2019年3月5日火曜日

全能神教会御言葉の抜粋「「唯一の神自身 9」4




 ここで話をしたことは、すべてが人間ひとりひとりの生存と密接に関連している。あなたがたには「あなたの言うことは話が大きすぎて理解できない」という意見があったり、あるいは「あなたの言うことは私と無関係だ」という者が居たりするかも知れない。しかし、あなたは万物のひとつとして生きているということ、神の支配下にある万物のひとつであるということを忘れてはならない。万物は神の支配から切り離すことが出来ないので、神の支配から自分を切り離すことが出来る人間は居ない。神による支配と供給を失うと、人間の命、すなわち人間の肉にある命は消滅するであろう。これが、神が人間の生活環境を定めたことの重要性である。人種を問わず、また東洋、西洋など居住地域を問わず、人間は、神が人類のために用意した自らの生存環境から自らを切り離すことはできず、神が用意した生存環境による養育と供給から自らを切り離すことができない。あなたの生活手段や、あなたが生活を依存している物事、肉にある命の維持を依存している物事が何であれ、あなたは神による支配と管理から自らを切り離すことが出来ない。一部の人々は、「私は農民では無く、作物を栽培して生計を立てていない。私は食料を天に依存していないので、神により定められた生存環境で生存していない、と言えるであろう。そうした環境からは、何も与えられていない。」などと言う。しかし、それは誤っている。それが誤っているのは何故か。あなたは作物を栽培して生計を立てていないと言うが、穀類を食べないだろうか。あなたは、肉を食べないだろうか。あなたは、卵を食べないだろうか。あなたは、野菜や果物を食べないだろうか。あなたの食べ物や必需品は、全て神が人間のために定めた生存環境と切り離すことが出来ない。人間に必要な物の源は、神が造った万物やこうした生存環境と切り離せない。あなたが飲む水、着ている衣服、使っているあらゆる物のうち、万物から得た物では無いものは、あるだろうか。一部の人々は、「万物から得た物以外の物が多少ある」と言うかもしれない。それは何であろうか。例を挙げられるだろうか。一部の人々は、「プラスチックは万物から得た物以外の物だ。プラスチックは人間が造った化学物質だ」と言うかもしれない。しかし、それは誤っている。それは何故であろうか。プラスチックは人間が造った化学物質だが、プラスチックの原材料は、何に由来するであろうか。(原材料は、最初に神が造られた物に由来する。)原材料は、神が造った物質から得たものである。あなたが享受するもの、見るもの、使うものは、全て神が造った万物から得たものである。つまり、人種、生活手段、居住する生存環境の種類を問わず、人間は自分自身を神から供給される物事から切り離すことが出来ない。そうしたわけで、本日話をしている事項は「神が万物の生命の源である」という主題に関連していると言えるであろうか。本日話をしている事柄は、この大きな主題に含まれるであろうか。本日このような話をしたのは、ひとえにこの関連性があるからである。本日の話には、多少抽象的で話が難解な部分もあるかも知れない。しかし、この主題に関するあなたがたの理解が多少向上したことであろう。

 前回まで数回の話で説明した事項は、比較的広範囲におよぶものであり、その対象も幅広いものであったので、理解するには多少の努力が必要である。なぜなら、これらの事項は、人間の神に対する信仰のなかで嘗て直面したことの無いものだからである。この話を神秘であると捉える者と、話として捉える者が居るが、どちらの観点が正しいであろうか。あなたがたは、この話をどのような観点で聞いているだろうか。この話から何が分かったであろうか。誰かに述べて貰いたい。(神の権威の一側面を認識し、神の高潔を知り、それらを知ったことにより人間に対する神の愛を認識した。神の業には、それぞれに、人間に対する神の周到な采配と計画が含まれている。神は人間を愛し、慈しんでいるので、十分に配慮して人間の食料を与えた。)(神の業と、神が万物を整然と整えたこと、万物に律法があることを理解した。また本日の話により、神の業と、人間の救いのための神による周到な采配について理解が深まった。)数回にわたり話をしてきたなかで、神による万物支配の範囲がどのようなものかを理解したであろうか。(それは人類と物事のすべてである。)神はあるひとつの人種の神であるだろうか。神はあるひとつの種類の人間の神であるだろうか。神は限られた一部の人間の神であるだろうか。(そうではない。)そうではないので、人間の神に関する認識において、神が限られた一部の人間の神であるか、あるいは神があなたがただけの神であるという見解は正しいであろうか。神は万物を管理し、支配しているので、人間は神による万物支配で明示された神の業、知恵、全能性を理解できるはずである。これは人間が理解すべき事柄である。神が万物と人間を管理し、支配していると言いながら、神による人間支配に関する認識が皆無であるとすれば、神が万物を支配していることを真に認識できるであろうか。あなたには、それが出来るだろうか。あなたは心の中で「私の一生も神により支配されていることは分かるので、そのように認識出来る」と考えるかも知れない。しかし、神はそれほど小さな存在であるだろうか。神はそのような存在ではない。あなたは、自分自身に対する神の救いと業のみを理解し、そうした救いと業から神による支配を認識している。それでは範囲が小さすぎるので、あなたの神に関する真の認識に悪影響を与える。またこれは、神による万物支配に関するあなたの真の認識を制限する。あなたの認識を、神があなたに与える物事と救いに限定した場合、あなたは神が万物と人間を支配していることを認識することは、決して出来ない。あなたがこうした事柄の全てを理解できなかった場合、あなたは神があなたの運命を支配していることを、真に認識出来るか、というと、それは出来ない。その側面は、決して心の中で理解することが出来ない。あなたがその段階の理解に達することは、決して無い。これについては理解したことと思う。(理解した。)事実、わたしが話をしている事項、内容について、わたしはあなたがたがどの程度理解できるかを知っている。それではその事項についてわたしが話し続けているのは何故であろうか。なぜなら、これらの事項は、神に付き従い、神に救い出されることを求める全ての者が理解すべき事柄だからである。これらの者は、これらの事項を知っている必要がある。こうした事項について、あなたは現時点において理解していないが、いつかあなたのいのちと真理の経験が一定の段階に達し、あなたのいのちの性質の変化が一定のレベルに達し、そしてあなたの背丈が一定のレベルに達した時に初めて、ここでわたしがあなたがたに伝えている事項に関する話により、あなたの神に関する認識の追求に役立ち、あなたの神の認識への追求を満足させるであろう。そうしたわけで、これらの話は、あなたがたの今後における神による万物支配の理解、そして神自身に関する理解の基礎を固め、準備することを目的とするものであった。

 ある者の心の中にある神に関する認識の程度により、神がその者の心をどの程度掴んでいるかが決まる。その者の心の中の神に関する認識の量は、神のその者の心の中における地位の高さである。あなたの知る神が空虚で曖昧な場合、あなたの心の中の神もまた空虚で曖昧である。あなたの知る神が、あなたの範囲に限定されている場合、あなたの神は極めて小さい神であり、その神と真の神との間には何の関連性も繋がりも無い。ゆえに、神の実際の業や神の実際、神の全能性、神自身の真の身分、神が持っているものや神が何であるか、神が万物において示した事柄を知ることは、神の認識を求める者それぞれにとって、極めて重要である。これらの事柄は、人間それぞれのいのち、すなわち真理を追求する実際のいのちと不可分である。神に関する認識を、言葉だけに限定した場合、あるいは自分自身の数少ない経験やあなた自身が数えるだけの神の恵み、神への証しだけに限定した場合、あなたの神は、間違い無く真の神では無いと言える。あなたの神は間違い無く真の神自身ではなく、またあなたがたが信じる神は、神では無いとも言えるであろう。それは、わたしが話をしている神は、万物を支配し、万物と共にあり、万物を管理する神であるからである。その神こそが、人類全体と万物の運命を握っている神である。わたしが話をしている神の業は、ごく一部の人々に限定されていない。つまり、そうした業は、現在神に付き従う者に限定されていない。神の業は、万物に、すなわち万物の生存、万物の変化の律法において表されている。あなたが神の万物における業を認識出来ないのであれば、あなたは神の業の証に立つことは出来ない。あなたが神の証に立つことが出来ない場合、自分が知っている小さな神、自分だけの考えに限定された、自分の狭い心の中に居る神とやらについて語り続ける場合、神があなたの信仰を讃えることは決して無いであろう。あなたが神の証に立つ時、自分がいかにして神の恵みを享受し、神の鍛錬と懲らしめを受け、神の祝福を享受しているかだけで神の証をするのであれば、それは甚だ不適切であり、神に満足してもらうには程遠いものである。神の心に沿う方法で神の証をすること、真の神自身の証に立つことを望むのであれば、神の業から神が持っているものや神が何であるかを理解する必要がある。あなたは、神による万物支配から神の権威を理解し、神が全人類に対して施すという事実を理解する必要がある。自分の食料や飲料、生活必需品が神に由来することを認めるのみで、神が万物により全人類に対して施すという事実、神が万物を支配することにより全人類を導いているという事実を理解しないのであれば、神の証に立つことは決して出来ない。あなたがたは、これで完全に理解したであろう。わたしは、何を目的として話をしているであろうか。わたしの話の目的は、あなたがたがこの真理を軽視しないようにすること、わたしが話をしている事柄が、あなたがた自身がいのちに入ることと無関係であると考えないようにすること、そしてこれらの事項が単なる知識や原理であると思わないようにすることである。そうした態度でこの話を聞いた場合、あなたがたが得るものは皆無である。あなたがたは神を知る好機を失うであろう。これで理解できただろうか。
 わたしは、何を目的としてこれらの事項について話をしているであろうか。わたしの目的は、人々に神を知らしめること、神の実際の業について理解せしめることである。あなたに神を知る機会や可能性があるのは、神と神の業について理解した時のみである。たとえば、ある者について理解したい場合、あなたがたはどのような方法でその者を理解するであろうか。その者の外観を観察することによってであろうか。その者の着衣や着こなし方を観察することによってであろうか。その者の歩き方を観察することによってであろうか。その者の知識の範囲を考察することによってであろうか。そのような方法でないことは間違い無いだろう。それでは、あなたがたはどのような方法でその者を理解するであろうか。あなたがたは、その者の思想や話、態度、その者が表出ないし明示する事柄により判断するであろう。これが、あなたがたがその者を知り、理解する方法である。それと同様に、神や、神の実践的側面、神の真の側面について知りたい場合は、神の業など、神が行う実践的な事柄の全てにより神を知る必要がある。これが最適かつ唯一の方法である。これで理解できただろうか。神は万物に対して神の業を示し、万物を支配し、万物の律法を制御している。人間にとって、神を理解し知ることは、絶対的に必要なことである。

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