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2020年7月6日月曜日

東方閃電 全能神教会 キリスト教映画「勝利の凱歌」抜粋シーン(6)清めと救いにいたる道


キリスト教映画「勝利の凱歌」抜粋シーン(6)清めと救いにいたる道
終わりの日の神の裁きの御働きでは、どのようにして人を清め救うのでしょうか。真理といのちを得、救われて天国に入る資格を得るために、実際どのようにして神の裁きと刑罰を受けるのでしょうか。この動画がその答えを示してくれます。そして、天国に入る道を指し示してくれます。

2019年11月20日水曜日

[東方閃電]全能神教会 ゴスペル キリスト教映画「呪縛を解く」抜粋シーン(2)主が再臨した時、人の前にどのように現れるのか



終わりの日は既に来ており、多くの信者たちは、主が再臨し天国へ連れて行ってくれることを強く願っています。しかし、主が再来されても、どのように私たちの前に現れるのか知っていますか?想像した通りに、雲に乗って降りて来て、私達の目の前に公然と現われるのでしょうか?全能神は言われます。「あなたはイエスに会いたいと思うか。イエスと共に生きたいと思うか。イエスの語った言葉を聞きたいか…イエスはどのように来るのか。あなたがたはイエスが白い雲の上に再臨すると信じているが、わたしはあなたがたに問う。この白い雲とは何を意味しているのか。イエスの再臨を待つ多くの信者がいる中、どの人々のところにイエスは降臨するのか。」「天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることである…それは神の経営(救いの)計画の終わりを告げるものであり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人がしるしを見る前、真理の現れだけがある時に終わる。」(『言葉は肉において現れる』より)

2019年9月27日金曜日

【東方閃電】全能神教会私たちはどうすれば、全能神の言葉が神の声であること、また、主が働きをなすために出現されたことを判断できるでしょうか。

「けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネによる福音書 16:13)

「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録 2-3章)

「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書 10:27)

「人の姿になった神の言葉は新しい時代を開始し、人類全体を導き、奥義を明らかにし、人に新しい時代に向かう方向を示す。人が獲得する啓示は単純な実践、あるいは認識にすぎず、人類全体を新しい時代に導くことはできないし、神自身の奥義を明らかにすることもできない。神は結局神であり、人は人である。神は神の本質を持っており、人は人の本質を持っている。」

「神の働きを経験する者のみが真に神を信じる」より

「神の今回の受肉において、神の働きは主に刑罰と裁きを通して神の性質を表すことである。これを基礎として、神は人により多くの真理をもたらし、より多くの実践方法を示し、こうして人を征服し、堕落した性質から人を救うという神の目的を達成する。これが神の国の時代における神の働きの背後にあるものである。」

「神の働きを経験する者のみが真に神を信じる」より

「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。これが、神がなす裁きの働きである。」

「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より

「終わりの日はすでに来ている。あらゆるものは種類によって区分され、性質に従って種類分けされる。この時に神は人の最後と終着点を明かにする。もし人が刑罰と裁きを受けなければ、人の不従順と不義を明かす方法はないであろう。刑罰と裁きを通してのみ、あらゆるものの終局を明かすことができる。人は罰せられ裁かれて初めて本当の姿を示す。悪は悪に、善は善に、人は種類によって区分される。刑罰と裁きを通して、すべてのものの最後が明かされ、悪人は罰せられ、善人は褒美を得るであろう。そして、すべての人たちは神の支配の下に従属することになるであろう。すべての働きは義なる刑罰と裁きを通して達成されなければならない。人の堕落は頂点に達し、人の不従順はあまりにも深刻になってしまったので、おもに刑罰と裁きであり、終わりの日に明らかにされる神の義なる性質のみが人を完全に変えて全き者とすることができる。この性質のみが悪を暴露し、よってすべての不義なる人々を厳しく罰することができる。……終わりの日には、義なる裁きのみが人を分類し、新しい領域に連れて行くことができる。この様に、時代全体に神の裁きと刑罰の義なる性質を通して終わりがもたらされるのである。」

「神の働きのビジョン(3)」より

「人々が神の働きを経験する時、神に対して最初に持つ認識は、神は計り知れず、賢明で素晴らしいということであり、彼らは無意識のうちに神を敬い、神の働きの神秘性を感じ、人の考えの及ばないものだと思う。人々はひとえに神の要求に応じられること、神の希望を満たせることを望み、神を超えようとは思わない。なぜなら、神の働きは人の考えや想像のおよばないものであり、人が神に代わって行うことはできないからである。人自身が自分の力不足を知らないのに、神は新しい道を開拓して、人をより新しく、より美しい世界へ至らせるようにしたので、人類は新たに進歩し、新しいスタートを切った。神に対して人が感じるのは称賛ではない、というより、称賛だけではない。彼らのもっとも深い経験は畏敬の念と愛であり、彼らの抱く感情は、神は実に素晴らしいということである。神は人ができない働きをし、人が言えないことを言う。神の働きを経験した人々はいつも言葉では言い表せない感情を経験する。より深い経験を持つ人々は特に神を愛する。彼らはいつも神の素晴しさを感じ、神の働きは非常に賢く、非常にみごとだと感じ、そう感じることによって彼らの中には限りない力が生み出される。それは恐れ、あるいは時折生じる愛と尊敬ではなく、人に対する神の慈悲と寛容を深く感じる気持ちである。しかし、神の刑罰と裁きを経験した人々は、神を威厳で、犯すことができないと感じる。」

「神の働きと人の働き」より 

「その言葉は生命力を備え、私達が歩むべき道を示し、真理とは何かを理解できるようにする。私達はその言葉に引き付けられるようになり、その声音や話し方に注目し始め、そして意識下において、この小さな取るに足らない人の心の声に関心を持ち始める。彼は私達のために労力を惜しまず、私達のために睡眠も食欲も無くし、私達のために涙も流し溜息をつき、病気に苦しみ、私達の終着点と救いのために屈辱を耐え忍び、私達が鈍感で反抗的なために、その心は涙と血を流すのである。この人のそのような存在ともてるものは、普通の人を超えているし、堕落した者には誰も到達することが出来ないものである。彼には、普通の人にはない寛容と忍耐力が備わり、その愛はどんな被造物にも持ちえないものなのだ。私達の考えていること全てを知っていて、私達の本性や本質をこのように把握し、人類の反抗的で堕落した性質を裁き、天国の神を代理して私達に語りかけ、このように人の間に働くことができる人はこの人以外に居ない。彼以外に神の権威、英知、そして威厳を持つ者はいない。神の性質と神が持っているもの、神であるものが、この人からあますところなく発せられているのだ。この人以外に、私達に道を示し、光をもたらす者はいない。彼以外に神が天地創造から今日まで明かしてこなかった奥義を明らかにできる者はいない。彼以外に私達をサタンの束縛や私達の堕落した性質から救える者はいない。彼は神を代表し、神の心の声と訓戒、そして人類すべてに対する神の裁きの言葉を表現する。彼は新しい時代を、そして新しい紀元を開き、新しい天と地そして新しい働きを持ってきた。そして彼は私達に希望をもたらし、漠然と生きてきた私達の生活を終わらせ、救済の道を私達に余すところ無く見せてくれたのである。彼は私達の存在そのものを征服し、私達の心を得た。その瞬間から私達の心は覚醒し、私達の霊は生き返ったように思われる。この平凡で取るに足らない人物、長い間私達の間に交じり生活しながらも私達に拒否され続けてきたこの人こそ、私達が絶えず考え、日夜待ち望んできた主イエスではないだろうか。彼なのだ。実際そうなのだ。この人こそが私達の神なのだ。彼こそが真理であり、道であり、いのちである。」

「神の裁きと刑罰に神の出現を見る」より

2019年5月24日金曜日

キリスト教映画「敬虔の奥義」抜粋シーン(4)受肉の神だけが終わりの日の裁きの働きを行える



東方閃電は、神が自ら裁きの働きを行うため終わりの日に受肉されたと証しした。しかし、律法の時代における神の働きはモーセを用いてなされた。では、終わりの日の神の裁きの働きも同様に人を用いて行うことはできないのか?なぜ神が受肉して自ら行う必要があるのか?全能神は仰せられる、「裁きの働きは神自身の働きなので、当然、神自身が行う。神の代わりに人が行うことはできない。裁きは真理を通した人への征服なので、人の間でこの働きを行うため、神はやはり受肉した姿で現れることは疑う余地がない。」(『言葉は肉において現れる』より)

2019年2月5日火曜日

全能神教会御言葉の抜粋「「唯一の神自身 8」10



     たった今わたしたちは何について話ましたか。最初に、人間の生活環境やその環境のために神が何を行い、用意し、取り扱ったことについて話し、また、神が人類のために用意したあらゆるものの関係、そして万物が人類に危害を加えるのを防ぐために、神がこれらの関係をどのように取り扱ったかについても話しました。また神は、万物がもたらす様々な要素が人類の環境に与える悪影響を解決し、万物がそれぞれの機能を最大化することを実現し、好ましい環境とあらゆる有益な要素を人間に与え、よって人類がそうした環境に順応して、繁殖と生命の周期を正常に繰り返すことができるようにしました。次は、人体が必要とする食料、すなわち日常の食料と飲料でした。これもまた人類の生存の必要条件です。つまり、人体は、呼吸するだけ、日光や風だけ、あるいは適切な気温だけでも生きられないということです。人間はまた腹を満たす必要もあるのです。人間の腹を満たす食料や飲料もまた、すべて神が人類のために用意したものであり、それが人類の食料源です。こうした豊富で潤沢な産物、すなわち人類の食料や飲料の源を確認した後、神は人類と万物の供給源であると言うことができますか。(はい。)もし万物を創造した時に、神が草木だけ、あるいは様々な生き物だけを創り、人類がそれらのうち何も食べられなかったとしたら、人間は現在まで生存できたでしょうか。もし、神が創った万物のうち、様々な生き物や植物が、牛や羊、シマウマ、鹿その他の種類の動物のためのだけであったとしたら、たとえば、ライオンはシマウマや鹿を食べ、虎は羊や豚を食べるが、人間の食料として適したものがひとつもなかったとしたら、どうでしょうか。それでうまく行くでしょうか。うまく行かないでしょう。人類は生存を続けられなかったでしょう。もし人間が木の葉だけを食べたとしたら、どうでしょうか。それでうまく行くでしょうか。人間の胃はそれに耐えられないでしょう。試してみなければ分かりませんが、一旦試せばよく分かります。それでは羊のために用意された草を食べられますか。少し試すだけなら大丈夫でしょうが、長期間にわたって食べ続けるとしたら、先は長くないでしょう。動物は食べることができても、人間が食べるには有毒なものさえあります。毒があり、人間は食べられなくても、動物は影響を受けることなく食べられるものもあります。言い換えると、神は人間を創ったので、人体の原則や構造、人間に必要なものを最も良く知っているのです。人体の構成、成分、必要なもの、人体の内臓がどのように機能し、吸収し、排出し、代謝するかを神は完全に把握しています。人間はこのことについてそれほど把握しておらず、やみくもに食べたり補給したりすることがあります。補給しすぎて、結果として不均衡を引き起こします。もし神が人間のために用意したものを普通に食べ享受していれば、何も問題は起こりません。たとえ時に気分がすぐれず、鬱血があったとしても、それは問題ではありません。ただ特定の植物を食べなくてはならないだけで、それで鬱血は解消されます。神はこうしたことをすべて用意したのです。それで、神の目から見ると、人類はその他のどの生き物よりも遙かに優れています。神は、ありとあらゆる植物の生息環境を用意し、ありとあらゆる動物の棲息環境と食料を用意しましたが、人類の生活環境に対する必要条件は最も厳格で、軽視が許されません。そうでなければ、人類は発展と生殖、正常な生活を継続できないでしょう。神は心の中でこれを一番良く知っています。このことを行った時、神はそれを他の何よりも重要視しました。あなたが見て享受するとりとめのないもの、あるいは自分がもって生まれてきたので享受できるように感じる何かの重要性を、おそらくあなたは感じられないかもしれませんが、遠い昔に、神はその知恵をもってそれらのものをあなたのために既に用意していたのです。神は、人類にとって好ましくなく人体に危害を加える可能性のある否定的な要素をすべて最大限に除去し、解消しました。これは何を明らかにしますか。神が今回人類を創った時の神の人類への姿勢が明らかになりますか。その姿勢はどのようなものでしたか。神は、厳格かつ真剣な姿勢であり、神以外のいかなる要素や条件、勢力の妨害を一切容赦しませんでした。このことから、今回神が人類を創ったときと、今回の人類の経営における神の姿勢が分かります。神の姿勢とは何ですか。人類が享受する生活環境や生存環境、日常の食料や飲料、必需品を通して、人類を創造して以来神が有してきた人類に対する責任の態度と、さらに今回人間を救うことへの神の決意が分かります。こうした物事から、神の真実性が分かりますか。神の驚異性が分かりますか。神の無限の遠大性が分かりますか。神の全能性が分かりますか。神はその全能かつ知恵深い仕方で、全人類に与え、また万物にも与える。このことに関して、わたしがこれだけ話した後、神が万物の生命の源であるとあなたがたは言うことができますか。(はい。)それは確実です。疑いがありますか。(いいえ。)神が万物の生命の源であることは、神がすべてのものを供給することが十分示しています。なぜなら、神は万物が存在し、生き、繁殖し、継続することを可能にした供給の源だからです。神以外には存在しません。神は、それが最も基本的に必要なものであれ、人間が日常的に必要なものであれ、人々の霊への真理の供給であれ、すべてのものが必要なものと人類が必要なものすべてを与えます。あらゆる視点から見て、人類にとっての神の身分と地位に関しては、万物の生命の源は神自身のみです。これは正しいですか。(はい。)つまり、神は人間が目で見て感じることのできるこの物質世界の支配者であり、主であり、供給者です。人類にとって、これは神の身分ではありませんか。これは完全に正しいです。したがって、空を飛ぶ鳥が見えれば、神は空を飛べるものを創ったことを理解しなければなりません。しかし、水中を泳ぐものも存在し、それらもまた様々な仕方で生存しています。土中で生きる草木は春に芽吹き、秋に結実して落葉し、冬には完全に落葉して冬を過ごします。これが、それらの生存の仕方です。神は万物を創り、万物はそれぞれ異なる形態と方法により生き、様々な方法を用いてその生命の力と形態を示します。その方法が何であれ、それはすべて神の支配下にあります。神が様々な形態の生命体と生き物を支配する目的は何ですか。それは人類の生存のためですか。(はい。)神は人類の生存のために、生命の法則のすべてを支配します。これは、神にとって人類の生存がいかに重要であるかを示しています。

    人間が正常に生存し、繁殖することは、神にとって最も重要です。したがって、神は常に人類と万物に与えます。神はあらゆるものを様々な方法で与え、万物の生存維持の状況下において、人類の正常な存在を維持するために、神は人間が前進を続けられるようにします。これらが、今日わたしたちが話し合っている二つの側面です。その二側面とは何ですか。(巨視的観点からは、神様は人類のために生活環境をお創りになりました。これが最初の側面です。また、神様は人間が必要とし、目で見て触れることのできる物質的なものを用意なさいました。)それら二側面を通して、わたしたちは本日の主題を話し合いました。主題は何ですか。(神様は万物の生命の源である、です。)今では、わたしがそのような主題の下になぜこうした内容を伝えたのかについて、あなたがたはある程度の認識を得ているはずです。これまで、その主題と無関係の話がありましたか。ありませんでした。そうですね。これらの事柄を聞いて、おそらくある程度の認識を得てこれらの言葉が重要であると感じている人もあなたがたのうちにいるでしょうが、他の人たちは文字通りに受け取った知識を少し得ただけで、それらの言葉はどうでもよいと感じているかも知れません。あなたがたがこれを今どのように理解しているかに関わらず、あなたがたの経験の過程において、やがてあなたがたの認識がある点に達する時、つまり、神の業と神自身に関する認識がある特定の点に達し、あなたがたは自分自身の実践的な言葉を用いて神の業の深い真の証しをするでしょう。

    現在におけるあなたがたの認識はいまだに極めて単純で、文字通りに受け取っているだけであるとわたしは思います。しかし、わたしがこれら二側面をあなたがたに話すのを聞いた後では、あなたがたは少なくとも神が人類に与えるためにどのような方法を用いるかや、神が人類に何を与えるかを認識することができますか。あなたがたには基本的な概念と理解がありますか。(はい。)しかし、わたしが伝えたこれら二側面は、聖書と関連していますか。(いいえ。)神の国の時代における神の裁きと刑罰に関連していますか。(いいえ。)それでは、なぜわたしはこの二側面について話をしたのでしょうか。それは、神を知るためには人間はこれらの側面を理解しなければならないからですか。(はい。)これらを知り、理解することはとても必要です。神に関するすべてを理解するために、聖書に、神の人間への裁きと刑罰だけに限っていてはいけません。わたしがこう言うことの背後にある目的は何ですか。それは、神は、ただ神の選民だけの神ではないことを人々に知らせることです。現在あなたがたは神に付き従っており、神はあなたがたの神ですが、神に付き従う人々以外の人々にとって、神は彼らの神でもありますか。神は、神に付き従う人々以外の、あらゆる人々の神ですか。(はい。)それでは、神は万物の神ですか。(はい。)それでは、神は神に付き従う人々だけに対して働きや業を行いますか。(いいえ。)その範囲は宇宙全体です。狭い観点から見ると、その範囲は人類全体と万物です。広い観点から見ると、その範囲は宇宙全体です。したがって、神は全人類のあいだで働きと業を行うと言うことができます。人々に神自身に関するすべてを知らせるには、これで十分です。神を知りたい、神を真に知りたいのであれば、ただ神の働きの三段階に限っていてはいけません。神が以前に行なった働きの話だけに限っていてはいけません。そのようにして神を知ろうとするのならば、神を一定の制限内に留めていることになります。神をあまりに無意味にみなしています。そうした結果は、あなたにどのような影響を及ぼすでしょうか。あなたは神の驚異性や崇高性、神の力や全能性、そして神の権威の範囲を決して知ることはないでしょう。そのような認識は、神が万物の支配者であるという真理をあなたが受け入れる能力、そして神の真の身分と地位に関するあなたの認識に影響を及ぼすでしょう。すなわち、もし神に関するあなたの認識の範囲が限られているならば、あなたが受け取ることのできるものも限られています。範囲を拡張して視野を広げる必要があるのは、このためである。それが神の働きの、神の経営の、神の支配の、あるいは神に支配され管理されている万物の範囲であるかに関わらず、あなたはそれらすべてを知り、その中にある神の業を知るべきです。そのような理解方法により、あなたは神が万物を支配し、管理し、万物にあらゆるものを供給しているということを知らないうちに感じるでしょう。それと同時に、あなたは自分が万物の一部であり、万物の一員であることを実感するでしょう。神は万物を供給するので、あなたも神の支配と供給を受け入れます。これは誰も否定することのできない事実です。万物はそれぞれの法則にさらされていて、その法則は神の支配の下にであり、また万物にはそれぞれの生存のための規則があり、それもまた神の規則のもとにあります。その一方で、人類の運命や人類に必要なものもまた神の規則や神による供給と密接に関連しています。このため、神の統治と支配下において、人類と万物は相互に関連し、相互に依存し、織り交ぜられているのです。これが、神による万物創造の目的と価値です。これを今では理解していますか。(はい。)理解しているのならば、本日のわたしたちの話をここで終わりにしましょう。さようなら。(神様に感謝。)


2014年2月2日

2018年11月6日火曜日

全能神教会御言葉の抜粋「唯一の神自身 6」4


 今は終わりの日における神の働きの時となり、神はもはや最初のように恵みと祝福を人間に与えるのみではなく、また人間をなだめることもありません。この働きの間に、人間は経験した神の働きのあらゆる側面から何を認識したでしょうか。人間は、神の愛と神の裁きと刑罰を認識したのです。この時、神は人間にさらに施し、支援し、啓き、導き、人間は次第に神の意図と語られる言葉、そして神が人間に与える真理を理解するようになります。人間が弱く、落胆し、よりどころとするものを失った時、神は言葉により人間を慰め、忠告し、励ますので、霊的背丈の小さな人間は次第に自分の力を見出し、前向きに立ち上がることができ、神と協力することを望むようになります。しかし、人間が神に従わなかったり、神に抵抗した場合、あるいは自分自身の堕落を表した場合、神は容赦なくそうした人々を懲らしめ鍛錬します。しかし、人間の愚かさ、無知さ、弱さ、未熟さに対し、神は寛容と忍耐を示します。このように、神が人間に対して行う全ての働きにより、人間は次第に成熟し、神の意図や真理の一部を知り、肯定的な物事や否定的な物事、邪悪とは何か、闇とは何かを知るようになります。神は人間を常に懲らしめ、鍛錬するとは限らず、また常に寛容と忍耐を示すとは限りません。むしろ、神は各人に対し、異なる方法で、様々な段階において、人間の様々な霊的背丈や能力に応じて施すのです。神は、人間に対して多くのことを行い、大きな代償をはらいます。人間はその代償や業を認識することは無いものの、神のすることはすべて人間ひとりひとりに対して実際に行われています。神の愛は実際します。神の恵みにより、人間は災害を次々と回避する一方で、人間の弱さには、神は何度となく寛容を示します。神の裁きと刑罰により、人間は人類の堕落とサタンのような本質を次第に認識するようになります。神が与える物事、神が人間の目を開くこと、そして神による導きにより、人間は、真理の本質、人間に必要な物事、自分が進むべき道、人生の目的、自分の人生の価値と意味、将来へと進む方法をますます知ることができるようになります。こうした神の業は、神の唯一の元来の目的と不可分です。それでは、その目的とは何でしょうか。あなたがたは知っていますか。神がそのような方法で人間に対する働きを行うのは、何故でしょうか。神はどのような結果を実現しようとしているのでしょうか。言い換えれば、神は人間に何を見、人間から何を得たいのでしょうか。神は、人間の心が蘇ることを見たいのです。神がこのようにして人間に対して働きを行うのは、継続的に人間の心を目覚めさせ、霊を目覚めさせ、人間がどこから来たのか、人間を導き、支え、また人間に与え、人間の存在を現在まで維持しているのは誰かを認識させるためであり、創造主は誰であるか、誰を礼拝すべきか、人間はどのような道を歩むべきか、人間はどのようにして神の前に来るべきかを人間に認識させるためです。こうした方法が用いられるのは、人間が神の心を知り、理解し、神の人間を救う働きの背後にある大いなる慈しみと思いを理解するように、人間の心を次第に蘇らせるためです。人間の心が蘇ると、人間は退廃し堕落した性質の生活を送ることを望まなくなり、その代わりに神が満足する真理を求めることを望むようになります。人間の心が目覚めると、人間はサタンと完全に訣別できるようになり、サタンによる危害を受けなくなり、サタンにより支配されることも騙されることも無くなります。その代わりに、人間は神の働きと言葉に積極的に協力して神の心を満足させることができ、神を畏れ、悪を避けることができるようになります。これが神の働きの元来の目的です。

 サタンの邪悪について話し合ったときは、人間の生活は極めて不幸であり、人間の生活は不運を極めていると皆に感じさせました。しかし、神の聖さと神の人間に対する働きについて話した今では、あなたがたはどのように感じますか。(非常に幸福です。)神の行なう全てや、人間に対して神が慎重に用意する物事が全て完璧であることが分かりました。神が行なうことには誤りがありません。つまり、非の打ち所がなく、誰の修正も、助言も、変更も必要ないのです。個々の人間のために神が行なうことには、疑問の余地が無く、神はあらゆる者の手を引いて導き、あなたを常に見守り、あなたの傍らを決して離れません。このような環境と背景の元で人間が成長するとすれば、実際のところ人間は神の手の中で成長すると言えるのではないですか。(はい。)それでは、あなたがたは依然として喪失感を抱いていますか。(いいえ。)落胆している人はいますか。(いません。)神は人類を見捨てたと感じる人はいますか。(いません。)それでは、神は一体どのような働きを行いましたか。(神は人間を守られます。)神の働きの背後にある大いなる心と慈しみには、疑問の余地がありません。さらに、神がこの働きを行なう間、神は、神があなたのために負う代償をあなたが知り、それゆえ神に対して深謝するようにと、何らの条件や要求事項もあなたがたのうちの誰にも出したりすることはしなかった。神はかつてそのようなことをしたことがありますか。(ありません。)基本的に、長い人生の中では、誰もが数多くの危険な状況や誘惑に遭遇します。これは、あなたの傍らには、常にサタンが存在し、あなたを見据えているからです。サタンは、あなたが災害に見舞われたり、災難が降りかかったり、何事もうまくいかなかったりすることを喜び、また、あなたがサタンの罠にかかることを喜びます。しかるに神は、常にあなたを守り、次々起こる逆境や災難からあなたを守ります。これが、平安や喜び、祝福、身体の安全など、人間が持つものは、実際のところ全てが神の支配下にあり、神が各人の人生と運命を導き、決定する、とわたしが言う理由です。しかし、一部の人々が言うように、神は自分の地位について仰々しい概念を持っており、「わたしは最も偉大な存在であり、わたしがあなたがたを支配している。あなたがたは全員わたしに慈悲を請わなければならず、わたしに従わない者は死をもって罰とする」などと言うのでしょうか。神はかつて、このように人間を脅迫したことがありますか。(ありません。)神は、これまでに「人類は堕落しているので、わたしが人間をどのように好き勝手に扱ってもどうでもよい。人間に対して周到な用意を行う必要は無い」などと言ったことがありますか。神はこのように考えるでしょうか。(いいえ。)神がそのように行動したことがありますか。(ありません。)それとは反対に、神による人間それぞれに対する処遇はまじめで責任感があり、あなたが自分自身に対するよりも責任感に溢れています。そうではないですか。神は無益に言葉を述べることも、尊大に振る舞うことも、人々を欺くこともありません。その逆で、神は誠実かつ静かに、自身が行うべきことを行います。それらの業は人間に祝福、平安、喜びをもたらし、人間を平安かつ幸福のうちに神の前へと来させ、神の家へと連れて行き、人間が神の前に行き神の救いを受けるために必要な、正しい理知、思考、判断、心構えを人間に与えます。それならば、神はその働きにおいて他意があったことがありますか。(いいえ。)かつて神が人間に対して親切を装い、少々の愛想のよい言葉で慰めた後に裏切ったことがありますか。(ありません。)かつて神が、あることを述べ、それと一致しないことを行ったことがありますか。(いいえ。)かつて神が、これをしてあげよう、あれをするのを助けてあげようと空虚な約束をし、豪語した上で消え去ったことがありますか。(ありません。)神には、狡猾さや偽りがありません。神は信実で、神のすることはすべて真実です。神は、人間が信頼し、自分の人生などの全てを託すことのできる唯一の存在です。神には狡猾さが無いのであれば、神は最も真摯な存在であると言えますか。(はい。)当然言えます。今このような言葉で神を叙述すると、言葉が無力であり、人間的でありすぎるものの、人間の言語の制約があるため、どうすることもできません。ここで神を真摯であるとするのは僅かに不適ですが、当座はこの語を用います。神は信実かつ真摯です。それでは、こうした側面について話すことは、何を意味しますか。神と人間の相違点や、神とサタンの相違点ですか。そう言うこともできます。なぜなら人間は、サタンの堕落した性質を全く神に見出すことができないからです。そう言って間違いないですか。これにアーメンと言って貰えますか。(アーメン!)サタンの邪悪さが神において明らかにされることを見る事は決してありません。神が行ない明示する事柄は全て人間にとって有益であり、役立つものであり、人間に施すために行われ、いのちに満ちあふれ、人間に対して進むべき道と方向性を与えます。神は堕落しておらず、さらに神のすること全てを検討すると、神は聖なる存在であると言えますか。(はい。)神には人類の堕落が一切不在であり、堕落した人類の性質やサタンの本質と僅かにでも類似していたり同一であったりするようなものは一切無い。この観点から、神は聖なる存在であると言うことができます。神が堕落を示すことはありません。神自身が聖であることは、その働きにおける本質の明示により十分確認することができます。このことが理解できますか。では神の聖なる本質を今、知るために、しばらく次の二つの側面について検討しましょう。①神には堕落した性質が全く無い、②人間に対する神の働きの本質により、人間は神自身の本質を理解することができ、この本質は完全に肯定的であること。一つひとつの神の働きが人間にもたらすものは、全て肯定的であり、まず、神は人間が誠実であることを要求します。これは肯定的ではないでしょうか。神は人間に知恵を与えます。これは肯定的ではないですか。神は人間が善と悪を見分けることができるようにします。これは肯定的ではないですか。神は人生の意味と価値を人間に理解させます。これは肯定的ではないですか。神は人間に人々、出来事、物事の本質を真理に従って理解させます。これは肯定的ではないですか。(はい、そうです。)これら全ての結果として、人間はサタンに騙されたり、危害を加えられたり、支配されたりすることが無くなります。つまり、人間はサタンの堕落から完全に解放され、したがって神を畏れ悪を避ける道を徐々に歩むことができます。あなたがたはこの道をどの程度歩いてきましたか。言いにくいのではないでしょうか。しかし、少なくともあなたがたには、サタンが人間を堕落させる方法や、何が邪悪であり、何が否定的な物事かに関して初歩的な知識がありますか。(はい。)その初歩的な知識により、あなたがたは少なくとも正しい道を歩んでいます。そう言えますか。(はい。)

 神の聖さについての話はこれで終わりにしますが、これまで聞いたり学んだりしたことから、神の聖さが何であるかを述べることができる人はいますか。わたしの言う神の聖さとは、何を指しますか。暫く考えてください。神の真実性は、神の聖さですか。神の誠実さは、神の聖さですか。神の無私さは、神の聖さですか。神の謙虚さは、神の聖さですか。神の人間への愛は、神の聖さですか。神は人間に真理といのちを無償で与えます。これは神の聖さですか。(はい。)神が顕すことは、全て唯一無二であり、堕落した人間には存在せず、それを見出すこともできません。サタンが人間を堕落させる過程や、サタンの堕落した性質やサタンの本質や本性では全く見ることができないものです。神のもつもの、神であるものは、すべて唯一無二であり、そうした本質を持つのは、神自身のみです。ここまでの話を踏まえ、あなたがたのうち、これほど聖なる人間を知っている人はいますか。(いません。)あなたがたが人類で崇拝する有名人や偉人、偶像のうち、これほど聖なる存在はいますか。(いません。)それでは、神の聖さは唯一無二であると言うことができますが、神はそれを真理とともに名前においても具現していますか。(はい。)その通りです。これらに加えて、実際面もあります。今、わたしが述べている聖さと、あなたがたが以前考え、理解、想像していた聖さには、差がありますか。(はい。)どの程度の差ですか。(とても大きいです。)とても大きいとはどれくらい大きいのですか。人間が聖さを議論する場合、あなたがたの言葉で説明すると、しばしばそれは何を意味するものであろうか。(何らかの外見的振る舞いのことです。)振る舞いや何かを描写するために、人間は聖なる何かと言います。ではその「聖なる」という叙述は、理論ですか。それはただ清潔できれいで、人間にとって見かけや響きが良いもので、聖さの実際的な内容が無い物です。これは理論です。さらに、人間が考える「聖さ」の実際面は何を指していますか。それはおもに人間の想像や判断によるものですか。たとえば、仏教徒には修行中、座して寝ている時に死ぬ人がいます。こうした死者は聖なる存在となり、天国へと飛び立ったと言う人がいます。これも想像の一種です。また、天国から舞い降りる妖精が聖なる存在であると考える人がいます。実際には、人間の「聖なる」という言葉の概念は、従来から基本的に実際的な内容の無いうつろな想像と理論であり、また聖さの本質とは無関係のものです。聖さの本質は真の愛ですが、それ以上に真理や義、光の本質なのです。「聖なる」という言葉は、神に用いられた時のみ適切であり、創造物のうちで聖なると呼ぶに相応しいものは存在しません。人間はこれを理解しなければなりません。これからは、神にのみ「聖なる」という言葉を使います。これは妥当なことですか。(はい、そうです。)

 ここで、人間を堕落させるためにサタンが用いる手段について、もう一度話し合いましょう。あなたがた一人ひとりが体験できる、神が人間に対して働く様々な方法については話したところなので、詳細には触れません。しかし、人間を堕落させるためにサタンが用いる手段については、不明瞭である、少なくても詳細が不足しているとあなたがたは心中で感じているでしょう。これについてわたしがもう一度話すことは、あなたがたにとって有益ですか。(はい。)あなたがたは理解したいですか。(はい。)あなたがたのうちには「またサタンの話をするのは何故か。サタンの話となると怒ってしまう。その名前を聞くとまた居心地が悪くなる」と思う人がいるでしょう。どれほど居心地が悪くなっても、あなたがたは事実に直面し、これらのことを理解できるように分かりやすく説明してもらわなくてはなりません。そうしなければ、あなたがたはサタンの影響から本当に脱出することはできません。

2018年10月20日土曜日

全能神教会の御言葉の朗読動画「あなたは生かされたか」


全能神は言われた。「もし、人々が生きている存在になり、神への証しとなり、神に認められることを望むならば、神の救いを受け入れ、神の裁きと刑罰に喜んで服従し、神による手入れや取り扱いを喜んで受け入れなければならない。そうして初めて神が要求した真理の全てを実行することができ、そうして初めて神の救いを得て、本当に生きた存在になることができる。生きている人々は神によって救われ、神から裁きと刑罰を受けており、進んで神に身を捧げ、喜んで命を投げ出し、全人生を神に捧げるだろう。生きている人々が神について証しをする時にだけサタンを辱めることができ、生きている人々だけが神の福音の働きを広めることができ、生きている人々だけが神の心に叶う人であり、生きている人々だけが本当の人である。」 『言葉は肉において現れる』より