2019年3月8日金曜日

全能神教会御言葉の抜粋「「唯一の神自身 9」5



2.神は万物間の相互関係の釣り合いを取り、人間に安定した生存環境を与える
 ここまでは、神が万物に対する律法を支配する方法について、そして神が、神の万物に対する律法を用い、またその律法内において、全人類に施し、育む方法について話をした。これがひとつの側面である。次に、もうひとつの側面、すなわち、神が万物を支配する、ある方法について話をする。その方法とは、神が万物を造った後に、万物の相互関係の釣り合いを取った方法である。これもまたかなり大きな事項である。万物の相互関係の釣り合いを取ることは、人間が行うことの出来ることであろうか。人間のみでは不可能である。人間はその調和を乱すことしか出来ない。人間は、万物の相互関係の釣り合いを取ることができない。なぜなら、人間にはそうした強大な権威や力が無いからである。そうした事が可能な力は、神自身だけに存在する。神がこうした業を行う目的は何であろうか。これもまた同様に、人間の生存と密接な関係がある。神が行うことを望む業は、すべて必要なものである。つまり、神が行う可能性も、行わない可能性もある業というものは無い。神が人間の生存を保護し、好ましい生存環境を人間に与えるためには、神が行う必要のある、不可欠かつ重要な業がある。

 「神が万物の釣り合いを取る」という言葉の文字通りの意味からすると、この事項は極めて広範である。万物の釣り合いを取ることが、まさに神による万物の支配であることを理解するため、まずは、ある概念を説明する。「釣り合いを取る」という語は、何を意味するであろうか。まず、「釣り合いを取る」という語は、何かが釣り合っていない状態になることを阻止することを指す。天秤については、皆知っている。天秤で何かの重さを量る時は、それを天秤の一方に乗せ、他方におもりを乗せる。その物の重さは、最終的なおもりの量により決まる。これを釣り合いという。釣り合いを取るには、天秤の両方の重さを等しくする必要がある。神が造った万物には多数のものが含まれていた。神は固定されたもの、移動するもの、生きているもの、呼吸するもの、呼吸しないものを造った。神は極めて多くのものを造ったが、こうした万物すべての間に相互依存関係、互いに助け、制限し合う関係、相互に繋がりのある関係を成立させるのは、容易であろうか。こうした関係には、原理があることに間違い無い。こうした関係は極めて複雑だが、神にとっては困難ではない。しかし、人間にとって、こうした関係は極めて研究が困難である。釣り合いという言葉は、極めて単純に思われる。しかし、人間が釣り合いを研究したり、釣り合いを取ったりする必要があるとしたら、人間生物学者、天文学者、物理学者、化学者、さらには歴史家など、聡明な学術研究者が全員で取りかかるであろう。そうした研究の最終結果は、どうなるであろうか。その最終結果は、無である。なぜなら、神の万物創造は極めて驚異的であり、人間がその謎を解明することは決して無いからである。神があらゆる生き物を造った時、神は生き物同士の間の原理を定め、様々な生存方法による相互の制限、相補性、養育方法を定めた。こうした様々な方法は極めて複雑であり、単純でも一方向性のものでもない。人間が精神や知識、そして視認する現象により、神の万物支配の根底にある原理を確認ないし研究しようとすると、これらの事柄は解明が極めて困難である。解明することも、何らかの結論を得ることも、それと同様に極めて困難である。人間が成果を達成することは極めて困難であると言えるだろう。人間の精神と知識に依存して釣り合いを維持し、神が造った万物を統治するのは、極めて困難である。人間は、様々な生き物の生存に関する原理を知らないので、こうした釣り合いを保つ方法を知らない。したがって、人間があらゆる生き物を管理し、統治することになった場合、人間はその釣り合いを壊す可能性が極めて高いであろう。釣り合いが壊れるとすぐに、人間の生存環境が破壊され、破壊後はその人間の生存危機が発生するであろう。こうした状況により、大災害が発生するであろう。人間が大災害の中で生活した場合、人間の将来には、何が待ち構えているであろうか。それは想像や予期が困難な結果となるであろう。現在、世界が直面しているのは、まさにこうした危険である。

 それでは、神はどのような方法で万物の間の釣り合いを取っているであろうか。まず、世界には、年間を通して氷雪で覆われている地域や、四季を通して春のような気候の地域がある。氷や雪は一切見当たらない。冬は無く、常に春のような状態である。これが1種類目の方法であり、比較的広範囲にわたる気候の観点から見たものである。2種類目の方法は、山を見た時に見受けられる、地面を覆い尽くして生い茂る様々な植物である。広大な森があり、森の中を歩くと陽の光が見えないほどである。その他の山では草も生えず、荒れた不毛の山々が延々と続く。外観は両者とも土が盛り上がっている山である。植物が生い茂る山々もあれば、草さえも無い山々もある。これが2種類目の方法である。3種類目の方法では、草が風に揺れる草地が見渡す限り続く場合がある。しかるに、見渡す限り砂漠が続く場合もある。生き物は一切見られず、ましてや水源など見当たらず、ただ砂漠を吹き渡る風の音だけである。4種類目の方法では、広大な水域である海で覆われている場所があるが、その一方で、泉を探すのも困難な場所もある。5種類目の方法では、霧雨が頻繁に降り、霧が多く湿度の高い場所がある一方で、強い日差しが照りつける日が極めて多く、一切雨が降らない場所もある。6種類目の方法では、空気が薄く呼吸が困難な高原となっている場所がある一方で、様々な渡り鳥の棲息地となる湿地と低地がある場所もある。これらは様々な気候の種類であるか、あるいは様々な地理的環境に対応する気候または環境である。つまり、神は、人間が生存する環境の空気、気温、湿度の釣り合いを取るため、比較的広域的な環境の側面、気候、地理的環境、土壌の構成要素、水源の量などから人間の基本的な生存環境の釣り合いを取るようにした。こうした対照的な種類の地理的環境があるので、人間には安定した空気が供給されており、四季を通して安定した気温、湿度が与えられている。これにより、人間は常にそうした生存環境で生活を継続することができる。このことは、比較的広範囲にわたる環境の観点から述べたものである。まず、比較的広範囲にわたる環境の釣り合いを取る必要がある。これは、神が望み、人間に必要とされる状態に釣り合いを取るため、様々な地理的場所と地理的方法、様々な気候の推移による相互抑止力により釣り合いが取られる。このことは、比較的広範囲にわたる環境の観点に基づく方法である。

 植生などの詳細を見たとき、どうすればその釣り合いを取ることが出来るだろうか。つまり、植生は、どうすれば釣り合いの取れた生存環境のなかで生存を継続することが可能となるであろうか。それは、様々な植物の寿命、成長速度、繁殖速度を管理して生存環境を保護することにより実現される。例として草を挙げると、草には春の若芽、夏の花、秋の実がある。草の実が地に落ちると、その草は死ぬ。その翌年、その実の種が芽を出し、同じ律法にしたがって継続する。草の寿命は極めて短く、春から秋までであり、その後草は死ぬ。地に落ちた種それぞれから根と芽が出て花が咲き、実がなる。この過程が発生するのは、僅かに春から夏そして秋までの期間である。また様々な樹木にもそれぞれに寿命と発芽時期、結実時期がある。一部の樹木は、わずかに30年から50年で死ぬ。これらの樹木の寿命は30年から50年だが、その実が地に落ち、実から根と芽が出て、花を咲かせ、実がなり、それが30年から50年にわたって生きる。これがその樹木の反復周期である。そして高齢の樹木が死に、若い樹木は生長する。森では常に樹木が成長しているのを見受けるのは、このためである。しかし、樹木にもまた適切な生死の周期と過程がある。樹木によっては、1000年を超えて生きるものもあり、3000年もの間生きる樹木もある。樹木はこの種の植物である。植物の種類やその寿命の長さを問わず、一般的に、神は植物の寿命、植物の繁殖能力、繁殖速度、繁殖量、繁殖率を管理して植物の釣り合いを取る。こうすることにより、草から樹木まで、植物は継続して生存し、釣り合いの取れた生態環境のなかで成長可能となる。そうしたわけで、地球上の森を見たとき、樹木か草かを問わず、植物は固有の律法に従って継続的に繁殖と生長を続けている。植物に人間の支援は不要である。植物は人間の追加支援を一切必要としない。植物が独自の生存環境を維持出来るのは、ひとえにこうした釣り合いが取られているからである。それらの森林や草原が地上で生存出来るのは、ひとえにそうした植物に適した生存環境があるからである。植物の存在は、何世代にもわたる人間や、鳥、獣、昆虫、様々な微生物など、森や草原を棲息地とする様々な生き物を育む。

 また神は、様々な動物の釣り合いも管理している。この釣り合いはどのように管理されているだろうか。動物も植物と同様であり、神は動物の繁殖能力、個体数、繁殖率、その動物が他の様々な動物に対して果たす役割により釣り合いを取り、個体数を決定している。たとえば、ライオンはシマウマを食べるが、ライオンの数がシマウマの数を超える場合、シマウマの運命はどうなるであろうか。シマウマは絶滅するであろう。また、仮にシマウマの繁殖量がライオンの繁殖量よりも遥かに少ない場合、シマウマとライオンはどのような運命を辿るであろうか。この場合のシマウマとライオンもまた絶滅するであろう。したがって、シマウマの数はライオンの数よりも遥かに多くなければならない。これは、シマウマがシマウマ自身のためだけでなく、ライオンのためにも存在するからである。それぞれのシマウマが全てのシマウマの一部であるが、それはライオンが食べる食料でもある、とも言えるであろう。ライオンの数がシマウマの数を超えることのないよう、ライオンの繁殖速度はシマウマの繁殖速度を超えることはない。このようにしてのみ、ライオンの食料源を保証することができる。ライオンはシマウマの天敵であるものの、ライオンとシマウマが同じ地域でのんびりと休息しているのを見かけることが、頻繁にある。ライオンがシマウマを狩り、食べることにより、シマウマの個体数が減ったり、シマウマが絶滅したりすることはなく、またライオンの個体数は、ライオンが持っている「王」たる地位のため、増えることは無い。この釣り合いは、遥か昔に神が定めたものである。つまり、神はあらゆる動物の間の釣り合いに関する律法を定めたので、動物は釣り合いを取ることが可能である。これは人間が理解可能な物事である。シマウマの天敵はライオンのみだろうか。ワニもまたシマウマを食べる。ワニがシマウマを食べているのを見た事があるだろうか。ワニがシマウマを食べている光景もまた残虐である。シマウマは極めて無力な動物の種であると考えられる。シマウマにはライオンのような獰猛さが無く、ライオンという手強い敵と対峙した時は、逃げることしか出来ない。シマウマは逆らうことすら出来ない。シマウマが逃げ切れなかった時、シマウマはライオンにより食べられるほかに道が無い。こうした状況は、動物界において頻繁に見受けられる。こうした状況を見たとき、あなたがたはどのような印象を受けるであろうか。あなたがたは、シマウマを哀れむであろうか。あなたがたは、ライオンに嫌悪を感じるであろうか。シマウマは、容姿が極めて美しい。しかし貪欲なライオンが常にシマウマを狙っている。そしてシマウマは遠くへ逃げないので愚かである。シマウマは、ライオンが木の陰に居て、何気ない素振りでシマウマを待ち伏せているのを見ている。ライオンが何時シマウマを食べるかは、誰にも分からない。シマウマは、心の中でこうした事を知っているであろうか。シマウマは知っているが、その場所を去ることは無い。それは驚異的なことである。その驚異には神の予定と支配が含まれている。あなたはシマウマを哀れむが、シマウマを救うことは出来ず、またライオンを嫌うが、ライオンを追い払うことが出来ない。シマウマは神がライオンのために用意した食料であるが、ライオンがシマウマをどのように食べても、シマウマは消滅することが無い。ライオンが産む子孫の数は極めて少なく、繁殖速度が遅いので、ライオンの数がシマウマの数を超えることは無い。ライオンが如何に大量に食べようと、ライオンの数がシマウマの数を超えることは無い。これは、一種の釣り合いである。
全能神の御言葉:
《言葉は肉において現れる  
唯一の神自身 9》

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