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2017年12月20日水曜日

【東方閃電】全能神の発表「二十番目の言葉」



わたしの家の富は数知れず、計り知れない。しかし、人間は誰も、それを享受しに来たことがない。人間は自分でそれらを楽しむことができないし、また、自分の力で自らを守ることもできない。その代わりに、いつでも他者を頼みとしてきた。わたしの見てきた者たちの中で、自分の意思で直接わたしを求めてきた者は一人もいない。彼らはみな、他人に促され、大多数にしたがってわたしの前に来る。そして、自分の生活を豊かにするために、代価をはらったり、時間をかけたりすることを好まない。それゆえ、人間の中で、これまで誰一人実際の中で生きたものはおらず、みな無意味な人生を生きている。人間の長年の間に培われた習慣のため、すべての人の体は、地の土のにおいに満ちている。その結果、人間は無神経になった。世界の荒廃するのに気付かず、冷たい世の中で自らの楽しみを求めることに忙しい。人間の生活には、少しのぬくもりもなく、人間らしさや光がまったくない──それなのに、人間はそれに慣れていて、価値のない人生を送り、何事も成し遂げず、走り回っている。瞬く間に死が迫り、人間は悲痛な死を迎える。人間はこの世で何事も成し遂げず、何も得ない──ただあわただしくやって来て、大急ぎで去ってゆく。その誰一人、わたしの目には何ももたらさず、何も持ち去らなかった。そこで、人間は、この世が不公平だと感じる。しかし、誰も急いで去ろうとは思っていない。わたしの天からの約束が突然人間の中に実現する日を待っているだけだ。そうなれば、たとえ道を踏み外しても、その時には、もう一度永遠の命への道が開かれるというのだ。そうして、わたしがほんとうに約束を守るかどうか、わたしのすることなすことすべてをじっと見ている。患難の中にいるとき、あるいは、はなはだしい苦痛の中にいるとき、試練にさらされ、倒れそうなとき、人間は生まれた日を呪い、少しでも早く苦境から抜け出し、別の理想的な場所に移りたいと考える。しかし、その試練が過ぎ去ると、人間は喜びに満たされる。地上に生まれた日を祝い、自分の誕生日を祝福するよう、わたしに願う。その時点では、もはや以前の誓いには触れず、再び死が訪れるのではないかと、深く恐れる。わたしの手が世界を引き上げると、人々は喜びに舞い踊る。もはや悲しまず、わたしを頼みとする。わたしが顔を手で覆い、人々を地中に押し込むと、人々はただちに息苦しくなり、かろうじて生きているという状態になる。人々はわたしが彼らを滅ぼすことを恐れ、わたしに向かって声を上げる。人間はわたしが栄光を得る日を目の当たりにしたいと願っているからである。人間はわたしの日を自身の存在の資本だと考え、わたしの栄光が訪れる日の到来を待つために今日まで存続しているのだ。わたしの口から出た祝福は、終わりの日に生まれた者は幸いで、わたしの栄光すべて見ることができると告げている。
長い間に、大勢が失望して、しぶしぶこの世を去った。そして大勢が希望と信じる心を持ってこの世に来た。わたしは大勢が来るようにし、大勢を去らせた。無数の人々がわたしの手を通り過ぎた。多くの霊がよみに投げ込まれ、多くが肉の体で生き、多くが死んでは、この世に生まれ変わった。しかし、けっして誰も今日の神の国の祝福を受ける機会は得なかった。わたしは人間に実に多くを与えた。しかし、人間はほんのわずかしか得ていない。サタンの勢力が襲ってきて、人間がわたしの富を享受できないようにしたためだ。人間は、目にする幸いは得たが、けっして完全に享受することはできなかった。人間は、天からの富を受け入れる宝庫をその体の中に発見することがなかった。そのため、わたしが与えた祝福を失ったのだ。人間の霊こそは、人間をわたしの霊に繋ぐためのものそのものではないか。なぜ人間は、けっしてその霊においてわたしにつながることがないのか。なぜ人間は肉においてわたしに近づきながら、霊においては、そうできないのか。わたしの真の顔は、肉のものなのか。なぜ人間はわたしの本質を知らないのか。人間の霊には、わたしの痕跡がほんとうに存在しないのか。わたしは人間の霊から完全に消え去ったのか。もし人間が霊界に入らないのなら、どうしてわたしの意図が把握できよう。人間の目には、霊界を直接見通すことのできる力があるとでもいうのか。わたしは何度も霊で人間に呼びかけた。しかし、人間は、わたしが突き刺しでもしたかのように振る舞い、わたしが別の世界に連れて行こうとしているのではないかと、ひどく恐れ、離れた所からわたしを見ている。何度も人間の霊に問いかけてみたが、人間はまったく気づかないで、わたしが彼の家に入って、その機会に持ち物をすべて奪うのではないかと、深く恐れている。そこで、わたしを締め出すので、わたしは、冷たい、固く閉ざされた「扉」に向かい合うことになった。人間が倒れ、わたしが助けたことは何度もあるが、人間は気がつくと、すぐさまわたしを去り、わたしの愛に触れず、用心深い目を向ける。人間の心が温かくなることはなかった。人間は感情のない冷血動物だ。わたしの抱擁に温まっても、けっしてそれで深く動かされることがない。人間は山の野蛮人のようなものだ。人間は一度たりとも、わたしの人類に対する思いを大切に思ったことがない。人間はわたしに近づきたがらず、山々の中に住むことを好む。そこでは野獣に脅かされているのだが、それでも、わたしの内に逃げ込もうとはしない。わたしは人間に強制しない。わたしの働きをするだけだ。陸地のすべての富を楽しみ、海に飲み込まれる危険から解放されようと、いつの日か人間は大海原をわたしに向って泳ぐことだろう。
わたしの言葉がすべて終わった後、わたしの国は徐々に地に形を現し、人間は次第に正常に戻り、そうして、地上にわたしの心の国が築かれる。その国では、神の民全員が正常な人間の生活を取り戻す。凍える冬は去り、春の訪れた町々の世界となり、一年中春が続く。もはや人々は暗く惨めな人間世界に臨まない。もはや人間世界の凍える寒さを耐えることがない。人々は互いに戦うことなく、国々は互いに戦争を仕掛けることがない。もはや大虐殺が行われて血が流されることはない。地はすべて幸福に満たされ、どこも人と人とのぬくもりが満ちる。わたしは世界を動き回り、玉座の上から楽しむ。わたしは星々の間で暮らす。そして、天使たちがわたしに新しい歌や踊りをささげる。天使たちは、もはや自身のもろさに涙がほほを伝うことはない。もはや天使がわたしの前ですすり泣くのを聞くことがない。そして、もはや誰も苦難をわたしに訴えることがない。今日、あなたがたはわたしの前で生きている。明日、あなたがたはみな、わたしの国で暮らすようになる。これは、わたしが人間に与える最大の祝福ではないか。あなたがたは、今日支払う代価のために、将来の祝福を相続し、わたしの栄光の中で生きることになる。あなたがたはまだ、わたしの霊の本質と関わりたくないのか。あなたがたは、まだ自分を殺したいのか。人間は、それがはかないものであっても、自分の目に見える約束は追い求めたがる。しかし、それがたとえ永遠のものであっても、明日の約束を受け入れようとする者は誰もいない。人間の目に見えるものを、わたしは根こそぎにする。人間には感知できないことを、わたしは成し遂げる。これが神と人との違いである。
人間はわたしの日を記録する。しかし、誰一人、厳密な日付を知った者はいない。そのように、人間は昏迷した状態で生きる。人間の切望が無限の空に響き渡り、そして消えるので、人間は何度も繰り返し希望を失い、そのために、現在の状況に陥ったのだ。わたしの言葉の目的は、人間に日付を追わせることではなく、また、絶望の結果、自滅に追い込むことでもない。人間がわたしの約束を受け入れることを願う。世界中の人々がわたしの約束に与ることを願う。わたしが求めるのは、生き生きとした生き物である。死に染まった死体ではない。わたしはゆったりと国のテーブルにつき、地のすべての人々に、わたしの審査を受けよと命じる。わたしの前には、清くない者の存在を許さない。人間がわたしの働きの妨げをすることは、誰にも許さない。わたしの働きを妨げる者はみな、地下牢に放り込まれ、釈放された後でも、災いに見舞われる。地上の焼きつけるような炎を浴びるのだ。わたしが受肉しているとき、誰でも肉の体のわたしと、わたしの働きについて議論する者を、わたしは憎む。わたしには地上に身内がないのであり、誰であっても、わたしを同等の存在を見て、わたしを引き寄せて昔のことを語ろうとする者は滅ぼされるのだということを、すべての人間に、わたしは何度も思い起こさせた。これがわたしの権限である。そうしたことについて、わたしは人間に対して、まったく許容しない。わたしの働きを妨げてわたしに意見しようとする者は、刑罰を受ける。けっして赦されることがない。もしわたしが率直に話さなければ、人間はけっして理解するに至らず、気づかないままわたしの刑罰を受けることになる。人間は肉の体のわたしを知らないからである。
1992年3月20日


私たちについて:全能神教会の紹介
もっと知る:  [東方閃電]全能神教会はどうやって創られたでしょうか 



2017年10月30日月曜日

【東方閃電】全能神の発表「十二番目の言葉」



東から稲妻が走るとき──これはまた、わたしが話し始める、まさにその瞬間である──稲妻が光るその瞬間、天空全体が照らされ、すべての星々が変化し始める。全人類に正しい清めと分類が行われているかのようだ。東からの光芒の下、人間はみな本来の形を現し、目がくらみ、混乱し、動きがとれずにいる。まして、自らの醜い顔を隠すことができない。また、彼らはわたしの光から逃げて山の洞窟に隠れようと逃げる動物のようだ。しかし、わたしの光の中では、彼らの一人も姿を消せない。人間はみな恐怖と不安にとらわれ、みなじっと待ち、みな見守っている。わたしの光の出現により、みな自分の生まれた日を喜び、同様に、みな自分の生まれた日を呪う。対立する感情は表現し難い。自己懲罰の涙が川と流れ、勢いの早い流れに運ばれ、瞬く間に跡形もなくなる。再び、わたしの日が人類の上に迫り、再び、人類を目覚めさせ、人間たちは新たな始まりを迎える。わたしの心臓が拍動し、その鼓動にしたがって、山々が喜びに飛び上がり、水が喜びに踊り、波が律動し、岩礁を叩く。わたしの心にあるものを言い表すのは困難だ。わたしは、わたしの視線ですべての穢れたものが燃えて灰となり、不従順の子らがみな、わたしの目の前から一掃され、もはや存在しなくなることを望む。わたしは赤い大きな竜のすみかに新たな始まりをもたらしたばかりではなく、全宇宙で新たな働きを始めた。間もなく、地上の国々がわたしの国となる。間もなく地上の国々はわたしの国故に永遠に存在しなくなる。わたしがすでに勝利を得たのだから。わたしが勝利のうちに戻ったのだから。赤い大きな竜は、地上でのわたしの働きを打ち消そうと、わたしの計画を妨げるために考え得るあらゆる手段を用いたが、わたしが竜の欺きに満ちた策略のせいでくじけるだろうか。わたしが竜の脅しに怯え、自信を失うだろうか。天にも地にも、わたしのたなごころの内にないものは一つもない。赤い大きな竜、わたしの引き立て役となっているものは、なおさらではないか。これもまた、わたしの手で操れるものではないのか。
わたしが人間の世界で受肉したとき、人間はわたしの導きの手に従って、知らず知らずのうちにこの日に至り、それと知らぬうちに、わたしを知るようになった。しかし、前に続く道をどう歩むかということは、誰にもわからない、誰も知らない。まして、その道がどこに続いているかは、誰も見当がつかないのだ。全能者の見守りがあってはじめて、人はその道を最後まで歩むことができる。東の稲妻に導かれてはじめて、人はわたしの国への境界を越えることができる。人間たちの間に、わたしの顔を見た者、東に稲妻を見た者は誰もいない。わたしの玉座から出る声を聞いた者は、どれほど少ないだろう。実際、遠い昔から、わたしの本体に直接触れた人間は一人もいない。今日初めて、わたしがこの世界に来て、人間はわたしを見る機会を得る。しかし、今でも、人間はまだわたしを知らず、わたしの顔を見、声を聞くだけで、わたしの意志を理解していない。人間はみな、そういうふうなのだ。わが民として、あなたがたは、わたしの顔を見て、大いに誇りを感じるのではないか。また、わたしを知らないことに惨めな恥ずかしさを覚えないだろうか。わたしは人間の間を歩き、人間の間で暮らす。わたしは受肉し、人間の世界に来たからだ。わたしの目的は、ただ人間がわたしの肉の体を見られるようにするだけではない。より重要なことは、人間がわたしを知ることができるようにすることだ。さらに、わたしは肉の体を通して、人間に対して有罪判決を下す。受肉した体によって、赤い大きな竜を打ち破り、そのすみかを一掃する。
地上に生きる人間は星の数ほど多いが、わたしは全員を自分の手のひらのように、よく知っている。また、わたしを「愛する」人間もまた海の砂より多いが、わたしに選ばれたものはごく少数だ。わたしを「愛する」人々とは違い、まばゆい光を追い求める者だけだ。わたしは人間を過大評価も過小評価もしない。そうではなく、生まれながらに備わった特質に基づいて要求する。そこで、わたしの求めるのは、心からわたしを求める者だ──これは、わたしが人間を選ぶ目的を達するためだ。山々には無数の獣がいる。しかし、彼らはみな、わたしの前では羊のように穏やかだ。海の底には計り知れない奥義が潜んでいる。しかし、それらは、わたしには地上のすべての物事同様、明瞭に見える。天には、人間がけっして到達できない領域がある。しかし、わたしはそうした、到達不能の場所を自由に歩き回る。人間はけっして光の中でわたしを認識しておらず、闇の世界でだけ、わたしを見ている。あなたがたは、今も同じ状況にあるのではないか。赤い大きな竜が最大の猛威を振るっているときに、わたしは働きを始めるために正式に受肉した。赤い大きな竜がその真の姿をはじめて現したとき、わたしは、わたしの名を証しした。わたしが人間の道を歩き回ったとき、ただ一つの生き物、ただ一人の人間も、驚いて覚醒することはなかった。だから、わたしが人間世界で受肉していたとき、誰もそれを知らなかった。しかし、わたしの受肉した体で働きを始めると、人間が目覚める。わたしの雷鳴のような声に驚いて夢から醒め、その瞬間から、わたしの導きのもとでの生活を始める。わが民の中で、わたしは再び新たな働きを始めた。地上での働きが終わっていないと言った。これは、わたしが以前に話した民は、わたしが必要と認めた者たちではないにも関わらず、それでもまだ、そうした人々の中に選ばれた者たちがいることを十分証明する。このことから、わたしは、わが民が受肉した神を知ることができるようにしているだけではなく、わが民を清めるためにそうしていることが明らかになる。わたしの行政の厳しさにより、大多数の人々はまだ、わたしに除かれる危険がある。あなたがたが精一杯自分を取り扱い、自分の体を打ち叩く努力をしない限り、そうしない限り、必ずわたしの嫌い捨てる存在になり、地獄に投げこまれる。パウロがわたしの手から直接刑罰を受けたのと同様、それは逃れようがない。あなたがたは、わたしの言葉に何かを見出しているのだろうか。以前と同様、わたしはまだ教会を清めるつもりであり、わたしの必要とする人々を清め続ける。なぜなら、わたしは全く聖く汚れのない神自身だからである。わたしの神殿は虹色に輝くだけではなく、清浄無垢で、内部も外部と調和するものにするつもりだ。わたしの前で、あなたがたは一人残らず、過去に何をしたかを思い起こし、今日、わたしの心に完全な満足を与えようと決心できるかを判断しなければならない。
人間は単に肉におけるわたしを知らないだけではなく、さらに悪いことに、肉の体をもつ自分というものを理解することができずにいる。何年が過ぎたろう。また、その間ずっと、人間はわたしを欺き、わたしをよそから来た客人として扱ってきた。何度、人々はわたしを彼らの家の戸口で締め出したろう。何度、わたしの前に立って、わたしを無視しただろう。何度、他の人々の間でわたしを拒んだだろう。何度、悪魔の前でわたしを否定しただろう。そして、何度、口論する口でわたしを攻撃したろう。しかし、わたしは人間の弱点を記録していないし、また、わたしに逆らったからといって、「歯には歯で」という対応はしない。わたしがしたのは、人間がついにわたしを知るように、不治の病を癒やすために人間の病に薬を用い、そうして健康にすることだ。わたしがしてきたことはすべて、人間の生存のためだったのではないか、人間に生活する機会を与えるためだったのではないか。わたしは何度も人間の世界に来たが、わたしが自身で訪れたため、人間は、わたしに気づかなかった。その代わり、人間たちは自分たちの仕事をし、自分で道を見出そうとした。天の下のどの道も全てわたしに発していることを、彼らはほとんど知らない。天の下のものはすべてわたしの采配によることを、彼らはほとんど知らない。あなたがたの誰が心に恨みをもつだろう。あなたがたのうち誰が、安易に決断を下そうとするだろう。わたしは、ただ静かに人間たちの間でわたしの働きをしている。それだけのことだ。わたしが受肉していた間、人間の弱さを考慮に入れていなければ、すべての人間は、わたしが受肉したというだけで怯えきり、その結果、ハデスに落ちていただろう。わたしが身を卑しくして自分を隠したから、人間は破滅を免れ、わたしの刑罰から救われ、そうして今日に至っているのだ。今日に至ることがどれほど困難なことであったかを念頭に置いて、これから来る明日を大切に思うべきではないか。
1992年3月8日


[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、全能神ご自身によって全てが創られたもので、決して人によって創られたものではありません。今日では、全能神の言葉、福音映画、讃美歌などは、ネットワークを通じて世界中のすべての国々に広がっています。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。