面目を潰されて激怒しました。リー・ミンアイに囚人服を着せて故郷の街に引きまわし公衆の目に晒しました。そのようにして辱めて、家族に対して、彼女に神を裏切り教会を売るよう説得させようとしました。中共警察が家族の苦しみを彼女の信仰のせいにしていることに彼女は非常に腹を立てます。義憤に満ちた彼女は、中共政府がキリスト教徒を逮捕し、弾圧している悪しき現実を怒りながら明るみに出しました。キリスト教徒の家族を引き裂いている張本人は中共政府であり、政府は人々にあらゆる災難をもたらす大悪党であると訴えました。このようにして彼女は中共に、徹底した屈辱的な敗北を与えるのです。