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2020年4月13日月曜日

[東方閃電]全能神教会 キリスト教寸劇 「あなたは真に悔い改めたか」日本語吹き替え



キリスト教寸劇「あなたは真に悔い改めたか」日本語吹き替え かつて、チャン・ミンエンは家庭教会の説教者でした。 彼は主を長年信じており、その間ずっと、主のために説教し、働き、苦しみ、自らを費やしましたため、自分が真の悔い改めと変化を成し遂げたと信じていました。 しかし、教会の選挙では、チャン・ミンエンは他の兄弟姉妹が教会の指導者や執事として選ばれるのを見届け、一方彼自身は集会を幹事する本分が与えられました。表向きは受け入れて従ったように見えましたが、その本分に非常に不満でした。 彼の妻に、「あなたは誠実には悔い改めて変わっていない」と言われても、納得せず、その後素晴らしい議論が起こります…真の悔い改めと変化は実際に何なのか。本劇「あなたは真に悔い改めたか」をご覧になって、答えを見つけましょう。 もっと注目:
キリスト教会寸劇2019「救いを得れば天国に入れるのか」日本語吹き替え

2019年8月11日日曜日

全能神教会|キリスト教寸劇 「あなたは真に悔い改めたか」日本語吹き替え




キリスト教寸劇「あなたは真に悔い改めたか」日本語吹き替え
かつて、チャン・ミンエンは家庭教会の説教者でした。 彼は主を長年信じており、その間ずっと、主のために説教し、働き、苦しみ、自らを費やしましたため、自分が真の悔い改めと変化を成し遂げたと信じていました。 しかし、教会の選挙では、チャン・ミンエンは他の兄弟姉妹が教会の指導者や執事として選ばれるのを見届け、一方彼自身は集会を幹事する本分が与えられました。表向きは受け入れて従ったように見えましたが、その本分に非常に不満でした。 彼の妻に、「あなたは誠実には悔い改めて変わっていない」と言われても、納得せず、その後素晴らしい議論が起こります…真の悔い改めと変化は実際に何なのか。本劇「あなたは真に悔い改めたか」をご覧になって、答えを見つけましょう。 もっと注目:

キリスト教会寸劇2019「救いを得れば天国に入れるのか」日本語吹き替え

キリスト教会寸劇2019「牧師の『ご厚意 』」 日本語吹き替え



2019年7月20日土曜日

「お母さん、家に帰らない方がいい」


全能神教会の信者の息子が韓国を訪れ、海外逃亡した母親に中国に戻らないよう説いた。帰国すれば即座に逮捕されるからだ。

中国最大のキリスト教 新興宗教団体 である 全能神教会 は国内では 中国共産党 により禁じられ、暴力的な迫害を受けている。数百人の信者が保護を求めて韓国へ脱出している。
その1人に唐璐(タン・ルー)さん(安全のため、本名は公開しない)という女性がいる。彼女も、韓国に行ったからと言って見逃されたわけではない。韓国における全能神教会信者の政治的亡命の申請を妨害するため、中国共産党は脅迫などの手段を使って教会員の中国に住む親族を募っている。そして彼らを韓国に連れて行き、現地で「親族を探す」という口実のもと、デモを行っている。全能神教会信者を中国に引き戻すのが目的だ。先日、唐璐さんの息子も韓国に赴いた。しかし、政府が組織する「親族を探す団体」に属する人々とは異なり、母親に絶対に帰国しないように、と告げた。

息子からの電話

5月10日、全能神教会の信者仲間である王(ワン)さんが、中国の唐璐さんの息子から電話があり、彼女を探していることを伝えた。唐璐さんが国外逃亡以来、3年ぶりに息子から受けた連絡だった。中国共産党がインターネット、電話回線を厳しく監視しているため、唐璐さんは家族に危険が及ぶのを恐れて一度も連絡をしたことがなかったのだ。
唐璐さんは息子が詩を朗読した録音をずっと大切にしていた。彼女は家を出たときに息子の写真を持参しなかったことをBitter Winterに語った。万一通関で逮捕されたら家族を巻き込んでしまう可能性があるからだ。唐璐さんは録音だけを持ち込んだ。3年間、その音声は心中の不安を委ねられる何よりも大事な宝物だった。

母親の懸念

息子が韓国に来るという知らせに唐璐さんは驚喜した。しかしすぐに小さな不安が頭をもたげてきた。近々、韓国の中国共産党支持の活動家、呉明玉(オ・ミュンオ)氏が次の「親族を探す団体」を韓国に連れて来て、全能神教会の難民に嫌がらせをしようとしているのを知っていたからだ。息子もまた中国共産党が管理する「親族を探す団体」の一員で、彼女を無理に中国に帰らせようとするかもしれないのだ。
唐璐さんは、知り合いである熱心な信者、張福氏の事件に言及し、Bitter Winterに次のように報告した。「2016年5月18日に張福兄の妻が子どもを連れて済州島に夫を探しに行きました。彼女の旅に同行したのは中国共産党の工作員でした。工作員の命令で張さんの妻は夫をホテルに閉じ込めました。密かに旅券を抜き取り、財布、クレジットカード、全所持金70万ウォン(約65,000円)を奪いました。そして一緒に中国に帰らせようとして脅したのです。中国共産党の工作員は済州島の空港まで彼を追いかけ、強制的に中国へ誘拐しようとしたほどです。結局、張兄は間一髪で逃亡しました」。
この件を持ち出したとき、唐璐さんはまだ恐怖を引きずっていた。もし息子が中国共産党の工作員と共にやって来たら、どう対処すればいいか分からないだろう。

家族再会

5月14日の午後、唐璐さんは不安と期待の入り混じった気持ちで息子の連絡先番号を受け取った。過去数年間、中国共産党の宗教迫害がますます激しくなっていることをニュース記事で読んでいた。全能神教会は容赦なく迫害されている。亡命の道を選んだときから、再び息子に会うのは難しくなるのは分かっていた。予想に反して今、息子が外国に彼女を訪ねて来るというのだ。唐璐さんは興奮のあまり、考えるのももどかしく急いで息子の番号に電話をかけた。
「電話に出た息子は『ママ』と叫び、泣き続けました」と、唐璐さんは回想した。「胸が痛み、涙があふれました」。そして息子を慰めながら、ソウルにある全能神教会の温水の施設で会う約束をした。

「戻ってはいけない」

ついに再会し、唐璐さんは息子の韓国訪問に中国共産党は関わっていないことを知った。息子は、地元の 公安局 の 国保大隊 の職員が継続的に母親の状況を調査していることを伝えた。最近は自分を訪ねて来たという。彼らは唐璐さんの現在の居場所を追跡するため、家族の中に他に全能神信者がいないかを調べていたのだった。
「ママ、何があっても家に戻ってはいけないよ。僕はもう大人だし、自分のことは自分でできる。お母さんがここで元気でいるのを知って僕は安心したよ」と、唐璐さんの息子は言った。
息子はさらに、国保大隊勤務の友人が国外に住む全能神教会信者の情報を集める部署にいるのだと言った。その友人は韓国にいる全能神教会信者の写真を大量に保持し、その中に唐璐さんの写真もあるという。警察は既に唐璐さんの海外での状況をつかんでいた。彼女が通っている教会堂や教会でのクリスチャンネームまで知っていた。
「国内のウェブサイトに掲載されているニュースはどれも全能神教会を攻撃している。絶対に中国に帰ったらだめだよ」。息子は強く説いた。

惜別

別れの午後、唐璐さんは息子を地下鉄の駅まで送って行った。彼女は泣かなかった。2人とも笑顔を浮かべていた。息子は母親に家に戻らないように、ともう一度言い含め、家のことは自分に任せてほしいと話した。唐璐さんも、自分に会いたくなったときは韓国に来ればよいが、中国共産党に操られないように気を付け、党が組織するいわゆる「親族を探す団体」の一員として来ることがないようにと注意した。
白勝一による報告
この文章は《BITTER WINTER》からです。




2019年5月16日木曜日

キリスト教ドキュメンタリー映画「万物の主権を握るお方」神様の大いなる力を証しする



 キリスト教ドキュメンタリー映画「万物の主権を握るお方」神様の大いなる力を証しする、神様に感謝いたします。広大な宇宙に広がる天体。それぞれが寸分の狂いもなく軌道を回る。天の下では山も、川も、湖もそれぞれの領域を守り、あらゆる生物はいのちの法則に従い、四季を通じて生き、繁殖する・・・全ては美しく、完璧に作られ、配置されている―それを支配する力強い手は存在するのか。この世に生まれた瞬間から、だれもがその人生に託された役割を担う。人はみな生まれ、老い、病み、そして死ぬ―喜びと悲しみを繰り返しながら・・・人はいったいどこから来てどこへ行くのか?私たちの運命は誰が握っているのか。太古の昔から今日まで、偉大な国家が興り、王朝が栄えては、衰退していった。歴史の渦の中で、国々と民族が繁栄しては消えていった・・・自然の法則同様、人類発展の法則にも神の奥義がある。あなたはその答えが知りたいだろうか。ドキュメンタリー「万物の主権を握るお方」が、あなたをその真髄へと導き、奥義を明らかにする。

2019年5月12日日曜日

キリスト教映画「勝利の凱歌」抜粋シーン(6)清めと救いにいたる道




キリスト教映画「勝利の凱歌」抜粋シーン(6)清めと救いにいたる道
終わりの日の神の裁きの御働きでは、どのようにして人を清め救うのでしょうか。真理といのちを得、救われて天国に入る資格を得るために、実際どのようにして神の裁きと刑罰を受けるのでしょうか。この動画がその答えを示してくれます。そして、天国に入る道を指し示してくれます。

2019年4月6日土曜日

教会音楽 礼拝讃美歌MV 「私は喜んで神の働きに服従します」


教会音楽 礼拝讃美歌MV 「私は喜んで神の働きに服従します」
Ⅰ ああ、神よ!私に裁きの働きを為し 私を清め、変え あらゆる事においてあなたの意志を理解し 従えるよう願います あなたが私を救われたことには あなたの絶大な愛とあなたの意志があります あなたが私を救われたことには あなたの絶大な愛とあなたの意志があります 私は反抗的で、堕落した性質を持っていて 私の本性は背信だが 私は人を救うというあなたの意志を理解しています あなたが更に多くの試練と苦痛を私に与え そのような苦しみの中で あなたの手と、あなたの業を見ることができるよう私は願います Ⅱ あなたは私を試し、精錬されるけれども 私はこれがあなたの愛であることを知っています 私の背丈に応じて与えて下さい そうすれば、たとえどんな試練や苦痛があっても 私はあなたの意志を理解し あなたを裏切ったり、不平を言ったりしません そして、あなたに完全に服従し あなたを満足させるでしょう あなたを満足させるでしょう 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より おすすめ音楽 キリスト教 美しい讃美歌 「各国から来た神の民が、ひとつとなって心情を表現する」 https://youtu.be/rZ7GE3CHp9w キリスト教讃美聖歌 「神の新しい業を受け入れる者は祝福される」 https://youtu.be/BzmnMdynenI

2019年4月5日金曜日

キリスト教 ゴスペルダンス 「私達は喜び集い神を賛美します」



キリスト教 ゴスペルダンス 「私達は喜び集い神を賛美します」
賛美し、 喜びなさい!
賛美し、 喜びなさい!
賛美し、 喜びなさい!
賛美し、 喜びなさい!
神の性質はとても素敵です
神を証し賛美することは私達の本分です
兄弟姉妹は共に大喜びです
太鼓をたたき、歌い、踊りましょう
新しい時代を始める肉となった神を私達は賛美します
神自身が人の間で働き、語られます
人の不正を裁き、彼らの堕落を露わにされます
面と向かい、私達は神の現れを見ます
神の性質は憐れみ深く、義と威厳があります
私達は歓呼し、賛美します!
全能神に栄光あれ!
神を賛美するために声をあげましょうそうすれば、私達は力を得ます!HEY!
歌い踊れば、喜びが増します
真心から賛美する者だけが神を愛しています
急いで、神を証し、賛美しなさい!
私達は神の裁きを受け入れ
神の清めと完全を得ます
私達はとても祝福されています
神の素晴らしい救いを受けます
賛美し、 喜びなさい!
賛美し、 喜びなさい!
賛美し、 喜びなさい!
賛美し、 喜びなさい!
神の性質はとても素敵です
神を証し賛美することは私達の本分です
神の業が完全に明らかにされました
神は知恵があり全能です
神は勝利者の一団を造り
サタンを負かして徹底的に辱められた
神は救いによって人類に恵みを示されます
私達は心からひれ伏し礼拝します。HEY!
私達は常に神に服従します
全ての被造物は喜び歓呼します
私達は神を賛美するため、真心を捧げます
私達は神を賛美する@神の栄光が地を覆っているから
私達は喜び集い神を賛美します!
私達は喜び集い神を賛美します!
私達は喜び集い神を賛美します!
私達は喜び集い神を賛美します!
神を賛美します!神を賛美します!
神を賛美します!神を賛美します!
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

2019年4月1日月曜日

キリスト教讃美歌「神は静かにすべての人を満たす」神の愛は非常に美しく善良なものである



キリスト教讃美歌「神は静かにすべての人を満たす」神の愛は非常に美しく善良なものである
Ⅰ
神はいつも
あらゆる所ですべての人の必要を満たす
神は人の思いと心の変化を観察し
必要な慰めを与え
人を勇気づけ導く
神を愛し神に従う者には
神は惜しみなく与え 祝福が現される
神は皆に恵みを与え 憐みは流れ広がる
神が持つもの 存在そのものを惜しみなく与える
Ⅱ
人が神の思いを無視しても
神は人を光の中で導き 満たし
神の道を歩み従うように助ける
決められた最高の行く末を
神の手から受けられるように
神を愛し神に従う者には
神は惜しみなく与え 祝福が現される
神は皆に恵みを与え 憐みは流れ広がる
神が持つもの 存在そのものを惜しみなく与える
神は自分の痛みや心を明かしたことがない
誰も気にせず理解しなくても
愚痴ひとつ言わない
いつの日か彼らが目覚めるのを神はただ待つ
神を愛し神に従う者には
神は惜しみなく与え 祝福が現される
神は皆に恵みを与え 憐みは流れ広がる
神が持つもの 存在そのものを惜しみなく与える
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

2018年6月19日火曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉の抜粋「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」1


 多くの人は、自分がいずれ辿りつく終着点のため、あるいは一時的に楽しみにあずかるために神を信じている。神による取り扱いを経験したことのない者にとって、神を信じることは、天国に行くためであり、また見返りを得るためなのであって、完全にされるためでも、被造物としての本分を尽くすためでもない。つまり、ほとんどの人は、その責任を果たしたり義務を完了したりするために神を信じているのではないのである。実際、意味ある人生を送るために神を信じている人はほんのわずかで、「人は生きている以上、神を愛すべきである。なぜなら、そうすることがごく当然で正しいことであり、またそれが人の天職である」と信じる人もめったにない。このように、人はそれぞれ追い求める目標が違うが、その追求の目的と裏に在る動機はどれも似通っており、しかも、それらの人々は崇拝の対象が大体同じなのである。過去数千年に渡り、多くの信徒が死に、そして多くの信徒が死んで甦った。神を追い求めているのは一人二人というものではなく、いや数千人の単位でさえ足りないが、そのような人々のほとんどは、個人の繁栄や未来の輝かしい希望のために神を求めているのであり、キリストに身を捧げている者はごく少数である。実際、熱心な信徒でさえ、そのほとんどが自らの罠に陥って死に至っており、成功を収めた者の数はさらにほんのわずかである。そして、今日に至るまで、人が失敗してきた原因、あるいは成功できた秘訣は知られていない。キリストを熱心に追い求める人たちでさえ、未だに突然の洞察力を得たわけでもなく、これらの奥義の真相を突き止めたわけでもない。彼らはただ本当に知らないのである。彼らは、涙ぐましい努力をして求めるが、その歩む道は、成功へのそれではなく、既に先駆者が失敗した道なのである。そう考えると、どのように求めたにせよ、それは闇へ向かう道を歩いているということではないだろうか。結局彼らが得るのは苦い果実だけではないのか。過去に成功した者をまねる人が結果的に幸運を得るのかそれとも不運に見舞われるのかということすら予想困難であるのに、過去に失敗してきた人の跡をたどる人の勝算がどれほどあるだろう。失敗する可能性は更に大きいのではないか。彼らの歩む道に何の価値があるというのか。時間の無駄ではないのか。人がその追求に成功しても失敗しても、要するにいずれの結果でもその原因があるのだ。そして成功するか失敗するか、それは思うままに自由に追い求めることでは決まらないのである。

 人が神を信じるために最も基本的なことは、その人が誠実な心を持ち、完全に自分を捧げ、また本当に従うことである。人にとって最も困難なことは、真実なる信仰を得ることと引き換えに、自らの全人生を捧げることだが、それができれば、人は完全なる真理を得ることができ、被造物としての本分を尽くすことが出来るのである。これは、失敗した人たちは会得できないものであり、キリストに出会うことができない人にとっては更に到達できないことなのである。人は、神にそのすべてを捧げることが得意でなく、創造主に対する本分を進んで尽くそうともせず、真理を知ったにも関わらずその道を避けて自分の道を行き、これまで失敗した人の道に沿って追い求め、常に天に背くことで常に失敗し、サタンの誘惑に負け、自らしかけた罠に落ちてしまうのである。人はキリストを知らず、真理を理解し経験することに長けておらず、パウロを過剰に崇拝し、天国に入る欲求だけ強く、キリストが人に従うことを常に要求し、そしてひたすら神に対してもあれこれ指示をする。それだから、偉人と言われる人たちやこの世の苦難を経験した人たちでさえも死を免れず、しかも神の罰により死ぬのである。このような人たちについては、非業の死を遂げると言うしかないが、彼らの結末、つまりその死は正当化するだけの理由があるのだ。そういう人たちの失敗は、天にとってさらに耐えがたい事ではないだろうか。真理とは、人の世から出るが、人の世の真理は、キリストによって伝えられるのである。真理とはキリスト、すなわち神自身から来るものであって、人には達成できないものなのだ。しかし、キリストは真理を提供するだけであって、人が真理を追い求めるのに成功するかどうかを決めるために来るのではない。よって、真理を追い求めるのに成功するか失敗するかは、すべて人の追求にかかっている。これは元々キリストとは一切関係がないものであり、人の追求によって決まるものなのだ。人の終着点やその成功と失敗の責任を神に押し付け、その責任を負わせてはならない。なぜなら、それは神自身には関係がなく、被造物が尽くすべき本分に直結していることだからである。多くの人は、パウロやペテロが追い求めたこと、そして二人の終着点くらいは知っていても、二人の結末以上には何も知らず、ペテロの成功の裏にある秘訣あるいはパウロの失敗を招いた欠点については何も知らない。だから、彼らの追求の本質を見極めることが全くできないのであれば、あなたがたの追求のほとんどは失敗に終わるだろうし、あなたがたの内僅かな者が成功したとしても、ペテロの成功の比ではない。あなたの追求の道が正しいものであれば、成功への希望がもてるだろうが、あなたの真理を追求する道が間違ったものであるならば、永遠に成功することはできず、パウロと同じ結末を迎えることになる。




私たちについて:全能神教会の紹介
世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しましょう

2018年6月18日月曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉カード

【東方閃電】全能神は言われた。「大波もまた何世紀経っても相変わらずで、領地を広げるのを止めなかった。大波は何度も山へと押し寄せたが、山は全く不動のままであった。山は海を見守り、そのために海中の生物が増加し、繁栄した。大波と大きな山は互いに信頼し合い、制限し合い、頼り合っていた。」





私たちについて:全能神教会の紹介
世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しましょう

2018年6月17日日曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉讃美歌「キリストの本質は彼の働きと表現によって決定される」


Ⅰ キリストの本質は彼の働きと表現によって決定される キリストは真の心で 彼に委ねられた事を 成し遂げ 天の神を敬い 父なる神の意志をも 探し求めるのである これらは 全てキリストの 本質により決められる ものであり 彼の生まれ持った 啓示も 同じである 何故ならば 彼の表現は 模倣ではなく  長年に渡る 人間の教養や 教育から  来るものでは ないからである それらの事は 教えられたり 自己の経歴ではなく 生まれ持ったものである それらの事は 教えられたり 自己の経歴ではなく 生まれ持ったものである Ⅱ 人々は キリストの働き 表現や人間性 そして 普通の人間性を 持つキリストの 生涯をも 否定するかもしれない しかし天の 神を崇める 時のキリストの真の 心を 否定する事は 誰にも出来ないのだ キリストは 天の父の意志を 為し遂げる為に ここにいるのであり 父なる神を求める 誠実さを 否定する事は出来ない  彼の姿は 多くの人に  快い印象を 与えないかもしれない 彼の語り方は 多くの人を 驚かせるような 感じはないかもしれない 彼の働きは 人々が 想像の中で 信じている 天地を揺るがすような ものではないかもしれない 父の意志を 真の心と 完全なる服従と そして 命がけの従順さで 成し遂げるのが キリスト・・それがキリストなのだ 彼の本質はキリストの本質であり 信じ難いが確かに存在する真実なのである それは・・信じ難いが確かに存在する真実なのである  『言葉は肉において現れる』より




私たちについて:全能神教会の起源
更に多くの内容:「東方閃電」全能神教会はどうやって創られたでしょうか

2018年6月16日土曜日

【東方閃電】全能神の発表「九番目の言葉」


 あなたは、わたしの家の一員なのだから、また、あなたはわたしの国に誠実なのだから、あなたのすることはすべて、わたしの求める基準にかなうものでなければならない。わたしは、あなたが漂う雲以上のものであることは求めないが、あなたは輝く雪となり、その質とそれ以上の価値をもつものとなるように求める。わたしは聖い国から来たのであり、名前だけで実体のない蓮とは違うのだ。それは聖い国ではなく、沼地で生まれたのだから。新たな天が地上に降りて来て、新たな地が空に広がる時はまた、わたしが正式に人間たちの中で働く時なのだ。人間の中の誰が、わたしを知っているだろう。誰がわたしの到着の瞬間をその目で見ただろう。誰が、わたしには名があるだけでなく、そのうえ、実体を備えているということを知っているだろう。わたしは、手で白い雲を一掃し、空をじっくりと調べる。天空には、わたしの手で秩序立てられていないものはなく、また、天空の下では、わたしの大いなる事業にわずかでも貢献しない者は一人もいない。わたしは地上の人々に数多くの要求はしない。わたしこそは実践の神であり、わたしは人間を創り、人間についてよく知っている全能者なのだから。すべての人は全能者の目の前にいる。地の遠い果てにいる者でさえ、どうしてわたしの霊の目を逃れられよう。人間はわたしの霊を知っているが、人間はまた、わたしの霊に対して罪を犯す。わたしの言葉は、すべての人々の醜い顔をさらけ出し、すべての人々の内奥の考えをさらけ出し、地上のすべてはわたしの光はで明らかになり、わたしに見つめられてひれ伏す。しかし、人間はひれ伏しても、その心はわたしから遠く離れようとしない。被造物の中で、わたしの行いのゆえにわたしを愛するようにならないものがあるだろうか。誰がわたしの言葉の結果、わたしを求めないだろう。誰の内に、わたしの愛のゆえに、仕えの思いを生じないだろう。ただサタンの堕落のために、人間はわたしの求める域に達することができないのだ。わたしの設ける最も低い基準にさえ、人間は不安をもつ。サタンが暴れ回り、凶暴な専制君主のようである今日のことは言うを俟たず、あるいは、人間がサタンによって踏みしだかれ、全身が汚物にまみれていたときでさえ、人間がその堕落のため、わたしの心を案じることができなかったとき、わたしが嘆かなかったことがあろうか。わたしがサタンを憐れんでいるということだろうか。わたしが愛において誤っているということだろうか。人間がわたしに不服従であるとき、わたしの心はひそかにすすり泣く。人間がわたしに敵対するとき、わたしは人間を罰する。人間がわたしに救われ、死からよみがえったとき、わたしは最高の注意をはらって養う。人間がわたしに従うとき、わたしの心は安らかで、ただちに、天と地のあらゆる物事に大きな変化を感じる。人間がわたしを賛美するとき、わたしはそれをよろこばずにはいられない。人間がわたしを証しし、わたしが得るとき、どうしてわたしが栄光を受けないことがあろう。それは、人間のすべての行為がわたしに支配され、また、与えられているのではないということだろうか。わたしが指示を与えないとき、人々は怠惰で無活動であり、わたしの後ろで「賞賛に値する」汚い取り引きをする。わたしが身にまとう肉は、あなたの行いや生活、言葉を何も知らないと思っているのだろうか。わたしは長年、雨風に耐えてきた。また、人間世界のつらさを経験した。しかし、よく考えてみると、どれほどの苦しみも、肉の体を持つ人間にわたしへの希望を失わせはしない。それどころか、どんな甘さも、肉の体を持つ人間に、わたしに対して冷たい態度を取らせ、落胆させ、わたしを軽んじさせることがなかった。人間のわたしへの愛は、苦痛や甘さのない間だけに制限されているのだろうか。

 今日、わたしは肉の体に宿り、公式に、なすべき働きに取り掛かった。しかし、人間はわたしの霊の声を恐れるが、わたしの霊の実体には従わない。人間がわたしの言葉の内に肉のわたしを知ることがどんなに困難であるかは、言うまでもない。以前に述べたように、わたしはわたしの条件を押し付けているのではない。あなたがたがわたしを完全に知ることは必要ではない。(人間には能力が欠けているからだ。これは、生まれながらの状態であり、学習によってそれを乗り越えることはできない。)あなたがたはただ、わたしが肉の形で行い、言ったことを知るだけでよい。わたしの条件は強制的なものではないのだから、あなたがたが知り、達成できることを望むだけである。あなたがたは、この穢れた世界で自身の不純なものを取り除かなければならない。この後進的な皇帝たちの一族の中で、決してたゆむことなく、前進しなければならない。あなたがたは、ほんのわずかも自分に寛容であってはならない。わたしが一日に語ることを理解するにも、あなたはたいへんな時間と努力をささげる必要があるだろう。わたしの話した、たった一つの文を知ることにも生涯の経験の重みがあるのだ。わたしの語る言葉は漠然とした、抽象的なものではなく、むなしい口先だけの話ではない。多くの人は、わたしの言葉を得ようとするが、わたしはそうした人々を無視する。多くの人はわたしの豊かさを求めるが、わたしは彼らにわずかも与えない。多くの人はわたしの顔を見ることを願うが、わたしはこれを隠し続けてきた。多くの人は、わたしの声を熱心に聴くが、わたしは目を閉じ、頭を後ろに傾け、彼らの切望に動かされない。多くの人はわたしの声の響きを恐れるが、わたしの言葉はいつでも、攻勢をとっている。多くの人は、わたしの顔を見ることを恐れるが、わたしはわざと姿を見せて彼らを打ち倒す。人間は、けっしてほんとうにわたしの顔を見たことがないし、ほんとうにわたしの声を聞いたこともない。人間はほんとうにはわたしを知っていないからだ。人間がわたしに打ち倒されても、わたしを去っても、わたしの手によって罰されても、自分のすることがみな、ほんとうにわたしの心にかなうことなのかどうかわからず、誰に対してわたしの心が明かされているか、知らずにいるのだ。世界の創造から今日まで、誰ひとり真にわたしを知った者、真にわたしを見た者はいない。また、今日、わたしは肉の体を持っているが、あなたがたは、いまだにわたしを知らない。これは事実ではないのか。あなたは、わたしの肉における行いや性質のほんのわずかでも目にしたことがあるだろうか。

 わたしは天に横たわり、また、天の下にわたしは休息を見出す。わたしにはどこか住むところがあり、わたしには自分の力を示す時がある。もしわたしが地上にいなければ、肉の内に自分を隠さなければ、またもし、わたしが謙虚に隠れていなければ、天と地はすでにずっと以前に変わっていたのではないか。わが民は、すでにわたしに用いられていたのではないか。しかし、わたしの行いには知恵があり、わたしは人間の欺きについてはよくわかっているが、例に倣うことはせず、交換をする。霊的領域について、わたしの知恵は果てしなく、肉におけるわたしの知恵は永遠である。これこそが、わたしの行いが明らかにされる時なのではないか。わたしは神の国の時代、今日まで何度も繰り返し人間を赦し、許してきた。これ以上わたしの時を遅らせることができるだろうか。わたしはひ弱な人間について、ずっと慈悲深くしてきたが、ひとたびわたしの働きが完了したとき、まだ古い働きをして、かつての問題に取り組まなければならないのか。わざわざサタンに非難させていて、いいのか。わたしは、人間にはただ、わたしの言葉の内容とわたしの言葉の本来の意味とを受け入れる以外のことは何も求めない。わたしの言葉は単純であるが、その実体は複雑である。人間はあまりに小さく、あまりに鈍くなっているからだ。わたしが肉の体でわたしの奥義を直接明示し、わたしの心を明らかにしたとき、あなたがたは、まったく気づかない。あなたがたは、その音を聞いても、意味は理解しない。わたしは悲しみにうちひしがれる。わたしは肉の体をもっているが、肉の職分の働きはできない。

 誰が、わたしの言葉と働きの中に肉の体でのわたしの行いを知るようになったのか。わたしが、書かれたもので奥義を明示し、あるいは、それを声に出して語るとき、人々はみな、すっかり驚いて、黙って眼を閉じる。わたしの語ることがなぜ人間には理解できないのか。なぜ、わたしの言葉は人間にとって不可解なものなのか。なぜ、人間はわたしの行いに盲目でいるのか。誰がわたしを見て、けっして忘れないだろう。誰がわたしの声を聞いて、むなしく過ぎ去るのを許さずにいるだろう。誰がわたしの心を感じ取り、わたしの心を喜ばせることができるだろう。わたしは、人々の間で生きて動き、人々の生活を経験するようになった。わたしは、すべてを人間のために創ったのち、すべては良いと感じたが、人間の間に住むことはまったく喜びではなく、人々の間の幸福をうれしいと思わない。わたしは人間を嫌い捨てることはしないが、人間について感傷的にもならない。人間はわたしを知らず、闇の中でわたしの顔を見ることが困難で、わたしの声を聞くのが難しく、騒音の中では、わたしの言葉を聞き分けることができないからである。だから、表面的には、あなたがたは、わたしに従ってすべてを行っているのだが、心ではまだわたしに不従順でいるのだ。人類すべての古い本質は、このようだといえよう。誰か、そうではない者がいるだろうか。誰がわたしの刑罰を受けない者なのだろう。しかし、誰がわたしの寛容のもとで生きていないだろう。もし人間がわたしの憤りで殺されたなら、わたしは何のために天と地を創ったのか。わたしはかつて多くの人々に警告し、多くの人々に勧告し、多くの人を公然と裁いた。これは、ただ人間を破壊するよりずっとよいのではないか。わたしの目的は、人間を殺すことではなく、わたしの裁きの中で、わたしの行いのすべてを知るようにすることである。あなたがたが底なしの淵から出るとき、つまり、あなたがたがわたしの裁きから解放されるとき、あなたがたの個人的な思慮や計画はみな消え、すべての人はわたしを満足させようと努力するだろう。そして、そうなってこそ、わたしの目的が達成されるのではないか。

1992年3月1日




[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2018年6月15日金曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉カード

【東方閃電】全能神は言われた。「強風は何世紀経っても相変わらず山に吹き付けていた。強風は、それ以前と同様に山の所へと「訪れる」時に大きな渦を巻く砂を吹き込んだ。強風は山を脅したが、山の中を割って吹くことは出来なかった。強風と大きな山は互いに信頼し合い、制限し合い、頼り合っていた。」






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世の終わりのキリスト全能神は、イエスの再臨です、「東方閃電」全能神教会を考察しましょう

2018年6月14日木曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉讃美歌「パリサイ人たちがイエスに反抗した理由の根拠」


Ⅰ あなたは何故パリサイ人たちが イエスに反抗したのか知りたいか? 彼らの本質が何であるのか知りたいか? 彼らはメシアへの幻想と メシアの到来を信じるだけで いのちの真理は求めていなかった 彼らは救い主を待っているが まだ真理やいのちの道を知らない Ⅱ これ程愚かで・・頑なで・・ 無知な 彼らが神の祝福を得られようか? メシアをその目で 見ることなどありえようか? 彼らがイエスに背いたのは イエスが彼らに語った 真理の道を知らなかったからだ 彼らはメシアまたは聖霊の働きを理解していなかったのだ 彼らはメシアを見たことも 一緒にいたこともないまま メシアの名に虚しい敬意を払い その一方で あらゆる手段を使って メシアの本質に抵抗した Ⅲ 不従順で・・頑なで・・傲慢な 彼らは 「あなたの説教は深遠で高い権威があるが もしメシアと呼ばれていないなら あなたはキリストではない」と信じていたが これらのことは嘲笑すべきたわ言であり 誇大妄想である 今・・神は問いかけている あなたはパリサイ人たちの過ちを繰り返すのではないか? イエス・キリストを理解していないのに 真理の道を見極められるのか? 聖霊の働きに ついて行くことができるのか? あなたはキリストに逆らわないと 保証できるのか? できないならいのちではなく死が間近に迫っているのだ 『言葉は肉において現れる』より




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2018年6月13日水曜日

【東方閃電】全能神の発表「完全にされた人々への約束」



 神はどのような道をたどって人を完全にするのだろうか。どの側面を含んでいるだろうか。あなたは神があなたを完全にするのを喜んで受け入れるだろうか。神の裁きや刑罰を喜んで受け入れるだろうか。このような問いについてあなたは何を知っているだろうか。もしあなたがこう言った知識について語ることができないなら、このことは、あなたは依然として神の働きについて知らず、聖霊によって全く目を見開かされてこなかったことを示している。そのような人は神に完全にしてもらうことはできない。彼らは、少しの恵みを受けてつかの間楽しむだけであり、長きにわたって恵みを持ち続けることはできない。もし神の恵みを単に楽しむだけなら、神に完全にしてもらうことはできない。一部の人たちは、肉の平和と喜び、逆境や不運のない安楽な人生、争いやいさかいもなく家族と平和に生きること、などで満足するかも知れない。彼らは、このことが神の祝福であるに違いないとさえ信じるかも知れない、しかし実際は、それは単なる一つの神の恵みであるにすぎない。あなたがたは、神の恵みを楽しむだけで満足してはいけない。このような考え方は、あまりにも低俗である。あなたが日々、神の言葉を読み、毎日祈りを捧げているさえとしても、そしてあなたの霊が特別な喜びや平和を感じるとしても、しかし、結局のところ、あなたは、神やその働きに関するどんな認識についても話すことはできない、あるいはそのようなことをした経験も持っていない。そして、あなたがどれ程たくさん神の言葉を食べ、飲んできてたにしても、もし霊の中で平和や喜びを感じるだけなら、そして神の言葉はまるで十分に喜び尽くせないかのように比類なく甘美であると感じるならば、だがしかし、あなたが神の言葉について実際の経験を持たず理解をしていない、あなたはそのような神への信仰のあり方の結果として、何を受け取ることが出来るだろうか。もしあなたが、神の言葉の本質を実現することができないなら、あなたの食べ、飲み、祈ることがまさに、宗教に関わっている。そして、そのような人々は神に完全にしてもらうことはできないし、神のものとされることもできない。神のものとされる人とは真理を追求する人である。神のものとされるのは、人の肉でもなければ所有するものでもなく、彼の内にある、神に属する一部である。これが、神が完全にするのは人の肉ではなく心であり、そうすることによって、神は人の心を自分のものとする、とわたしが言う理由である。言い換えれば、神が人を完全にすると言うことの本質は、人の心が神に向きを変え神を愛するように、神は人の心を完全にする、ということである。

 人の肉体はみな肉のものである。人の肉を獲得することは、神のいかなる目的にも役立ちはしない。というのは、時間と共に減衰していくのは避けられないからである。人の肉は、神からの授かりものあるいはその祝福を、受け取ることができない。もし神が、人の肉だけを獲得し、人の肉をその流れの中に置いたままなら、名目上、人はその流れの中にいるだろう。しかし、その心はサタンに属するだろう。そのとき、人は、地上に現れた神を表現できないばかりか、神の重荷になるだろう。こうして、人を選ぶ神の行為は無意味になるだろう。神に完全にしてもらうことができる人たちは、神から祝福や受け継いだものを受け取ることのできる人たちである。すなわち、そのような人たちは、神が所有するものそして神という存在を取り入れる。そうすることによって取り入れたものが彼らが内部に持つものとなる。すなわち、彼らは、神の言葉が彼らの中に組み入れたものすべてを、所有している。神という存在が何であれ、あなたがたは、その存在のすべてをまさにそれがあるがままに受け入れることができる。そうすることによって、真理を実現することができる。これが、神によって完全にされ、神のものとされた人の姿である。そのような人だけが、神が授ける祝福を受け継ぐ資格がある。すなわち、以下に示されるようなものである。

 1. 神の愛のすべてを受け取ること

 2. あらゆる事柄において神の意志に違わず行動すること

 3. 神の導きを受け取り、神の光の下で生き、神の啓示を受けること

 4. 地上で神によって愛された象徴のように生き抜くこと、すなわち、ペテロが行ったと同じように真に神を愛すること、神の為に十字架にかけられ、死が神の愛に対する報いとなるほどに神を愛すること、そしてペテロと同じ栄誉を受けること

 5. 地上のすべての人によって愛され、敬われ、称賛されること

 6. 死や死者の国の束縛のすべてを克服すること、サタンに機会を与えず、神のものとされていること、新鮮でいきいきとした霊的状態であること、いささかの疲れもないこと

 7. 人生のあらゆるときに、あたかも神の栄光の日の到来を見てきた人のように、言語を絶するほどの高揚感や気持ちの高まりをもてること

 8. 神とともに栄光を受け取ること、神の最愛の聖人たちに似た表情をもてること

 9. 神が地上で愛するもの、すなわち神の最愛の子になること

 10. 姿を変えて、神と共に、肉を超越して第三の天まで引き上げられること

 このような神の祝福を受け継ぐことができる人だけが、神が完全にし、神のものとされた人である。あなたは、何かを獲得してきただろうか。どれほどまで、神はあなたを完全にしてきただろうか。神は手当たり次第に、人を完全にしない。人が見ることができる状態と結果がある。神への信仰がある限り神によって完全にされ神のものとされており、そして神の祝福や神からの授かりものを地上で受け取ることができる、ということは、人が信じる範囲を超えている。そのような事態は、極めて理解しにくく、姿を変えるというような話になるとなお一層理解しにくい。現在、あなたが主として追求すべきことは、すべての事柄において神によって完全にされることであり、そしてあなたが向かい合っているすべての人、事態、事柄を通して、神によって完全にされることである。そうすることによって、神という存在のより多くのものがあなたの中へ取り込まれる。あなたは神から、より多くより大きな祝福を受け継ぐ資格を得る前に、まず地上で、神からの授かりものを受け取らねばならない。今述べたことのすべてが、あなたが追求すべきことであり、最初に理解すべきことである。あなたが、すべての事柄において神によって完全にされることを追求すればするほど、あなたは、すべての事柄において神の導きを見ることができ、そしてそこから神の言葉の存在やその現実性を、異なる立場を通じさらに異なる事態において、積極的に考慮しようとするだろう。あなたは、単に罪を犯さない、あるいは何の考えも持たない、人生哲学を全く持たない、人間としての意思を持たないといった、否定的な状態に甘んじてはいけない。神は、いろいろなやり方で人を完全にする。あなたが結果的に完全にされることはあらゆる事態において可能である。あなたは、肯定的なことから完全にされることが可能であるだけでなく、否定的なことからも完全にされることができる。結果的にあなたは豊かになる。毎日、神によって完全にされる好機そして神のものとされる時が出現する。そのような経験をすると、あなたは大きく変わる。今のあなたは自然に、以前には理解できなかった多くの事柄に対し洞察力を獲得することができるだろう。すなわち、誰かがあなたに教える必要もなく、無意識のうちに、あなたは神によって導きと示しを与えられ、あなたの経験することの細部に至るまで全てが、与えられた示しと導きが活かされたものとなる。神は、あなたを、どちらの側にも曲がって進まないように、先導するだろう。そしてあなたは、完全にしてもらう道へと、神によって導かれるだろう。

 神によって完全にされることは、神の言葉を食べたり飲んだりすることによって完全に達することに、限定されない。このような経験のあり方は、あまりにも一面的で、幅広く多くのものを包含していない。すなわち、人を非常に狭い範囲に閉じ込めるだけである。このような場合、大いに必要とされる心の成長機会が得られない。もし、あなたが神によって完全にされることを望むなら、あらゆる事柄を経験することを学ばねばならないし、直面するいかなる事柄においても、神の知識と示しを与えられなくてはならない。何かに向かい合うときは常に、良いことであれ悪いことであれ、あなたにとって得るものがなければならない。あなたが消極的になることがあってはならない。何が起ころうと、あなたは、神の側に立ってそれを考えることが求められるのであって、人の立場から分析あるいは検討してはいけない(これは、あなたの経験における脱線である)。後者が、あなたの経験の仕方であるなら、あなたの心は霊的成長のための責任で一杯になるだろう。あなたが神の顔の光の下で生きるならあなたの経験における脱線は起こらないだろう。そのような人は、大きな展望を持つ。人が神に完全にしてもらえる機会は多く存在する。すべてが、あなたがたが神を真に愛する人々であるか、そして神によって完全にされ、神のものとされ、さらに神の祝福や神からの授かり物を受け取る決意を持っているかどうかに、かかっている。決意を持つだけでは不十分である。あなたがたは多くの認識を持たなければならない、さもなくば、実践においていつも、脱線するだろう。神は、あなたがた一人ひとりを完全にしようとしている。多くの人たちが長きにわたって、神の働きをすでに受け入れてきた。しかしながら、彼らは単に神の恵みに浴することだけにとどまり、肉の慰めを受け取ることだけに熱心であるのが、現状である。彼らはより多くの、より高度な啓示を受け取ることに熱心でなく、人の心は依然として、いつも外側の世界に属していることを示している。人の仕事、彼の奉仕、彼の神への愛の心は、それほど不純でないにしても、人の内なる本質や無知な考え方に関する限り、人は依然として、平和と肉の喜びを絶えず求めるだけで、神によって完全にしてもらう為の条件や、神が人を完全にする目的が何であるかには関心を持たない。したがって、大部分の人たちの人生は、依然として、いささかの変化もなく、俗悪で退廃的である。彼らは全く、神への信仰を重要問題と見なさない。彼らの信仰は、まるで彼らが他人のために信仰を持っているかのように、真剣さあるいは熱心さを欠いており、結果的に、目的もなくふらつきながら最小限の労力でなんとかやっているような状況である。あらゆる事柄において神の言葉の中へ入っていこうとする少数の人たちがいる。彼らは、今日の神の家にあるより大きな富に属する、より豊かな事柄を獲得し、さらに多くの神の祝福を受け取ることができる。もしあなたが、あらゆる事柄において神によって完全にしてもらうことを求め、地上で神の約束を受け継ぐことができるなら、もしあなたが、あらゆる事柄において神に導かれ、示されることを求め、年月が怠惰に過ぎ去るままにしないなら、これは、活力を持って入っていくべき理想の道である。このようなやり方によってのみ、あなたは神によって完全にしてもらう価値と資格のある人間になることができる。あなたは真に、神によって完全にされることを求めているだろうか。あなたは真に、あらゆる事柄において勤勉だろうか。あなたは、ペテロに匹敵する神への愛の心を持っているだろうか。イエスが愛したように神を愛する意志を持っているだろうか。あなたは、長年の間、イエスへの信仰を持ち続けてきた。ところであなたは、イエスがどのように神を愛したかを確認してきたただろうか。あなたが信仰しているのは、真にイエスなのだろうか。あなたは、今日の実践の神を信じている。ところであなたは、肉の中の実践の神が天上の神をどのように愛するかを確認してきただろうか。あなたは、主イエス・キリストを信仰している。ところでそれは、人類の罪を贖うためのイエスの十字架上の死と彼が行った奇跡が一般的に受け入れられた真実であるがためである。しかしながら、人の信仰は、主イエス・キリストについての認識や正しい理解から生れたのではない。あなたは、イエスの名前だけを信じ、彼の霊に対する信仰心は持っていない、なぜなら、あなたは、イエスがどのように神を愛したかを重要と考えないからである。あなたの神への信仰は、あまりにも子供じみている。あなたは、長年にわたってイエスへの信仰心を抱いてきたが、神をどのように愛すべきかを、あなたは知らない。このことは、あなたを世界最大の愚か者にしてしまわないだろうか。このことは、長年の間、あなたは、主イエス・キリストにある食べ物を無駄に食べてきたことを示す。わたしがそのような人を好きでないだけでなく、あなたが崇拝する主イエス・キリストもまた嫌うと確信する。一体どのようにして、そのような人が神に完全してもらうことができるだろうか。あなたは赤面しないのだろうか。恥ずかしく思わないのだろうか。あなたは依然として、あなたの主イエス・キリストに顔を向ける厚かましさを持っているのだろうか。あなたがたは、わたしの言葉の意味を完全に理解しているのだろうか。




私たちについて:全能神教会の起源
更に多くの内容:「東方閃電」全能神教会はどうやって創られたでしょうか

2018年6月12日火曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉カード

【東方閃電】全能神は言われた。「強風は何世紀経っても相変わらず山に吹き付けていた。強風は、それ以前と同様に山の所へと「訪れる」時に大きな渦を巻く砂を吹き込んだ。強風は山を脅したが、山の中を割って吹くことは出来なかった。強風と大きな山は互いに信頼し合い、制限し合い、頼り合っていた。」




全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2018年6月11日月曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉讃美歌「神が人に授ける最高の祝福」


キリスト教讃美歌「神が人に授ける最高の祝福」 Ⅰ 神のことばの完成により 神の国が形成する 人が正常に戻るとともに 神の国がここにある 神の国の民は 正常な生活を取り戻し 今日は神の前に生き 明日は神の国で生きる 全地は喜びと温かい心で満ちる 神の国がこの地上にある 神の国がこの地上にある Ⅱ 凍える冬は 常春の世界となり 人は悲惨なめに遭うことも 凍えることもない 人の間に争いも 国の間に戦争もなく 殺りくや流血もない 明日は神の国で生きる 全地は喜びと温かい心で満ちる 神の国がこの地上にある 神の国がこの地上にある Ⅲ 神は世界を くまなく巡り その玉座から楽しむ 神は星の間に住み 天使は神のために歌い踊る 天使はもはや弱さのゆえに泣き叫ばない 天使は神のために歌い踊る 天使は神のために歌い踊る 神は天使の嘆きを決して聞くことはない 天使は神のために歌い踊る 天使は神のために歌い踊る Ⅳ 誰も労苦を訴えなくなる 今日は神の前に生き 明日は神の国で生きる これは神が人に与えた最高の祝福ではないか? 神の国の民は 正常な生活を取り戻し 今日は神の前に生き 明日は神の国で生きる 全地は喜びと温かい心で満ちる 神の国がこの地上にある 神の国がこの地上にある 『言葉は肉において現れる』より




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2018年6月10日日曜日

【東方閃電】全能神の発表「神の国の時代に神に選ばれし人々が従わなければならない行政命令10項目」


 1. 人は自分を大きく見せてはならないし、崇めてもいけない。人は神を崇め、賛美するべきである。

 2. あなたは神の働きのためになることは何でもするべきであり、神の働きに有害なことはしてはならない。あなたは神の名、神の証し、神の働きを守るべきである。

 3. 金銭、物質、神の家のすべての財産は、人が提供すべき捧げものである。これらの捧げものを享受するのは祭司と神だけである。人からの捧げものは神が享受するためのものであり、神はこれらの捧げものを祭司と分かち合うだけで、ほかの誰も、捧げもののいかなる部分であれ、享受する資格はないからである。人からの捧げものはすべて(金銭や物質的に享受できるものを含め)神に捧げられ、人には与えられない。そこで、これらのものを人は享受すべきではない。人が捧げものを享受するとしたら、その人は捧げものを盗んでいるのである。このようなことをする人は誰でもユダである。ユダは裏切り者であることに加えて、金袋に入っているものも勝手に使ったからである。

 4. 人の性質は堕落している。その上、人はさまざまな感情を持っている。そこで神に仕える時、男女が二人一緒に働くことは絶対に禁止されている。一緒に働いていることが見つかった者は誰でも除名され、例外はない―誰も免除されない。

 5. あなたは神を批判してはならないし、不用意に神に関連する事柄について話し合ってはならない。あなたは人がすべきことをし、話すべきことを話し、自分の限度を越えてはならないし、自分の境界を逸脱してはならない。口を慎み、自分の歩みに気をつけなさい。このすべてを守れば、あなたが神の性質を犯すことを防げるだろう。

 6. あなたは、人が行うべきことを行い、自分の責務を実行し、責任を果たし、本分を守るべきである。あなたは神を信じているので、神の働きに貢献するべきである。そうしなければ、あなたは神の言葉を飲食する資格がなく、神の家で暮らす資格もない。

 7. 教会の仕事や事柄に関し、あなたは神に従うことは別として、すべてのことで聖霊に用いられている人の指示に従うべきである。ほんのわずかな違反も受け入れられない。あなたは無条件に順守しなければならないし、正しいか間違っているか分析してはいけない。何が正しいか、間違っているかはあなたに関係ない。あなたは全面的に服従することだけに関心を持たなければならない。

 8. 神を信じる人々は神に従い、神を礼拝すべきである。どんな人物に対しても、あなたは崇めたり、仰ぎ見たりするべきではない。神を第1位と位置付け、仰ぎ見る人々を第2位とし、自分自身を第3位と位置付けることは、すべきではない。誰もあなたの心の中に場所を占めるべきではないし、あなたは人々を―とりわけあなたが崇拝する人々を―神と劣らないもの、神と同等なものと考えてはならない。これは神にとって耐えられないことである。

 9.あなたは教会の仕事を中心として考えるべきで、自分の肉体の見通しは脇にどけておき、家族の問題については決然とし、心から神の働きに専心し、神の働きを第1にし、自分自身の生活は第2にするべきである。これが聖徒の礼儀正しさである。

 10. 信仰のない家族(あなたの子供たち、夫または妻、姉妹または両親など)を無理に教会に行かせるべきではない。神の家はメンバーに不足はないし、役に立たない人々で数を作り出す必要もない。喜んで信じる人々でなければすべて教会に導きいれてはならない。この命令はすべての人々に向けられる。この件に関し、あなたたちはお互いにチェックし、観察し、気付かせるべきである。だれでもそれを犯してはいけない。信仰のない家族が嫌々教会に入る時でさえ、彼らに本を与えたり、新しい名前を与えたりしてはならない。そのような人々は神の家には属しておらず、必要ないかなる手段を用いても彼らが教会に入ることは止めなければならない。悪魔が侵入したために教会に問題が持ち込まれたら、あなた自身が除名されるか、またはいくつかの制約が課せられるだろう。要するに、誰もがこの件に関して責任があり、あなたは自分勝手なことをしてはならないし、個人的恨みを晴らすために使ってはならない。




[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2018年6月9日土曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉カード

【東方閃電】全能神は言われた。「小川は何世紀にもわたって山の麓を優しく撫でて流れ続けた。山が造った経路をたどり、小川は大河と合流し、故郷である海へと流れ込んだ。小川は、山の慈しみを受け、道を見失うことが無かった。小川と山は互いに信頼し合い、制限し合い、頼り合っていた。」




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更に多くの内容:「東方閃電」全能神教会はどうやって創られたでしょうか

2018年6月8日金曜日

【東方閃電】全能神教会御言葉讃美歌「神を畏れる事によってのみ 悪を避ける事が出来る」


Ⅰ 神の性質は 威厳があり 怒りに満ちている  神は誰かに屠られる羊でも 操り人形でもなく 人々の言いなりになって動く 空気のような存在でもない あなたが 神の存在を信じるなら   神を畏れる心を 持つべきである  神の本質を 怒らせてはならない事を 知るべきである   神の怒りを 引き起こすものは 言葉や考え・・  教義や理論・・卑劣な行いである   そしてまた 道徳的には許される 些細な言動によっても生じる  しかしあなたがひとたび神の 怒りに触れれば あなたは救いの機会を失うだろう  そしてすぐに 終わりが訪れるだろう・・ これは実に恐ろしい事である もしもあなたが神に反する事は 許されないという事を 知らずにいたら あなたは神を畏れず 常に神に反するだろう・・ 神に反するだろう Ⅱ あなたが神を どのように 畏れたらよいのか 分からないなら 神を畏れる事は 決して出来ないだろう 神を畏れ 悪を避ける神の道に 従う事も出来ないだろう あなたが 神を怒らすべきではないと   ひとたび心に留めて 認識したなら   神を畏れ 悪を避けるという意味が 分かるだろう 神の本質を 怒らせてはならない事を 知るべきである 神の怒りを 引き起こすものは 言葉や考え・・  教義や理論・・卑劣な行いである   あなたが 神の存在を信じるなら 神を畏れる心を持つべきである 神の怒りを 引き起こすものは 言葉や考え・・  教義や理論・・卑劣な行いである   あなたが 神の存在を信じるなら 神を畏れる心を持つべきである 『言葉は肉において現れる』より




[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。