2018年9月26日水曜日

全能神教会御言葉の抜粋「唯一の神自身 4」4


 信仰を持って生きてきた今までの人生で、神があなたがたに対して行った業をふりかえってみてほしい。あなたがたが深く感じるかどうかは関係なく、神が行った事は最も必要なものではなかったであろうか。与えたものは、あなたが最も必要としていた物事だったのではないだろうか。(そうである。)それは真理ではないだろうか。それはいのちではないだろうか。(そうである。)神はかつて、あなたにこれらのものを与えた後、返礼と償還をするよう、あなたがたに示したことがあるだろうか。(ない。)それでは、神の目的は何であろうか。神がこのようなことをされるのは何故だろうか。神にもあなたがたを占有するという目的があるであろうか。(ない。)神は人間の心の中における地位を高めることを望んだであろうか。(望まれた。)それでは神が地位を高めることと、サタンが強制的に占有することの相違点は何であろうか。神は人間の心を得ること、人間の心を占有することを望んでいる。これはどのような意味であろうか。これは人間が神の操り人形や機械のようになることを神が望んでいるということであろうか。(違う。)それでは、神の目的は何であろうか。神が人間を占有する事を希望しているのと、サタンによる強制的な占有には、相違点があるであろうか。(ある。)その相違点とは何であろうか。あなたがたは、明白に回答できるであろうか。(サタンは強制的に占有するのに対し、神は、神による占有を人間に志願させる。)サタンは強制的に占有するのに対し、神は、神による占有をあなたに志願させる。これが相違点であろうか。それならば、あなたが志願しないのであれば、どうなるであろうか。あなたが志願しないのであれば、神は何かするであろうか。(神は導かれ、示されるが、人間が希望しない場合、人間を強制することは無い。)神があなたの心を得たい理由は何であろうか。また、神が人間を占有することを望む理由は何であろうか。あなたがたは「神が人間の心を占有している」ことを、どのように解釈するであろうか。ここでは、神に対して公平でなければならない。そうしなければ、必ず人々は誤解して「神は常に私を占有したいと考えておられる。神が私を占有したい理由は何であろうか。私は占有されたくない。私は自分らしくありたい。あなたは、サタンは人間を占有する、と言うが、神もまた人間を占有する。これらの占有は、同じではないのだろうか。私は自分を誰にも占有させたくない。私は、私自身である」などと言う。これらの占有の相違点は何であろうか。よく考えて欲しい。(神が人間の心を得て、それを占有することを望まれるのは、人間を救われて完全にするためであると、私は考える。)あなたが言ったことは、神の人間に対する、人間を完全にするという経営計画の目的である。あなたは、ここでいう「占有する」の意味を理解しているであろうか。(サタンに人間を占有させないということである。神が人間を占有されていれば、サタンが人間を占有することは一切ない。)神が最初の占有者であり、空き家のように最初に入った者がその家の主となる、ということであろうか。その後に来た者は主にはなれず、使用人となったり、全く家に入れなかったりする。そういうことであろうか。(はい、そのような意味である。)別の意見はあるだろうか。(私の認識では、「神が人間の心を占有される」とは、神が人間を神の家族のように扱われ、世話をされて愛されるということである。サタンは、人間に損害を与えるため、傷つけるために、人間の心を占有する。)これが「神は人間を占有する」ということに関する、あなたの認識であろう。その他の解釈や意見はあるだろうか。(神は、人間が神の言葉に従って生活出来るように、神の言葉を自分のいのちに受け容れることができることを願って、言葉により人間を占有される。)これが「神は人間を占有する」ということの背景にある真の意味であろう。その他の意見はあるだろうか。(私の意見では、神は真理の権化であられるので、神は人間に全ての真理を与えることを望まれており、私達はこの真理を得て神の配慮と保護を受けるようになるので、サタンの狡猾な陰謀に遭遇し、それにより危害を加えられるのを回避することができる。実際には、神は、人間が地上で通常の生活を営み、神の祝福を得られるように、人間の心を得ることを望まれる。)しかしあなたは「神は人間の心を占有する」ということの真の意味について述べていない。(人間は神により造られたのであるから、人間は神を礼拝し、神の下に戻る必要がある。人間は神のものである。)あなたがたに尋ねるが、「神が人間を占有する」というのは、意味のない語句であろうか。神による人間の占有とは、神が人間の心に住んでいる、ということであろうか。神はあなたがたの一語一句、一挙一動を支配するであろうか。神が左腕を挙げよと言った場合、右腕を挙げることができないであろうか。神が座れと言った場合、立てないであろうか。神が東へ行けと言った場合、西には行けないであろうか。この占有とは、そのような意味であろうか。(そうではない。)それでは、この占有とは何であろうか。(これは、神が持っておられるものと神であるすべてを、人間が実践することを意味する。)長年神が人間を経営してきた中で、この最後の段階までの神の人間への働き、神が語った言葉全てにはどのような意図があるのだろうか。それは、神が持っているものや神であるものを、人間が実践することであろうか。「神は人間の心を占有する」という言葉の文字通りの意味を検討すると、神が人間の心を取り、それを占有し、そこに住んで二度と出ない、すなわち神が人間の中に住み、人間の心の主となり、人間の心を支配し、自由意志で変更して、必ず人間が神が命じる方向へと進むようにすることのように思われる。この段階における意味では、すべての人間が神となり、神の本質と性質を持つ者となるかのように考えられる。それでは、この場合、人間は神の業を行うことができるであろうか。「占有」をこのように説明できるであろうか。(できない。)それでは、この占有とは何であろうか。(神が求められる人間は操り人形ではなく、そうした人間の考えや心は生きている。したがって神による人間の占有は、人間が考えを持ち、神の喜びと悲しみを感じることが可能となり、人間と神が交流することを期待するものである。)あなたがたに尋ねるが、神が人間に与えた言葉や真理は、全て神の本質、神が持っているものと神であるものを明示するものだろうか。(その通りである。)これは確かではないか。しかし、神が人間に与える言葉は、全て神自身が実践し、所有すべきものであろうか。よく考えて欲しい。神が人間を裁く時、神は何を理由として裁くであろうか。この言葉はどこから生まれたものであろうか。神が人間を裁く時に言う言葉は、どのような内容であろうか。それらは何に基づくものであろうか。これらの言葉は、人間の堕落した性質に基づいているであろうか。(その通りである。)神の人間に対する裁きにより達成する効果は、神の本質に基づくものであろうか。(その通りである。)それでは、神が人間を占有するというのは、意味の無い語句であろうか。そうでない事は確かである。それでは、神がこのような言葉を人間に対して述べるのは、なぜだろうか。これらの言葉を神が述べる目的は何であろうか。神はこれらの言葉を人間のいのちのために使用することを望んでいるのであろうか。(望まれている。)神は、神が述べた真理を、すべて人間のいのちのために用いることを望んでいる。したがって、人間がこうした真理や言葉を与えられ、それを自分自身のいのちへと変化させた時、人間は神に従うことができるであろうか。人間は神を畏れることができるであろうか。人間は悪を避けることができるであろうか。人間がこうした状態に達した時、人間は神の主権と計画に従うことができるであろうか。人間は神の権威に服従しているということができるであろうか。ヨブやペテロのような人間が最終地点に到達し、いのちが成熟したとみなされる時、そして神を真に理解した時、サタンはそれでも彼らを惑わすことはできるだろうか。サタンは、依然としてこうした人々を占有できるであろうか。サタンは、依然としてこうした人々に強制的に付着することができるであろうか。(できない。)それでは、こうした人々は、どのような人間であろうか。完全に神のものとされた人間であろうか。(その通りである。)この段階の意味において、あなたがたは、完全に神のものとされた人間をどのように考えるであろうか。神にとって、こうした状況下では、神がこの人間の心を既に占有している。しかし、この人間は何を感じるであろうか。神の言葉、権威、神の道が人間の中でいのちとなり、そしてこのいのちが人間全体を占有し、この者が実践する物事や実質を、神が満足するに十分なものとするのであろうか。そうであれば、神にとって、人間の心は、この時点で神に占有しているであろうか。(占有されている。)あなたがたは、この段階の意味を、どのように理解できたであろうか。あなたを占有するのは神の霊であろうか。(そうではない。)それでは、あなたを占有するのは一体何であろうか。(神の言葉である。)その通り。神の言葉、神の道である。あなたのいのちとなるのは、神の真理と言葉である。この時、人間は神を源とするいのちを持っているが、このいのちが神のいのちであるとは言えない。このいのちは、神の言葉から人間が得るべきいのちである。このいのちは神のいのちであると言えるであろうか。(言えない。)したがって、人間がいかに長期間にわたり神に付き従ったとしても、いかに多くの神の言葉を得たとしても、人間は決して神となることができない。そうではないだろうか。(その通りである。)もし、いつか神が「あなたの心はわたしが占有しているので、あなたはわたしのいのちを持っている」と言ったとしたら、あなたは自分が神だと感じるであろうか。(感じないであろう。)それでは、あなたはどうなるであろうか。あなたは、神に完全に服従するのではないだろうか。あなたの体と心は、神があなたに与えたいのちで満たされるではないであろうか。これは、神が人間の心を占有した時に見られる、一般的な兆候である。これは事実である。この観点からみて、人間は神になることができるであろうか。(できない。)人間が神の言葉すべてを得たとき、神を畏れ、悪を避けることができるようになった時、人間は神の身分を得ることができるであろうか。(できない。)人間は、神の本質を持つことができるであろうか。(できない。)何があったとしても、結局のところ人間は依然として人間である。あなたは創造されたものであり、あなたが神から言葉と神の道を与えられたとき、あなたは神の言葉を源とするいのちを持っているだけであり、あなたは決して神にはなれない。

 ここで元の論題に戻るが、あなたがたにアブラハムは聖なる存在であるかと尋ねた。アブラハムは聖なる存在では無い。これについて理解したと思うが、どうであろうか。ヨブは聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)この聖さには神の本質が入っている。人間には神の本質も性質も無い。人間が神の言葉をすべて経験し、神の言葉の本質を持っていたとしても、人間は依然として聖なる存在であるとは言えない。人間は人間である。これについては理解したことと思う。(理解した。)それでは、あなたがたは「神が人間の心を占有している」という言葉を、どのように理解するであろうか。(神の言葉と神の道、神の真理が人間の命となる。)あなたがたは、このことを既に覚えたようである。あなたがたが一層深い認識を得たことを願う。一部の人々は「それでは、神の使いや天使が聖なる存在ではない、と言うのはなぜか」と質問するかもしれない。この質問について、あなたがたはどう考えるであろうか。これについては、おそらくこれまで考えたことがなかったであろう。簡単な例を挙げる。あなたがたがロボットを起動させると、ロボットは踊ったり喋ったりすることができるようになり、あなたがたはロボットの言うことを理解できるが、ロボットが可愛らしいと言えるであろうか。ロボットが可愛らしいと言えるであろうか。そう発言することは可能であるが、ロボットはそれを理解しないであろう。なぜならロボットには命が無いからである。ロボットの電源を切ったとき、ロボットはその後も動くことができるだろうか。(できない。)ロボットが起動している時は、生き生きとして可愛らしいことがわかる。観察が実質的なものであれ、表面的なものであれ、ロボットを観察すると、あなたがたはロボットが動いているのを見ることができる。しかし、ロボットの電源を切ったとき、あなたがたはそのロボットの性格を見ることが出来るだろうか。ロボットには、何らかの実質があるであろうか。わたしが言おうとしていることの意味が理解できるであろうか。(理解できる。)そのことは理解できたであろう。つまり、このロボットは動く事も停止することもできるが、決してロボットに何かの実質があるとは言えない。これは事実ではないだろうか。これについては、ここで終わりにする。あなたがたが、その意味の一般的な知識を得るには、これで十分である。それでは、これで交わりを終わる。ごきげんよう。

 脚注:

 a. 緊箍児とは、中国の有名な小説『西遊記』に登場する僧、玄奘が呪文により孫悟空を支配する際に使用する金の環で、孫悟空の頭にはめられ、魔法により締め付けられ、酷い頭痛を起こす。その後、緊箍児は人間を拘束することの比喩表現となった。

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