2019年5月30日木曜日
キリスト教 美しい讃美歌「神の救いの業の目的」神の愛と救い
神には6000年に渡る救いの計画があり
それは3つの段階に分かれている
律法の時代
次に恵みの時代
そして最後の段階は神の国の時代と呼ばれている
それぞれの段階で神の業は違うが
全ては人類に必要であり
神と戦う サタンの企みに対処するもの
神の業の目的は神の知恵と全能を現し
サタンの企みを暴き打破すること
そしてサタンの支配から人を救うこと
神の知恵と全能を現し
サタンの堕落を暴き
創られたものに善悪を教えること
万物の支配者は神であると知り
サタンは人の敵であり
邪悪で堕落した者だと分かること
そうすれば人は善と悪
真理と偽り 聖さと穢れ
偉大なものと下劣なものを
区別することができる
神の業の目的は神の知恵と全能を現し
サタンの企みを暴き打破すること
そしてサタンの支配から人を救うこと
無知な人類に神を証しさせよ!
人を堕落させたのは神ではなく
神のみが全てを与え救うことができる
これは神が万物の支配者であり
サタンは神の創造物の一つで
神に歯向かうものだと知るため
神の計画が3つの段階に分かれているのは
神の創造物を証し人とし
神の意志と神が真理であることを知らせるため
神の業の目的は神の知恵と全能を現し
サタンの企みを暴き打破すること
そしてサタンの支配から人を救うこと
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
2019年3月17日日曜日
全能神教会御言葉の抜粋「唯一の神自身 10」 1
神は万物の生命の源である (4)
本日は専門的な事項について話し合っている。あなたがたそれぞれが知り、経験し、理解すべき主要な事項は、主に2つしかないが、その2つとは何であっただろうか。そのうち1つは人間の個人的ないのちの成長であり、もう1つは神を知ることに関するものである。本日は、あなたがたに選択の機会を与えるので、ひとつ選んで欲しい。あなたがたが聞きたい話題は、人間の個人的ないのちの経験に関する話題であろうか、それとも神自身を知ることに関する話題であろうか。このような選択の機会をあなたがたに与える理由は、本日、わたしは、神を知ることに関して、新しい事柄をあなたがたと話し合いたいと考えているからである。いずれにせよ、まずは先述した2つの話題のうちいずれかを、あなたがたに選択してもらうことにしよう。(神を知ることに関する話題を選択する。)(神に関する認識を話し合う方が良いと思う。)あなたがたは、神を知ることに関して最近わたしたちが話し合っている事柄が達成可能だと思うであろうか。(神が最初に交わりを行われた時は、それが達成可能だとは感じなかった。その後、神は数回の交わりを行われ、最初の交わりを顧みたとき、神が造られた環境のなかで、兄弟姉妹が皆その領域における経験に留意していた。)それは大部分の人々にとって、手の届かない領域にあると言えるであろう。あなたがたは、そうした言葉により確信は得ないかも知れない。わたしがこう述べるのは何故であろうか。その理由は、以前にわたしが述べた事柄は、わたしがどのように述べたか、どのような言葉を用いたかを問わず、あなたがたがそれを聞いた時、わたしが述べた事柄を、言葉としてまた理論的には認識したが、しかしあなたがたの深刻な問題として、わたしがそのような事柄を述べた理由、わたしがそうした事柄について話をした理由を理解していなかったからである。このことが問題の要点である。このように、その言葉を聞くことにより、神や神の業に関するあなたがたの知識が増し、豊富になったにもかかわらず、あなたがたにとって神を知ることが依然として困難なのは何故であろうか。それは、わたしの話を聞いても、あなたがたのうち大部分の者が、わたしがその話をした理由と、その話と神を知ることのつながりを理解していないからである。そうではないだろうか。その話と、神を知ることのつながりを理解できないことは、何と関連するであろうか。あなたがたは、このようなことを考えたことがあるだろうか。おそらくあなたがたは、このようなことを考えたことが無いであろう。あなたがたがそれらの事柄を理解していないのは、あなたがたのいのちの経験が表面的すぎるからである。神の言葉に関する人間の認識と経験が極めて浅薄な段階のままである場合、神に関する人間の認識は、曖昧で抽象的なもの、初歩的なもの、原理的なもの、理論上のものに留まる。理論上は、論理的で合理的のように思われるが、大部分の人々が発言する神に関する認識は、空虚なものである。それでは、わたしがそれを空虚であると言う理由は何であろうか。それは、事実として、あなたの心中では、神について知ることに関してあなたが発言する言葉が正しいかどうか、正確かどうかが明瞭ではないからである。そうしたわけで、神について知ることに関する情報を、大部分の人々が聞いたことがあるにもかかわらず、こうした人々の神に関する認識は、論理的で曖昧で抽象的な原理の域を超えないものである。
それでは、この問題はどうすれば解決できるであろうか。あなたがたは、このようなことを考えたことがあるだろうか。ある者が真理を追求しなかった場合、その者は現実を獲得できようか。(獲得できない。)その通りである。その者が現実を知ることが出来ないのは、確実である。ある者が真理を追求しなかった場合、その者には現実が欠如し、したがってその者には神の言葉に関する認識や経験が無いことは確実である。それでは、神の言葉を知らない者は、神を知ることが出来るであろうか。絶対にそのようなことは無い。それら2つの事項の間には、相互に関連性がある。したがって、大部分の人々が「神を知ることは、何と難しいことであろうか。こんなに困難なのは何故だろうか。神に関する認識について、私には何も述べられないのは何故だろうか。」などと言う。自分自身を知ることについては、何時間でも話を出来るが、神を知ることについて述べようとすると、絶句してしまうのである。何か述べることがあったとしても、それには無理があったり、曖昧なものとなってしまったりして、話している本人が聞いても不自然に思われる。これが原因である。神を知ることが困難すぎる、難儀だ、それについて何も話せることが無い、語り合って相手や自分自身に与えることが無い、と感じる場合、それは、あなたが神の言葉を体験したことが無い者であることを示すのである。神の言葉とは何であろうか。神の言葉は、神が持っているものや神が何であるかを表出されたものではないか。神の言葉を体験したことが無い場合、神が持っているものや神が何であるかに関する認識を得ることが出来るであろうか。間違い無く出来ないであろう。これらの事柄は、すべて相互に関連している。神の言葉に関する体験が無い場合、神の心を把握することは出来ず、したがって、神の性質や、神が好む事柄や嫌悪する事柄、人間に対する神の要求、善良な者に対する神の姿勢、邪悪な者に対する神の姿勢を知ることは無く、こうした事柄は全て曖昧で不明瞭なものになることは確実である。そうした不明瞭さにもかかわらず、神を信じている場合、真理を求めて神に付き従っていると言った場合、そうした発言には現実性があるであろうか。そうした発言に現実性は無いのだ。そのことを踏まえて、選択して欲しい。本日の話題として、あなたがたはどちらを選択するであろうか。(いのちの成長と人間の個人的ないのちの経験を選択する。)(いのちの成長を選択する。)いのちの成長に関してあなたがたに欠如しているのは、どの領域の事項であろうか。あなたがたの心が、あなたがたに訴えている事柄は、何かあるだろうか。あなたがたは、まだ知らないであろう。その他の人達は、どちらの事項を選ぶであろうか。神の認識に関する話と、いのちの経験に関する話のうち、どちらを希望するであろうか。(神を知ることに関する話題を選択する。)(神を知ることに関する話題である。)あなたがたのうち大部分が、神を知ることに関する話題を選択した。それでは、神に関する認識について、話を続けることにする。
あなたがたは皆、本日の事項に関する話を聞くことを熱望しているであろう。本日の話題は、最近話をした事項、「神は万物の生命の源である」にも関連する。「神は万物の生命の源である」に関しては、これまで数回話をしたが、それらの話は、神が造った地球上に万物が存在できるようにするために、神が万物を支配していること、神はどのような手段を用いて万物を支配しているか、どのような原則にしたがって万物を管理しているかを人々に伝える様々な方法や観点を用いることが目的であった。また、神が人間に与える方法、つまり、神はどのような手段で人間に与えるか、神は人間にどのような生活環境を与えるか、神は人間に安定した生活環境を与えるために、どのような手段と推進力を用いるかについても、多くの事柄を話した。神の万物に対する支配、神の万物統治、神の経営の関係については直接的に話をせず、神がこのような方法で万物を統治する理由、そして神がこのような方法で人間に与え、人間を育む理由について、間接的に話をしたが、これらはすべて神の経営に関する事柄である。マクロ的な環境から、人間の基本的な生活必需品や食糧など、それよりも遙かに小さな事柄まで、また神が万物を支配し、規律に従って機能させることから、様々な人間のために神が造った適正な生活環境などに至るまで、話した内容は極めて広範である。この広範な内容は、全て人間が肉にあってどのように生きるかに関連している。つまり、この内容は、たとえば山、川、海、平原など、人間が目で見て感じることができる、物質世界の物事に関連するものである。これらの物は、全て目で見て触れることが出来るものである。わたしが空気や気温について話をする時、あなたがたは呼吸により空気の存在を直接感じ、身体により気温の高低を直接感じることができる。森の中の木々や草、鳥や獣、空を飛ぶものや地を歩むもの、巣穴から出てくる様々な小動物は、すべて人間の目で見て、耳で聞くことのできるものである。こうした物の範囲は極めて広いが、すべて物質世界のみを表すものである。人間の目に見える物は何であろうか。目に見える物は、物質的な物である。物質的な物とは人間が見たり触れたりすることが出来るものである。すなわち、手に触れた時にその物を感じ、目で見た時に脳が人間に映像すなわち図画を与えるものである。物質的な物は、実在する事実であり、人間にとって抽象的では無く、角ばっていたり丸かったり、背が高かったり低かったり、大きかったり小さかったりといった姿形があるものであり、人間に対してそれぞれ異なる印象を与える。これらの物質的な物は、物質世界の物全体の一部を構成するものである。それでは、神にとって、「神による万物の統治」の「万物」には、何が含まれるであろうか。この「万物」には、人間が見て触れることのできる物だけでなく、目に見えず、触れることの出来ない物も含まれる。これは、神による万物の統治の真の意味のひとつである。これらの物事は目に見えず触れることの出来ない物事であるが、これらの物事もまた実在する物事である。神にとっては、その物事が神の目で観察可能であり、かつ神の統治の範囲内にあれば、その物事は実在する。人間にとって、それらの物事は抽象的であり、想像不可能なことであり、目に見えず触れることが出来ないとしても、神にとって、それらの物事は実在する。神が支配する万物のもうひとつの世界は、そのようなものであり、それが神が支配する万物の範囲の、もうひとつの部分である。本日は、この事項について、すなわち神が霊的世界をどのようにして支配し、統治するかについて、話をする。この事項では、神が万物を支配し、統治する方法について話をするので、この事項は物質世界の外部の世界である霊的世界に関連するものであり、したがって人間にとっては、最も理解が必要とされる事項である。この内容について話し合い、理解して初めて、人間は「神は万物の生命の源である」という言葉の本当の意味を、真に理解できるようになる。そして、この事項の狙いは、「神は万物を支配し、管理する。」という主題を完結させることである。この事項に関する話を聞いた時、その話が異様である、あるいは信じがたいと感じるかも知れないが、あなたがたがどう感じるかを問わず、霊的世界が、神により支配されている万物の一部である以上、あなたがたはこの事項から何らかの知識を得るべきであることは間違い無い。この内容について話し合い、理解して初めて、人間は「神は万物の生命の源である」という言葉の意味を、更に深く理解し、その言葉に関する認識を得るだろう。
場所:
日本
2019年3月12日火曜日
全能神教会御言葉の抜粋「「唯一の神自身 9」6
このような釣り合いを維持している神の目的は何であろうか。その目的は人間の生存環境や生存と関連している。シマウマやそれに類似する鹿などのライオンの獲物となる動物の繁殖速度が過度に遅く、ライオンの数が急増した場合、人間にはどのような危険が及ぶであろうか。まず、人間が飼育するニワトリ、アヒル、ガチョウ、犬などがライオンの獲物となるであろう。これはそうした動物が屋外で生活しており、まずライオンの獲物となるからである。そうした動物だけでライオンの食料として十分であろうか。豚を2頭飼っている家庭もある。もしライオンが山から下りて来て豚2頭を食べたとしたら、ライオンは食後にそこから去るであろうか。ライオンは「山には食べ物が無いから、ここに居よう。この家庭には豚が居る。豚は私が食べたが、人間がいるはずだ。次の食事のための獲物がまだないから、丁度よい。人間は家の中に閉じこもっているが、永遠にそうしていることことは出来ない。」と思うであろう。人間が家の外へ出るとすぐに、ライオンは人間をいとも簡単に食べるであろう。人間は抵抗できない。それは悲惨なことではないだろうか。ライオンがシマウマを食べるというのは正常な現象だが、ライオンが人間を食べると、それは悲劇となるであろう。神はこうした悲劇を予定しておらず、それは神の支配外であり、ましてや神が人間にもたらすものでは決してない。むしろ、それは人間が自ら招いたものである。そうしたわけで、神が考えるとおり、万物の釣り合いは、人間の生存に不可欠である。植物であるか動物であるかを問わず、万物の適切な釣り合いを崩してはならない。植物、動物、山、湖沼は、人間のために正常な生態環境をもたらす。人間の生存が安全であるのは、こうした釣り合いの取れた生態環境が人間に存在する場合のみである。草木の繁殖能力が芳しくなかったり、繁殖速度が極端に遅かったりしたら、土はどうなるであろうか。土は湿分を喪失するのではないだろうか。土から湿分が無くなると、問題となるだろうか。土が湿分と植生を喪失すると、浸食が急速に進み、土中に砂が発生する。その土は健全な状態で無くなり、砂が多くなり、土壌が悪化すると、人間の生存環境も破壊される。この環境破壊と同時に、災害が発生するであろう。こうした生態系の釣り合いや生態環境が存在しない場合、万物の釣り合いが崩れていることが原因となって、人間は頻繁に災害に見舞われるであろう。たとえば、環境の釣り合いが崩れた結果、特定の場所でカエルが増加し、カエルの生態系が破壊され、全てのカエルが集まり、個体数が激増して、都市部でもカエルが道路を横断したり大量のカエルが道路上に居るのが目撃されるような場合がある。大量のカエルが人間の生存環境を占領したとしたら、それは何と呼ばれるであろうか。それは災害と呼ばれる。それが災害と呼ばれるのは何故だろうか。カエルという小動物は、カエルの生存に適した場所に留まっている場合、人間の生存環境の釣り合いを維持するので、人間にとって有益である。カエルが災害となるとすぐに、人間生活の秩序に影響を与える。カエルがもたらすあらゆる物事や要素が、人間の生活の質に悪影響を及ぼすおそれがある。人間の身体の器官が攻撃されることすらある。これがその種の災害のひとつである。
それと別の、人間が頻繁に経験する災害として、イナゴの大量発生がある。これは災害ではなかろうか。これは恐るべき災害である。人間は飛行機や大砲、原子爆弾を造ることができるが、そうした人間の能力がどれほどのものかを問わず、イナゴが人間を侵略した時、人間にはどのような対策があるだろうか。人間はイナゴに対して大砲を使えるだろうか。イナゴをマシンガンで撃つことが出来るだろうか。それは出来ない。それではイナゴに殺虫剤を噴霧して駆除できるであろうか。それも容易ではない。それでは、そうした小さなイナゴは、何故侵略してくるのだろうか。それは穀物を食べるためである。イナゴが襲来した場所は、全て完全に穀物が消滅する。イナゴは穀物と穀粒のみを食べる。イナゴが通過すると、穀物は全て消滅する。イナゴが襲来すると、農民が生活の糧とし、1年分の穀物を、一瞬にしてイナゴが食べ尽くしてしまう。それでは、イナゴの襲来は人間にとって何であろうか。それは単なる不都合ではなく、災害である。
イナゴは災害のひとつであるが、ネズミはどうであろうか。ネズミの繁殖速度が速すぎる場合であって、ネズミを食べるフクロウや鷹が居ない場合、ネズミは想像以上に急速に繁殖する。ネズミが氾濫して対策が採られなかった場合、人間は適切な生活ができるか、というと、それは不可能である。それでは、人間にはどのような問題が発生するであろうか。(ペストが発生する。)ペストだけだろうか。ネズミはあらゆる物を食べ尽くす。ネズミは木でさえも食べる。家の内部に2匹のネズミが居た場合、その家の住人は全員困るであろう。ネズミは油を食べたり、穀物を食べたり、衣服をかじったりする。これがネズミが人間に及ぼす被害である。ほんの小さいネズミであるが、人間には対策となる手段が無い。ネズミは人間を脅かすことすらある。ネズミは時として食器棚に昇るが、そこにある食器はそれでも使えるだろうか。それらの食器は使えず、消毒も効果が無く、消毒しても安心できないので、仕方なくそれらの食器を捨てる。また、ネズミが食べない物についても、ネズミはそれをかじり、台無しにする。ネズミは衣服や靴、木、家具など、あらゆるものをかじる。ネズミの大群については言うまでも無いが、困惑を引き起こすには、たった2匹のネズミで十分である。ネズミが災害となると、その被害は想像を絶する。
それでは、蟻が災害となった場合は、どのようなものであろうか。蟻が人間におよぼす被害は無視できない。蟻が木を蝕んだ結果、家1軒が倒壊することも珍しくない。蟻の力は侮れない。そうしたわけで、シロアリやその卵が木造住宅で発見された場合、アメリカでは大問題となる。シロアリ駆除専門技術を持つ技術者が従事する専門企業を探す必要がある。シロアリを退治しなければ、その家は売却が困難になり、大問題となる。あなたがたは、馬を食べた蟻の大群の話を聞いたことがあるだろうか。蟻の大群が馬を襲い、残されたのは馬の骨だけであった。これは恐ろしいことである。それを見た馬の持ち主は、どこへ逃げただろうか。付近に湖があったので、その持ち主は湖へ向かって走り、泳いで湖の対岸へ渡った。この者はそうして一命を取り留めた。しかし、それを目撃した後、持ち主は、あれほど小さい蟻の想像を絶する威力を目撃したことを、一生涯忘れることができなかった。持ち主は危うく蟻に食べられそうになった。この者が馬を持っていなかったとしたら、蟻は間違い無くこの者を食べていたであろう。また蟻とこの者の間には水があったので、蟻は急いで水を渡ってこの者を食べることが出来なかった。もし水が無かったとしたら、この者は馬もろとも食べられていたであろう。蟻の威力を侮ってはならない。
また、様々な鳥が災害となった場合も、恐ろしいものとなる。つまり、それがどのような動物や生き物であったとしても、その釣り合いが崩れた場合、それは通常と異なる、異常な範囲に増殖し、繁殖し、棲息することになる。そうした状況は、人間に対して想像を絶する影響を及ぼすであろう。そうした事態は人間の生存や生活に影響するだけではなく、人間に災害をもたらし、人間が完全に絶滅することもあるであろう。
神が万物を造った時、神は様々な手段と方法により、万物の釣り合いを取るようにし、山や湖沼の存続条件、植物や様々な動物、鳥、昆虫の生活条件の釣り合いを取った。神の目的は、神が定めた律法に従って様々な生き物が生活し、繁殖できるようにすることであった。あらゆる生き物はこれらの律法に反することができず、またこれらの律法は破ることが出来ないものであった。人間が安全に生活し、何世代にもわたって繁殖可能であるのは、この種の基本的な環境の中のみであった。ある生き物が、神が定めた量や範囲、神が支配している増加率、頻度、数を超えている場合、人間の生存環境は様々な程度の被害を受けるであろう。それと同時に、人間の生存が危機に瀕することになるであろう。ある種の生き物の個体数が多すぎる場合、その生き物は人間の食料を奪い、人間の水源に損害を与え、人間の生活地域が破壊されるであろう。このように、人間の繁殖と生存状態は、即座に影響を受ける。たとえば、水は万物にとって極めて重要である。ネズミ、蟻、イナゴ、カエルなど動物の数が多すぎる状態であり、それらの動物が水を飲む必要がある場合、こうした動物が飲む水の量も増加する。動物が飲む水の量が増加すると、その固定された飲料水の水源と水域において、人間の飲料水と水源は減少し、水が不足するであろう。様々な動物の個体数が増加し、人間の飲料水が破壊された場合、汚染された場合、あるいは減少した場合、そうした過酷な生存環境では人間の存続は深刻な危機に陥る。適切な数を超える動物が1種類あるいは数種類存在する場合、人間の生存空間内の空気、気温、湿度、そして空気の構成成分ですら様々な程度で被害を受け、破壊されるであろう。同様にして、こうした状況下では、人間の生存と運命が、この種の環境の脅威を受けるであろう。したがって、人間がこうした釣り合いを失った場合、人間が呼吸する空気が損害を受け、飲む水が汚染され、必要とする気温も変化し、様々な程度の影響を受けるであろう。こうした事態が発生した場合、人類の土着の生存環境に甚大な影響と問題が発生する。このような、人間の基本的な生存環境が破壊された状況では、人類の運命と将来の見通しは、どのようなものになるであろうか。これは極めて深刻な問題である。
人間にとって万物がどのような存在であるか、神が造った物それぞれの役割、それが人間にどのような影響を及ぼし、どれほど大きな利益をもたらすかを神は知っているので、神の心では、こうした物事全てに計画があり、また神は神が造った万物のあらゆる側面を管理している。したがって、人間にとって、神が行う業は、全て極めて重要であり、全て必要なものであった。万物の生態的な現象や万物の自然の律法を見ると、神が造った物それぞれの必要性に疑念を抱かなくなるであろう。あなたは、神による万物に対する采配と、神が人間に施す様々な方法について、無礼な言葉を使って勝手な判断をすることが無くなるであろう。また万物に対して神が定めた、神の律法に関しても、勝手な結論を行わなくなるであろう。そうではないだろうか。
今わたしが話した事柄は何に関するものであろうか。それを考えて欲しい。神の業には、それぞれに神独自の意図がある。人間にはこの意図が理解できないものの、その意図は常に人間の生存と密接に関連している。その意図は、人間の生存と関連していて、不可分である。なぜなら、神は無益な業を一切行わないからである。行われる業それぞれについて、その原則と原理には神の計画と知恵が含まれている。その計画と意図の根底にある目的は、人間の保護、災害や生き物による侵害、万物による人間に対する危害の回避における人間の支援である。そうしたわけで、本日話をした事項で見た神の業から判断して、神は別の方法で人間に施していると言えるであろうか。神はこの方法により人間に糧を与え、人間を牧養していると言えるであろうか。そう言えることは間違い無いであろう。ここまでの話で理解しているはずであるが、この事項と「神は万物の生命の源である」という表題には、強い関連性があるであろうか。(ある。)強い関連性があり、本事項はその一側面である。これらの事項について話をするまで、人々にあるのは神、神自身、神の業に関する曖昧な想像だけであり、そうした物事に関する真の認識は無い。しかしながら、人々が神の業について伝えられると、神の業の原則を理解できるので、それについて明瞭な理解を得ることができるのではないだろうか。(その通りである。)神の心では、神が業を行う時、万物を創造した時、万物を支配する時の神の原理、原則、規則は極めて複雑である。ここでの話のなかで、なにかひとつの事項について伝えた場合、これらが神の業であり、極めて現実的であることを、心の中で理解することが出来るであろうか。(出来る。)それでは、あなたがたの現時点における神の認識は、以前と異なるであろうか。それは本質的に異なる。従前の認識は極めて空虚であり、曖昧であるが、現在の認識には神の業を支持し、神が持っているものや神が何であるかと比較するための、具体的な証拠が多数含まれている。したがって、本日の話は、全てあなたがたの神の理解において重要な内容である。
本日の話はこれで終わりである。ごきげんよう。さようなら。(全能神、さようなら。)
2014年2月9日
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