2.神の人間に対する要求
1) 神自身の身分と地位
これで、「神は万物の生命の源である」と、「神は唯一の神自身である」という主題は終了する。この主題の終わりにあたり、まとめを行う必要がある。このまとめは、何に関するものであろうか。神自身についてである。この主題は神自身に関するものであるので、まとめは神のあらゆる側面と、人間の神に対する信仰の形態に関連するものである必要がある。そこで、まずあなたがたに質問する。ここまでの話を聞いて、あなたがたの心の目に見える神は、誰であろうか。(創造主である。)心の目に見える神は創造主である。それ以外に回答はあるだろうか。神は万物の主である。万物を支配し、管理しているのは、神である。神は、存在するあらゆる物事を造り、管理し、また支配し、施す。これが神の地位であり、身分である。万物すなわち存在する全ての物事について、神の真の身分は創造主であり、支配者である。それが、神が所有する身分であり、神は万物にあって唯一の存在である。神の被造物のうちひとつとして、人間の世界にあるか、霊的世界にあるかを問わず、何らかの方法や申し開きにより、神の身分や地位を装ったり、神の代理となったりすることの出来るものはいない。なぜなら、万物を支配する身分と力、権威、そして能力を持つ者は、ただひとりしか存在せず、それが唯一の神自身であるからである。神は万物の中で生き、動いている。神は万物のうち最も高い場所へと昇ることができる。また神は、血と肉のある人間のひとりに身をやつし、人間と対面して苦楽を共にすることも可能である。それと同時に、神は万物に命じ、万物の運命や方向性を決定する。さらに、神は人類全体の運命と方向性を導く。このような神は、あらゆる生き物が崇め、付き従い、知るべき存在である。したがって、どの種類の人間に属するかを問わず、神を信じ、付き従い、敬うこと、またあなたの運命に対する神の支配と神の采配を受け容れることのみが、あらゆる人間や生き物にとって、必然の選択肢である。神の唯一性により、人間は神の権威、神の義なる性質、神の本質を理解し、そして神が万物に施す方法が全て独自のものであることを理解する。また神の唯一性により、神自身の真の身分と神の地位が決定される。そうしたわけで、あらゆる被造物のうち、霊的世界や人間の世界に存在する生き物が神の代わりとなろうとした場合、それは不可能であり、また神になりすますことも不可能である。これは事実である。神自身の身分、力そして地位を持つこのような創造主であり支配者が人間に要求することは何であろうか。このことは、今ここに居るあなたがた全員がはっきりと理解し、覚えておくべき事であり、神と人間の両方にとって極めて重要なことである。
2) 神に対する人間の様々な姿勢
人間の神に対する姿勢により、その人間の運命が決まり、その人間に対する神の姿勢と対処方法が決まる。ここで、人間の神に対する姿勢の例を数件挙げる。人間の神に対する様々な行儀と姿勢が正しいかどうかについて話をする。次に挙げる7種類の人間の行動について検討する。
A: 神に対する姿勢がことさらに不条理なタイプの人々が居る。こうした人間は、神が菩薩あるいは伝説に登場する聖なる存在のようなものであり、人間が神と会うときは三回礼をして、食事の後に香を焚かねばならないと考えている。したがって、こうした人間は、心中で神に感謝し、神の恵みに対する感謝の気持ちを頻繁に抱く場合、次のような衝動を感じる。こうした人々は、現在自分達が信じている神が、心の中で慕っている聖なる存在のように、神と会うときに3回礼をし、食後に香を焚くという神に対する自分達の行動を受け容れることが出来ることを願っている。
B: 神のことを生きている仏陀であり、あらゆる生き物の辛苦を解消して救うことが出来ると考えている人々が居る。こうした人々は、神を生きている仏陀であり、自分達を様々な困難から救うことが出来ると考えている。こうした人々の神に対する信仰は、神を仏陀として信仰することである。こうした人々は、香を焚くことは無く、叩頭せず、捧げ物もしないが、心の中では、自分達が信じる神は仏陀のような存在であり、自分達が親切であり、寛大であり、殺生を行わず、他人の悪口を言わず、誠実と思われる人生を送り、悪業を避けることができることだけを求める。これが、こうした人々の心の中の神である。
C: 神を偉人や有名人として崇拝する人々が居る。たとえば、こうした人々は、この偉人の話しかたの嗜好、すなわちこの偉人の発音や言い回し、語彙、語調、身振り、意見、行動、態度などを、全て模倣し、それがこうした人々の神に対する信仰の中で完全に実現させるべきこととなっている。
D: 神を君主と考えている人々が居る。こうした人々は神が誰よりも高位にあり、敢えて神に逆らおうとするものは居ないが、逆らった場合、自分達は刑を科されると感じている。こうした人々は、その君主を崇拝するが、それは自分達の心の一部にその君主が留まっているからである。君主の考え、作法、権威、性質、さらには関心事や個人生活までもが、すべて自分達が理解すべき事柄となり、考慮すべき問題となるので、こうした人々は神を君主として崇拝している。このような形態の信仰は滑稽である。
E: 神の存在について、高尚かつ確固とした特定の信仰がある人々がいる。こうした人々の神に関する認識は極めて表面的なものであり、神の言葉に関する経験が少ないため、こうした人々は神を偶像として崇拝する。こうした人々の心の中では、この偶像が神であり、自分達が畏れ、服従し、付き従い、模倣すべきものである。こうした人々は、神は偶像であり、生涯を通して付き従う必要のあるものと考えている。こうした人々は神の口調を模倣し、神が好む人々の外観を模倣する。こうした人々は、純粋無垢で正直と考えられる行為を頻繁に行い、決して離れることの出来ない仲間のように、この偶像に付き従う。これがこの種の人々の信仰形態である。
F: 神の言葉や説教を大量に聞いたにもかかわらず、神に対してこびへつらう、あるいは神を非現実的に讃美する必要がある、ということを原則とする姿勢の人々が居る。こうした人々は、神が自分達にこうした態度を要求していると考え、またそれを怠ると、神の怒りを買う可能性がある、それを怠ることが神に対する罪であり、罪の報いとして神が自分達を罰すると考えている。これが、こうした人々の心の中の神である。
G: 神が精神的な支えであると考えている人々が居るが、こうした人々は大部分を占めている。こうした人々は、この世で生活しているので、平和や幸福が欠如しており、慰めを見出すことが出来ない。こうした人々は、神の言葉を聞いて理解し、神を見出した後、心の中で密かな幸福を感じ、快活になる。それは何故であろうか。こうした人々は、幸福が与える場所、そして精神的な支えを与える神を、遂に見出したと考えている。それは、神を受け容れ、神に付き従い始めた後、幸福になり、生活が満たされ、あたかも動物のように人生を夢遊病の中で彷徨う信仰の無い者のような状態では無くなり、将来の人生に期待があると感じるからである。このように、そうした人々は神が自分の精神的な必要性を満たし、精神と魂の両方に大いなる幸福をもたらすことができると考えている。こうした人々は、無意識のうちに、この精神的な支えを与え、精神と家族全員に幸福をもたらす神から離れることが出来なくなる。こうした人々は、神への信仰から、精神的な支えをもたらすこと以外に何も求めることは無い。
こうした神に対する様々な姿勢があなたがたの中に存在するであろうか。(存在する。) こうした人々の信仰において、誰かの心にこうした姿勢のいずれかがある場合、こうした人々は真に神の前に来ることができるであろうか。心の中にこうした姿勢がある者は、神を信仰しているであろうか。こうした人々は唯一の神自身を信仰しているであろうか。唯一の神自身を信仰していないのであれば、あなたは何を信仰しているのであろうか。あなたが信仰しているのが唯一の神自身ではないとすれば、あなたは偶像、偉人、あるいは菩薩を信仰しており、心の中で仏陀を崇拝している可能性がある。さらに、あなたは普通の人間を信仰している可能性もある。要するに、人々の様々な信仰形態と神に対する態度が原因となって、人々は心の中で自分自身が認識する神を心に据え、神に自分の想像を強要し、自分の神に対する姿勢と想像を、唯一の神自身と同じ位置づけとして信奉している。神に対してこうした不適切な姿勢をとるということは、何を意味するであろうか。それは、真の神自身を否定し、偽の神を信仰していること、そして神を信じると同時に神を否定し、神に反抗していること、さらに真の神の存在を否定していることを意味する。もし人々がこうした信仰を続けたとしたら、こうした人々にはどのような結末が待ち受けているであろうか。こうした人々は、このような形態の信仰によって神の要求を少しでも満たすことが出来るだろうか。それとは反対に、そうした人々は概念や想像が原因となって、神の道から遠ざかってゆくだけであろう。なぜなら、そうした人々の方向性は神が求める方向性とは正反対のものだからである。あなたがたは「南轅北轍」の故事を聞いたことがあるだろうか。こうした人々は、まさに志と行動が相反する「南轅北轍」であると言える。こうした滑稽な方法で神を信仰した場合、信仰をすればするほど神から遠ざかってゆくであろう。そこで、あなたがたに忠告する。信仰を開始する前に、あなたの方向性が正しいかどうかを判断する必要がある。狙いを定めて努力し、必ず「自分が信仰している神は、万物の支配者であろうか。私が信仰している神は、単に精神的な支えを与えるのみの存在ではないだろうか。私が信仰している神は偶像ではないだろうか。私が信仰している神は、私に何を求めているだろうか。神は、私の行動すべてを認めているだろうか。私の行動と追求は、全て神を知ることを追求するものであろうか。私の行動は、神の私に対する要求に則しているだろうか。私が進んでいる道は、神により認識され認められているものだろうか。神は私の信仰に満足しているだろうか。」と自分自身に問い質すように。あなたは、常に、そして何度も、自分自身に対してこうした質問を問い質す必要がある。神に関する認識を追求することを望むのであれば、神に満足してもらうため、明確な意識と目標を持つ必要がある。
神が寛容であるため、先に述べたようなこれらの不適切な姿勢を神がしぶしぶ受け容れることは、あり得るであろうか。神がこのような人々の姿勢を称賛することがあり得るだろうか。人間そして神に付き従う人々に対する神の要求は何であろうか。神が人間に対して求める姿勢について、あなたがたは明瞭に理解しているであろうか。本日は、神自身や神の業、神が持っているものや神が何であるか、多くの事柄を話した。これで、あなたがたは神が人間から何を得る事を望んでいるかを認識したであろうか。神があなたに対して求めている事柄を知っているであろうか。意見を述べて欲しい。あなたがたの経験や実践から得た認識が無い場合や表面的である場合は、それらの言葉に関するあなたがたの認識を述べてもよい。あなたがたは、その概要を認識しているであろうか。神は人間に何を要求しているであろうか。(忠誠と服従を要求されている。)忠誠と服従以外に、何を要求しているであろうか。その他の兄弟姉妹の意見も聞こう。(これまで数回の話のなかで、神は、神、神の業、神が万物の生命の源であることを要求し、神の身分と地位、そして神の創造物としての人間の本分を人間が知ることを要求されている点を説明された。神は人間が全ての努力を何に捧げるべきか、神が人間に要求されている物事、神が好まれる人間、神が嫌悪される人間について明確にされた。)神が人間に対し、神を知る事を望んでいる場合、それは最終的にどのような結果となるであろうか。(人間は、神が創造主であり、人間は造られたものであることを知る。)人間がそうした認識を得た時、人間の神に対する態度、行動、実践方法、いのちの性質は、どのように変化するであろうか。あなたがたは、このようなことを考えたことがあるだろうか。人間は、神を知り、理解した後に善良な人間になる、と言えるであろうか。(神の信仰は善良な人間となることを追求するものではない。)それでは、こうした人々は、どのような人間であるべきであろうか。(こうした人々は、条件を満たした、神の被造物であるべきである。)(こうした人々は誠実で無ければならない。)それ以外に回答はあるだろうか。(神の采配に服従し、神を真に信仰し、愛することが出来る人間になるべきである。)(良心と分別を持ち、真に神に従うことが出来る必要がある。)その他の回答はあるだろうか。(真に正しく神を知ると、人間は神を神として振る舞うことができるようになり、その後永遠に神が神であること、人間が被造物であり、人間は神を崇拝すべきであることを知り、その身分を堅持するようになる。)素晴らしい。その他の者の意見を聞こう。(神との交わりにより、人間は万物を支配する神の権威を知り、神が万物の支配者であられることを確認することが可能となり、それによって日々神が人間のために用意された環境に従い、神が人間に与えられた使命に真に従うことが可能となる。)(人間は神を知っており、したがって最終的には真に神に従い、敬い、邪悪を避ける人間となることができる。)それは正しい。
