2019年3月12日火曜日
全能神教会御言葉の抜粋「「唯一の神自身 9」6
このような釣り合いを維持している神の目的は何であろうか。その目的は人間の生存環境や生存と関連している。シマウマやそれに類似する鹿などのライオンの獲物となる動物の繁殖速度が過度に遅く、ライオンの数が急増した場合、人間にはどのような危険が及ぶであろうか。まず、人間が飼育するニワトリ、アヒル、ガチョウ、犬などがライオンの獲物となるであろう。これはそうした動物が屋外で生活しており、まずライオンの獲物となるからである。そうした動物だけでライオンの食料として十分であろうか。豚を2頭飼っている家庭もある。もしライオンが山から下りて来て豚2頭を食べたとしたら、ライオンは食後にそこから去るであろうか。ライオンは「山には食べ物が無いから、ここに居よう。この家庭には豚が居る。豚は私が食べたが、人間がいるはずだ。次の食事のための獲物がまだないから、丁度よい。人間は家の中に閉じこもっているが、永遠にそうしていることことは出来ない。」と思うであろう。人間が家の外へ出るとすぐに、ライオンは人間をいとも簡単に食べるであろう。人間は抵抗できない。それは悲惨なことではないだろうか。ライオンがシマウマを食べるというのは正常な現象だが、ライオンが人間を食べると、それは悲劇となるであろう。神はこうした悲劇を予定しておらず、それは神の支配外であり、ましてや神が人間にもたらすものでは決してない。むしろ、それは人間が自ら招いたものである。そうしたわけで、神が考えるとおり、万物の釣り合いは、人間の生存に不可欠である。植物であるか動物であるかを問わず、万物の適切な釣り合いを崩してはならない。植物、動物、山、湖沼は、人間のために正常な生態環境をもたらす。人間の生存が安全であるのは、こうした釣り合いの取れた生態環境が人間に存在する場合のみである。草木の繁殖能力が芳しくなかったり、繁殖速度が極端に遅かったりしたら、土はどうなるであろうか。土は湿分を喪失するのではないだろうか。土から湿分が無くなると、問題となるだろうか。土が湿分と植生を喪失すると、浸食が急速に進み、土中に砂が発生する。その土は健全な状態で無くなり、砂が多くなり、土壌が悪化すると、人間の生存環境も破壊される。この環境破壊と同時に、災害が発生するであろう。こうした生態系の釣り合いや生態環境が存在しない場合、万物の釣り合いが崩れていることが原因となって、人間は頻繁に災害に見舞われるであろう。たとえば、環境の釣り合いが崩れた結果、特定の場所でカエルが増加し、カエルの生態系が破壊され、全てのカエルが集まり、個体数が激増して、都市部でもカエルが道路を横断したり大量のカエルが道路上に居るのが目撃されるような場合がある。大量のカエルが人間の生存環境を占領したとしたら、それは何と呼ばれるであろうか。それは災害と呼ばれる。それが災害と呼ばれるのは何故だろうか。カエルという小動物は、カエルの生存に適した場所に留まっている場合、人間の生存環境の釣り合いを維持するので、人間にとって有益である。カエルが災害となるとすぐに、人間生活の秩序に影響を与える。カエルがもたらすあらゆる物事や要素が、人間の生活の質に悪影響を及ぼすおそれがある。人間の身体の器官が攻撃されることすらある。これがその種の災害のひとつである。
それと別の、人間が頻繁に経験する災害として、イナゴの大量発生がある。これは災害ではなかろうか。これは恐るべき災害である。人間は飛行機や大砲、原子爆弾を造ることができるが、そうした人間の能力がどれほどのものかを問わず、イナゴが人間を侵略した時、人間にはどのような対策があるだろうか。人間はイナゴに対して大砲を使えるだろうか。イナゴをマシンガンで撃つことが出来るだろうか。それは出来ない。それではイナゴに殺虫剤を噴霧して駆除できるであろうか。それも容易ではない。それでは、そうした小さなイナゴは、何故侵略してくるのだろうか。それは穀物を食べるためである。イナゴが襲来した場所は、全て完全に穀物が消滅する。イナゴは穀物と穀粒のみを食べる。イナゴが通過すると、穀物は全て消滅する。イナゴが襲来すると、農民が生活の糧とし、1年分の穀物を、一瞬にしてイナゴが食べ尽くしてしまう。それでは、イナゴの襲来は人間にとって何であろうか。それは単なる不都合ではなく、災害である。
イナゴは災害のひとつであるが、ネズミはどうであろうか。ネズミの繁殖速度が速すぎる場合であって、ネズミを食べるフクロウや鷹が居ない場合、ネズミは想像以上に急速に繁殖する。ネズミが氾濫して対策が採られなかった場合、人間は適切な生活ができるか、というと、それは不可能である。それでは、人間にはどのような問題が発生するであろうか。(ペストが発生する。)ペストだけだろうか。ネズミはあらゆる物を食べ尽くす。ネズミは木でさえも食べる。家の内部に2匹のネズミが居た場合、その家の住人は全員困るであろう。ネズミは油を食べたり、穀物を食べたり、衣服をかじったりする。これがネズミが人間に及ぼす被害である。ほんの小さいネズミであるが、人間には対策となる手段が無い。ネズミは人間を脅かすことすらある。ネズミは時として食器棚に昇るが、そこにある食器はそれでも使えるだろうか。それらの食器は使えず、消毒も効果が無く、消毒しても安心できないので、仕方なくそれらの食器を捨てる。また、ネズミが食べない物についても、ネズミはそれをかじり、台無しにする。ネズミは衣服や靴、木、家具など、あらゆるものをかじる。ネズミの大群については言うまでも無いが、困惑を引き起こすには、たった2匹のネズミで十分である。ネズミが災害となると、その被害は想像を絶する。
それでは、蟻が災害となった場合は、どのようなものであろうか。蟻が人間におよぼす被害は無視できない。蟻が木を蝕んだ結果、家1軒が倒壊することも珍しくない。蟻の力は侮れない。そうしたわけで、シロアリやその卵が木造住宅で発見された場合、アメリカでは大問題となる。シロアリ駆除専門技術を持つ技術者が従事する専門企業を探す必要がある。シロアリを退治しなければ、その家は売却が困難になり、大問題となる。あなたがたは、馬を食べた蟻の大群の話を聞いたことがあるだろうか。蟻の大群が馬を襲い、残されたのは馬の骨だけであった。これは恐ろしいことである。それを見た馬の持ち主は、どこへ逃げただろうか。付近に湖があったので、その持ち主は湖へ向かって走り、泳いで湖の対岸へ渡った。この者はそうして一命を取り留めた。しかし、それを目撃した後、持ち主は、あれほど小さい蟻の想像を絶する威力を目撃したことを、一生涯忘れることができなかった。持ち主は危うく蟻に食べられそうになった。この者が馬を持っていなかったとしたら、蟻は間違い無くこの者を食べていたであろう。また蟻とこの者の間には水があったので、蟻は急いで水を渡ってこの者を食べることが出来なかった。もし水が無かったとしたら、この者は馬もろとも食べられていたであろう。蟻の威力を侮ってはならない。
また、様々な鳥が災害となった場合も、恐ろしいものとなる。つまり、それがどのような動物や生き物であったとしても、その釣り合いが崩れた場合、それは通常と異なる、異常な範囲に増殖し、繁殖し、棲息することになる。そうした状況は、人間に対して想像を絶する影響を及ぼすであろう。そうした事態は人間の生存や生活に影響するだけではなく、人間に災害をもたらし、人間が完全に絶滅することもあるであろう。
神が万物を造った時、神は様々な手段と方法により、万物の釣り合いを取るようにし、山や湖沼の存続条件、植物や様々な動物、鳥、昆虫の生活条件の釣り合いを取った。神の目的は、神が定めた律法に従って様々な生き物が生活し、繁殖できるようにすることであった。あらゆる生き物はこれらの律法に反することができず、またこれらの律法は破ることが出来ないものであった。人間が安全に生活し、何世代にもわたって繁殖可能であるのは、この種の基本的な環境の中のみであった。ある生き物が、神が定めた量や範囲、神が支配している増加率、頻度、数を超えている場合、人間の生存環境は様々な程度の被害を受けるであろう。それと同時に、人間の生存が危機に瀕することになるであろう。ある種の生き物の個体数が多すぎる場合、その生き物は人間の食料を奪い、人間の水源に損害を与え、人間の生活地域が破壊されるであろう。このように、人間の繁殖と生存状態は、即座に影響を受ける。たとえば、水は万物にとって極めて重要である。ネズミ、蟻、イナゴ、カエルなど動物の数が多すぎる状態であり、それらの動物が水を飲む必要がある場合、こうした動物が飲む水の量も増加する。動物が飲む水の量が増加すると、その固定された飲料水の水源と水域において、人間の飲料水と水源は減少し、水が不足するであろう。様々な動物の個体数が増加し、人間の飲料水が破壊された場合、汚染された場合、あるいは減少した場合、そうした過酷な生存環境では人間の存続は深刻な危機に陥る。適切な数を超える動物が1種類あるいは数種類存在する場合、人間の生存空間内の空気、気温、湿度、そして空気の構成成分ですら様々な程度で被害を受け、破壊されるであろう。同様にして、こうした状況下では、人間の生存と運命が、この種の環境の脅威を受けるであろう。したがって、人間がこうした釣り合いを失った場合、人間が呼吸する空気が損害を受け、飲む水が汚染され、必要とする気温も変化し、様々な程度の影響を受けるであろう。こうした事態が発生した場合、人類の土着の生存環境に甚大な影響と問題が発生する。このような、人間の基本的な生存環境が破壊された状況では、人類の運命と将来の見通しは、どのようなものになるであろうか。これは極めて深刻な問題である。
人間にとって万物がどのような存在であるか、神が造った物それぞれの役割、それが人間にどのような影響を及ぼし、どれほど大きな利益をもたらすかを神は知っているので、神の心では、こうした物事全てに計画があり、また神は神が造った万物のあらゆる側面を管理している。したがって、人間にとって、神が行う業は、全て極めて重要であり、全て必要なものであった。万物の生態的な現象や万物の自然の律法を見ると、神が造った物それぞれの必要性に疑念を抱かなくなるであろう。あなたは、神による万物に対する采配と、神が人間に施す様々な方法について、無礼な言葉を使って勝手な判断をすることが無くなるであろう。また万物に対して神が定めた、神の律法に関しても、勝手な結論を行わなくなるであろう。そうではないだろうか。
今わたしが話した事柄は何に関するものであろうか。それを考えて欲しい。神の業には、それぞれに神独自の意図がある。人間にはこの意図が理解できないものの、その意図は常に人間の生存と密接に関連している。その意図は、人間の生存と関連していて、不可分である。なぜなら、神は無益な業を一切行わないからである。行われる業それぞれについて、その原則と原理には神の計画と知恵が含まれている。その計画と意図の根底にある目的は、人間の保護、災害や生き物による侵害、万物による人間に対する危害の回避における人間の支援である。そうしたわけで、本日話をした事項で見た神の業から判断して、神は別の方法で人間に施していると言えるであろうか。神はこの方法により人間に糧を与え、人間を牧養していると言えるであろうか。そう言えることは間違い無いであろう。ここまでの話で理解しているはずであるが、この事項と「神は万物の生命の源である」という表題には、強い関連性があるであろうか。(ある。)強い関連性があり、本事項はその一側面である。これらの事項について話をするまで、人々にあるのは神、神自身、神の業に関する曖昧な想像だけであり、そうした物事に関する真の認識は無い。しかしながら、人々が神の業について伝えられると、神の業の原則を理解できるので、それについて明瞭な理解を得ることができるのではないだろうか。(その通りである。)神の心では、神が業を行う時、万物を創造した時、万物を支配する時の神の原理、原則、規則は極めて複雑である。ここでの話のなかで、なにかひとつの事項について伝えた場合、これらが神の業であり、極めて現実的であることを、心の中で理解することが出来るであろうか。(出来る。)それでは、あなたがたの現時点における神の認識は、以前と異なるであろうか。それは本質的に異なる。従前の認識は極めて空虚であり、曖昧であるが、現在の認識には神の業を支持し、神が持っているものや神が何であるかと比較するための、具体的な証拠が多数含まれている。したがって、本日の話は、全てあなたがたの神の理解において重要な内容である。
本日の話はこれで終わりである。ごきげんよう。さようなら。(全能神、さようなら。)
2014年2月9日
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