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2020年1月30日木曜日

[東方閃電]全能神教会 ゴスペル音楽 「失われた時は二度と戻ってこない」神からの終わりの日の警告



Ⅰ
目覚めよ!兄弟姉妹たち!
神の日は遅れることがない
時は命、時をとらえることは命を救い
その時は近い
試験なら、落ちたとしても
学び直し、再挑戦できるが
神の日は決して遅れないことを
あなたは知らなければならない
Ⅱ
覚えておくように
神のこれらの良い言葉は
あなたを促すためにある
終わりは目前で
災害が近づいている
大切なのはあなたの命か
それとも食べ物や衣服だろうか
今、熟考するべき時が来たのだ
Ⅲ
人類は何と惨めで
貧しく盲目で、残酷なのか!
神の言葉は耳のそばを吹きゆく
風のようなものなのか
神の話は無駄だろうか
何故あなたはまだ怠慢なのか
神がこれらを誰に言っているのか
一度も考えたことはないのか?
神を信じなさい
神はあなたの救い主
そして全能者なのである
見張り続けよ
失われた時は戻らず
後悔に効く薬はない
神はどのようにあなたに告げるのか?
神の言葉は熟考に値しないのか?
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

2018年2月22日木曜日

【東方閃電】全能神教会の御言葉カード

【東方閃電】全能神は言われた。






全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2018年2月9日金曜日

【東方閃電】全能神教会の御言葉讃美歌「人にとって神の愛が如何に重要なことか」


Ⅰ 聖書の「神はアダムに 命じられた」場面は 感動的で暖か 神と人の関係が 親密であることが不思議で憧れずにはいられない Ⅱ 神の多大な愛は 人の周りにあり、十分与えられる 人は純粋無垢  神のもとで不安なく幸せに暮らす 神は気遣い、人は護られる 人のすべての言動は 神と引き離せない Ⅲ 人類創造の時から神は人を導いてきた どんな導きだろう? 人は神に守られ 神を信じ、言葉に従うよう望む まず神はこれを人に求めたのだ Ⅳ 神は人に命じてこう言った 「園のすべての木から取って食べなさい ただし、善悪の知識の木からは 決して食べてはならない 食べると必ず死んでしまう。」 これこそ神の意志で 人への関心の表れである Ⅴ この言葉からわかる神のこころ 愛や思いやりあるのだろうか 神の思いやりはあなたに 良心や情があれば その温もりと幸せな 祝福を 感じられるでしょう Ⅵ その時、あなたは神にどう向かうだろう 忠実だろうか? 敬虔な愛が心に芽生え育つだろうか? 心寄せるだろうか? 神の愛はなんて大事なもの 神の愛を感じ理解することはさらに 大切なこと 『言葉は肉において現れる』より



私たちについて:全能神教会の紹介 
世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しまょう


2018年2月7日水曜日

2018年2月4日日曜日

【東方閃電】全能神教会の御言葉カード

神は言われた。





[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2018年2月3日土曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉讃美歌「このように神は全てを統べ治める」



このように神は全てを統べ治める Ⅰ 産声を上げ この世に生まれた時から  人は自分の義務を行う  神の計画と采配の中  自分の役割を担い 人生の旅を始める  どんな経歴・旅路があろうと 誰も天にある指揮と采配を逃れられない 誰も運命をコントロールできない 全てを統べ治める方のみ  全てなすことができる  Ⅱ 人間が存在するようになった日から  神の業はゆるがない この宇宙を営みを  万物の変転と運行を見守り指揮している 全ての被造物と 同じように 人は知らずに  甘美な滋養・雨・露を神から受け 全ての被造物と 同じように 人は知らずに 神の指揮のもと 生かされているのだ  Ⅲ 人の心と霊は神の手の中にある 神の眼は人の全生涯を 見通しているのだ それをあなたが 信じようと信じまいと  生きているもの 死んでいるもの  あらゆるものが 神の意思により移り変わり  新たになりそしてやがて消えてゆく  いつもこのように神は全てを 統べ治めている 『言葉は肉において現れる』より



私たちについて:全能神教会の紹介
もっと知る: [東方閃電]全能神教会はどうやって創られたでしょうか


2018年1月31日水曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉讃美歌



神は耳を傾け従うものを大切にする Ⅰ 人の階級を 神は気にしない 神に耳傾け、従い、委ねば 神の業、計画、心に協力できる 神の心や計画妨げられず進む このような行い、神の胸に留まり 神の祝福を得るに値する このような人々を、神への愛を 神は大切にする これが神の意向 Ⅱ 人の階級を 神は気にしない 神に耳傾け、従い、委ねば 神の業、計画、心に協力できる 神の心や計画妨げられず進む このような行い、神の胸に留まり 神の祝福を得るに値する このような人々を、神への愛を 神は大切にする これが神の意向 『言葉は肉において現れる』より


[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


2018年1月30日火曜日

【東方閃電】全能神の発表「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」


いのちの道は、誰でも持てるものではなく、誰にでも簡単に得られるものでもない。なぜなら、いのちは神のみに由来しているからだ。それはすなわち、神自身のみがいのちの本質を持っており、神自身なくしていのちの道は存在せず、神のみが、いのちと永遠に流れつづけるいのちの生ける泉の源であることを意味する。神が世界を創造したとき以来、神はいのちの活力に関わる多くの働きをし、人にいのちを与える多くの働きをし、人がいのちを得られるよう多大な代償を払ってきた。神自身が永遠のいのちで、神自身が、人が復活できる道だからである。神が人の心に不在であることはなく、常に人の中に生きている。神は人の生活の原動力であり、人の存在の基盤であり、誕生後の人の存在にとっての豊かな鉱物である。神は人を生まれ変わらせ、人が自分の持つあらゆる役割においてしっかりと生きられるようにする。神の力と、神の消えることのないいのちの力のおかげで、人は何世代も生きてきた。その間ずっと、神のいのちの力は人の存在の支えであり、神は普通の人間が誰も払ったことのないような代償を払ってきた。神のいのちの力は、いかなる力にも勝る。そしていかなる力をも超越する。神のいのちは永遠であり、神の力は非凡であり、神のいのちの力はいかなる被造物や敵の力によっても簡単に圧倒されない。神のいのちの力は存在し、時と場所にかかわらず明るい輝きを放つ。神のいのちは、天や地が激変する間も永遠に不変である。万物は過ぎ去るが、神のいのちは依然としてそこにある。それは、神が万物の存在の源であり、それらの存在の根幹だからだ。人のいのちは神に由来し、天の存在は神に拠り、地の生存は神のいのちの力から生じる。活力を有するいかなる物体も神の主権を越えることはできず、いのちの力を有する何物も神の権威の及ぶ範囲から逃れ出ることはできない。このようにして、誰もが神の支配下に服従し、神の命令の下で生きねばならず、誰も神の支配から逃れられない。
もしかしたら今、あなたはいのちを受け取りたいと望んでいたり、真理を得たいと望んでいたりするかもしれない。いずれの場合にも、あなたは神を見つけだし、あなたが頼れてあなたに永遠のいのちを与える神を見つけたいということだ。永遠のいのちを得たいと望むなら、あなたはまず永遠のいのちの源を理解せねばならず、神がどこにいるのかを知らねばならない。わたしは、神のみが永久不変のいのちで、神のみがいのちの道を持っていると既に言った。神のいのちは永久不変なので、それは永遠のいのちである。神のみがいのちの道なので、神自身が永遠のいのちの道である。それだから、あなたはまず神がどこにいるのか、そして永遠のいのちの道を得るにはどうしたらよいかを理解しなければならない。では、この二つの点について、それぞれ話そう。
あなたが本当に永遠のいのちの道を得たいと望み、飽くことなく探し続けているなら、まずこの質問に答えてほしい。今日、神はどこにいるのか?おそらくあなたは、神は天にいると答えるだろう。もちろん、あなたの家に住みはしないだろう。あなたは、神は明らかに万物の中にいると言うかもしれない。もしくは、神は各々の心の中に住んでいると言うかもしれないし、神は霊的世界にいると言うかもしれない。これらのどれも否定はしないが、問題を明確にしなければならない。神が人の心の中に住んでいるというのは全く正しいわけではないが、かと言って全く間違っているわけでもない。すなわち、神を信ずる者の中には、その信仰が本物である者と偽物である者、また神が認める者と認めない者、神を喜ばせる者と神が嫌う者、そして神が完全にする者と神が排除する者がいるからだ。だから神は一握りの人の心にのみ住んでいるとわたしは言う。この人たちは疑いなく真に神を信じ、神に認められ、神を喜ばせ、神はこの人たちを完全にする。神はこのような人たちを導く。彼らは神に導かれていて、既に神の永遠のいのちの道を見聞きしている。神への信仰が偽物であり、神に認められず、神に嫌われ、排除される者たち――彼らは神に拒絶され、いのちの道を得られず、神がどこにいるのかに関しては無知なままでいるしかない。対照的に、心に神が住んでいる者は、神がどこにいるかを知っている。彼らは、神が永遠のいのちの道を与える者たちで、神に従う者たちだ。あなたは今、神がどこにいるかを知っているか。神は、人の心の中と、人の傍の両方にいる。神は霊的世界にいて、全てのものの上にいるだけでなく、人が存在する地上に、それ以上にいる。だから、終わりの日の到来により、神の働きの段階は新たな領域へとすすんだ。神は万物に対して支配権を持っており、人の心に根幹として存在し、さらに神は人の間に存在している。このようにしてのみ、神はいのちの道を人類にもたらすことができ、人をいのちの道へと導く。人がいのちの道を得ることができ、生存できるように、神は地上に来て、人の間に住む。同時に、人の間での自分の計画に沿うように、神は万物を支配する。だから、あなたが神は天と人の心にいるという教義のみを認め、人の間での神の存在の真理を認めないのなら、あなたは決していのちを得ることはないし、真理の道を得ることもない。
神自身がいのちであり、真理であり、神のいのちと真理は共存している。真理を得られない者がいのちを得ることは決してない。真理による導き、支え、施しがなければ、あなたは文字と教義、そしてさらには死しか得られない。神のいのちは常に存在し、神の真理といのちは共存する。真理の源を見つけることができないなら、いのちの栄養は得られないだろう。いのちの施しを得られないなら、もちろん真理は全く得られないので、想像と観念以外には、あなたの肉全体はただの肉、臭い肉でしかない。活字による言葉はいのちとはみなされず、歴史の記録は真理として敬われることはなく、過去の教義は神が現在話している言葉の記録とはみなされない。神が地上に来て人の間に生きているときに告げたものだけが真理であり、いのちであり、神の心であり、神が実際に働くやり方である。昔神が語った言葉の記録を現代に適用しようとするのなら、あなたは考古学者であり、あなたにぴったりの表現は歴史的遺産の専門家ということになる。なぜなら、あなたは常に神が過ぎ去った時にした働きの痕跡を信じており、神が以前人の間で働いた時に残した神の影しか信じておらず、神が昔自分を信じる者に与えた道しか信じていないからである。あなたは、神の今日の働きの方向を信じておらず、今ある神の栄光に満ちた顔を信じておらず、現在神が表している真理の道を信じていない。それゆえに、あなたは間違いなく完全に現実から遊離した空想家である。もし今、あなたがなお人にいのちをもたらすことのできない言葉に固執するなら、あなたは望みのない一片の枯れ木[a]だ。あなたは保守的すぎで、あまりに強情で、理性がなさすぎるからだ。
神は肉となりキリストと呼ばれ、真理を人に与えることのできるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、彼は神の本質を持っており、神の性質を持っており、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからだ。自らキリストを称するが、神の働きを行えない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、神が人の間で業を行い完成させるため神が宿った特有の肉体である。この肉体は、誰でも代われるものではなく、地上における神の業を適切に引き受け、神の性質を表し、神を十分に象徴し、人にいのちを与えるものである。遅かれ早かれ、キリストを騙る者はみな倒れる。彼らはキリストと自称しながら、キリストの本質は全く持っていないからだ。だから、キリストの真偽は人が定めることのできるものではなく、神自身が答え定めるものだとわたしは言うのだ。このようにして、あなたが真にいのちの道を求めるなら、あなたはまず、神は地上に来ることで人にいのちの道を与えるということを認め、そして神が人にいのちの道を与えるために地上に来るのは終わりの日なのだと認めなくてはならない。これは過去のことではない。今起こっていることなのだ。
終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。あなたが終わりの日にキリストが与えるいのちの道を求めないのなら、あなたは決してイエスに良しと認めてもらうことはできず、天の国の門をくぐる資格を得ることはない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり歴史に囚われた人だからだ。規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることはなく、永遠のいのちの道を得ることはない。なぜなら、彼らが持っているのは、玉座から流れるいのちの水ではなく、何千年も滞留したままの濁った水でしかないからだ。いのちの水を与えられない者は永遠に死体であり、サタンのおもちゃであり、地獄の息子たちである。そのような者がどうして神に会うことができようか。あなたが過去にしがみつき、足踏みをしながら現状維持しようとし、現状を変え歴史を棄てようとしないなら、あなたは神に常に反することになるのではないか。神の働きの段階は、押し寄せる波や轟く雷鳴のごとく広大で力強い。それでも、あなたは自分の愚に固執して何もしないまま、座して自滅を待っている。このままで、あなたが小羊の足跡をたどる者だと見なされることはあろうか。あなたが神として手放さずにいるものが、常にあたらしく、古くなることがないと証明できようか。あなたの黄ばんだ本の言葉があなたを新しい時代に運んでくれることがあろうか。神の働きはどのように進めるべきかを求めるように、それらがあなたを導いてくれようか。そして、それらがあなたを天国に引き上げられるだろうか。あなたの手につかんでいる物は、つかの間の慰めを与えられる文字でしかなく、いのちを与えられる真理ではない。あなたが読む言葉は、あなたの舌を肥やせるだけで、あなたが人の人生を知るうえで助けとなる知恵の言葉ではなく、ましてやあなたを完全にするように導いてくれる道などではない。この食い違いを見て、あなたはよく考えてみようとは思わないだろうか。そこに含まれる奥義を理解させてはくれないだろうか。あなたは、自分で自分を天国に引き上げ、神に会わせることができるのか。神が来なくても、あなたは自らを天国に引き上げ、神と共に家族の幸福を楽しむことができるのか。あなたは未だに夢を見ているのか。それなら、わたしは勧める。夢を見るのを止めよと。そして誰が今働いているのかを見よと。誰が今、終わりの日に人を救う働きをしているのかを見よと。そうしなければ、あなたは決して真理を得ることはなく、決していのちを得ることもない。
キリストが語る真理に依り頼むことなくいのちを得ることを望む者は、地上で最も愚か者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は幻想の世界で迷子になった者だ。だから、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われるとわたしは言う。キリストは、終わりの日に神の国への門となる存在であり、誰も迂回することはできない。キリストを通してでなければ、誰も神に完全にしてもらうことはできない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神が用意する道を受け入れなくてはならない。真理を受け取ったり、いのちの供給を受け入れることなく、祝福だけを得ようと考えたりすべきではない。キリストは、神を真に信じる者がいのちを得ることができるように終わりの日に来る。神の働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道だ。あなたが神を認めず、神を非難したり、冒涜したり、さらに迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそ、聖霊の現れであり、神の顕現であり、神が地上で業を行うために託した者だからだ。だから、あなたが終わりの日のキリストがする全てのことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言うのだ。聖霊を冒涜する者が受けなければならない罰は、誰の目にも明らかだ。そして、あなたが終わりの日のキリストに敵対し、否定するなら、誰もその結末をあなたに代わって引き受けることはできないともわたしは言おう。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえあなたが自らの罪を贖おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが敵対したのは人ではなく、あなたが否定したのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからだ。あなたはこの結末に気づいているのか。あなたが犯したのは小さな過ちではなく、重罪だ。だから、全ての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりすることのないように。あなたにいのちを与えるのは真理以外にはなく、あなたを生まれ変わらせ、神の顔を仰ぐことができるようにしてくれるものは、真理以外にはないからだ。
脚注:
a. 一片の枯れ木:中国の成語で、「手の施しようがない」という意味。


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2017年12月2日土曜日

【東方閃電】全能神の発表「十六番目の言葉」



人間に言いたいことは、まことに数多くある。わたしが人間に言わなければならないことが実に多いのだ。しかし、人間の理解する力はあまりに限られている。わたしが語る言葉をそのまま完全に把握することができないのだ。そして、一つの点だけを理解し、他のことには気づかずにいる。だが、人間が無力だからといって、死に至らせることを、わたしはしない。また、人間の弱さに心を悩ませることもしない。ただ自分の働きをし、ずっとそうしてきたように語るだけのことだ、たとえ人間はわたしの心を理解しなくとも。その時が来れば、人々はわたしのことを心深く理解し、わたしを念頭に置くようになるだろう。わたしが地上を離れるその時こそ、わたしが人間の心の玉座につく時なのだ。つまり、そのときにはすべての人がわたしを知るのだ。そのときもわが子らと民とが世界で支配し、力を振るう時なのだ。わたしを知る者は、必ずやわが国の柱となる。そういう人々こそがわたしの国で支配し、力を振るう資格を持つのだ。わたしを知る者はみな、わたしであるものがその人のうちにあり、すべての人々の間で、わたしを生かし出すことができる。人間がどれほどわたしを知っているかは、気にしない。結局のところ、誰一人、わたしの働きを妨げることはできないのだ。そして、人間はわたしを手伝うことも、わたしのために何かをすることも、できはしない。人間にできることは、わたしの光の中でわたしの導きに従い、その光の中でわたしの旨を求めることだけだ。今日、人々は資格を得ると、わたしの前を意気揚々と歩き、心のままにわたしとともに笑い、冗談を言い合えるものと信じている。そして、対等の者としてわたしに話しかける。それでも人間はわたしを知らないのだ。それでいて、自分たちは本質的にわたしと対等であって、等しく肉と血をもち、人間の世界に住んでいると信じている。人間のわたしへの敬意は実に貧弱なものだ。わたしの前にいるときは、わたしを畏れるが、霊の前でわたしに仕えることはできない。まるで、人間には霊がまったく存在していないかのようだ。その結果、誰一人霊を知らず、すべての人は、人として顕現したわたしの肉と血だけを見て、神の霊は見ない。そんなことで、ほんとうにわたしの心を実現できるのだろうか。人々はわたしを欺くのに巧みである。わたしを欺くために、サタンから特別の訓練を受けたかのようだ。しかし、サタンはわたしの邪魔にならない。わたしは自分の知恵で人類すべてを征服し、すべての人類を堕落させる者を打ち負かそう。わたしの国がこの地上に築かれるように。
人間の中には、星々の大きさを測り、宇宙の広さを見極めようとする者たちがいる。しかし、彼らの研究はけっして実を結ばない。そして、失望に頭を垂れ、失敗を認めるしかないのだ。すべての人々の間にあって、人間の失敗のありさまを観察していると、誰一人完全にわたしを信じている者はなく、心から服従、委ねている者もいないことがわかる。人間の野心とは、なんと大きなことか!淵のおもてがすべて濁っているとき、人々の間にあって、わたしは、この世に生きる苦しみを味わい始めた。わたしの霊は世界中を巡り、あらゆる人々の心を調べる。そうしてさらに、顕現した肉の身においても、人類を征服する。人間はわたしを見えない。盲目だからだ。人間はわたしを知らない。鈍化しているからだ。人間はわたしに敵対する。反抗的だからだ。人間はわたしの前に来てひれ伏す。わたしが征服したからだ。人間はわたしを愛するようになる。わたしが本質的に人間の愛にふさわしいからだ。人間はわたしを生かし出し、わたしを証しする。わたしの力と知恵とが、人間をわたしの心に適う者にするからだ。わたしは人間の心の内に宿るが、その霊において人間の愛を受けたことはない。まことに、人間の霊には何よりも愛しているものがある。それはわたし以外のものだ。それゆえ、人間の愛はシャボン玉のようなものなのだ。風が吹けば、はじけて消え、二度と見ることができない。わたしは常に変わらない態度で人間に接してきた。人間の誰かに、同じようにできる者がいるだろうか。人間の目に、わたしは気づき難く、空気同様、目では見ることができない。そのため、大多数の人々は無限の空や波打つ海原、それとも、穏やかな湖、あるいは虚しい言葉や教義の中にわたしを求めようとする。人類の実質を知る者は一人もいない。まして、わたしの内の奥義について何かを語れる者は誰もいない。それゆえ、人間が、わたしが求めるであろうと予想する最高の境地を、わたしは人間に求めない。
わたしの言葉の中で山は崩れ、水は遡り、人は従順になり、湖はやむことなく流れ出す。海原は空に向かって荒れ狂うだろうが、わたしの言葉の中にあっては、湖の面のように穏やかになる。わたしの手のごくわずかな動きで、激しい嵐は直ちに消え去り、わたしを離れる。そして、人間世界にはすぐに静けさが訪れる。しかし、わたしが怒りを放てば、山は直ちに引き裂かれ、大地はすぐに激しく揺れ動き出し、水はあっという間に涸れる。そして、人間はたちまち災害に見舞われる。激しい怒りがあるために、わたしは人間の叫びを聞かず、訴えに応じて救うことをしない。わたしの怒りが掻き立てられているからだ。わたしが天にあるとき、星々はけっして混乱に陥ることなどなく、星々はわたしのために心から働く。だから、わたしは彼らにより多くの光を与え、より明るく輝くようにした。わたしへの栄光をより多く表すために。天が明るければ明るいほど、その下の世界は暗くなる。まことに多くの人々が、わたしの配剤がふさわしくないと訴えた。まことに多くの人々が、自分たちの王国を造るためにわたしを離れ、それをわたしへの裏切りに用い、今ある闇のありようを変えようとする。しかし、誰が自分の意思でそれを実現したのか。また、誰が自分の意思を成し遂げたのか。誰が、わたしの手の作り上げたものを変えることができるのか。大地に春が訪れるとき、わたしはひそかに、沈黙の内に世に光をもたらす。人間が、空気の中に、ほんのひととき、さわやかさを感じるようにと。しかし、まさにその瞬間、わたしは人間の目を覆い、もやが地上を覆っているようにしか見えないようにするので、人間も物もみな、区別ができなくなる。人々は、どうして光はつかの間しか輝かないのかと、ため息をつくしかない。どうして神は、もやもやと曖昧なものしか与えてくれないのか。人々が失望していると、たちまちもやは消えるが、ほのかな光をみたと思ったとき、わたしが激しい雨を降らせ、人々が眠っている間に、その耳は雷鳴で何も聞こえなくなる。慌てふためいても、隠れる暇もなく、大雨にのみ込まれる。たちまちのうちに、天の下のすべてのものは、わたしの激しい怒りの中、洗い清められる。人々はもはや、大雨に苦情を言わず、みな畏敬の念をもつようになる。この突然の大雨のため、人々の大多数は天から降り注ぐ水に溺れ、水中の死体となる。わたしは全地を眺めて、多くが目覚め、悔い改め、大勢が小舟で水の源を探し求め、多くがわたしの前にひれ伏して赦しを求め、多くが光を見、多くがわたしの顔を見、多くが生きる勇気をもち、全地がすっかり変わったのを見る。この大雨の後、すべてのものはわたしが心に描いたとおりに戻り、もはや逆らわない。やがて、地上のいたるところは笑い声に満ち、地上のあらゆるところからたたえが聞こえ、わたしの栄光の至らないところがなくなる。わたしの知恵は地上のあらゆるところにあり、全宇宙に満ちる。あらゆるものの中にわたしの知恵の果実がみのり、すべての人々の中にわたしの知恵の生み出したものが満ち満ちる。何もかもわたしの国にあるあらゆるもののようである。すべての人々はわたしの天の下、わたしの牧場の羊のように、穏やかに暮らす。わたしはすべての人々の上を動き、至る所を見る。何一つ古びることがなく、誰一人、かつてと同じ人はいない。わたしは玉座に座し、全宇宙の上で憩い、満ち足りている。すべてのものが聖さを取り戻し、わたしは再びシオンで安らかに暮らすことができるからだ。そして、地上の人々は、わたしの導きの下、穏やかで満ち足りて生きることができる。すべての人々は、わたしの手の中で、あらゆることを行う。すべての人はかつての知能と、本来の姿を取り戻す。彼らはもはや塵におおわれてはいない。わたしの国では、人々は翡翠のように純粋で、人の心の中の聖い者のような顔をもつ。わたしの国が人々の間に建設されたからである。
1992年3月14日


私たちについて:全能神教会の紹介
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2017年10月8日日曜日

【東方閃電】全能神教会合唱団動画 | ミュージカルドラマ—「全ての国が実際神を礼拝する」


全ての国が実際神を礼拝する
1 今回は、神は霊体ではなく、まったく普通の体で働きを行うために来る。それは神の二度目の受肉の体というだけではなく、神がその中に戻る体でもある。それはごく普通の肉体である。この体の中に、他の人々と異なるものは何も見受けられないが、あなたは、今までに聞いたこともない真理を彼から受け取ることができる。この取るに足らない肉体は、神から来る真理の言葉のすべてを具現化したものであり、終わりの日の神の働きを引き受けるもの、また人が知るようになる神の全性質の現れでもある。あなたは天の神を見ることを大いに望んでいたではないか。あなたは天の神を理解することを切に願ったではないか。あなたは人類の終着点を見ることを大いに欲していたではないか。彼はこれらの今だ語られたことのない秘密の全てをあなたに語り、あなたが理解していない真理についてさえ話すだろう。彼は、あなたが神の国に入る入り口の門であり、あなたが新しい時代に入るための導き手である。