神の聖さ(1)
本日は神の権威について追加して話したが、ここでは神の義についての話はしない。本日は、神の聖さという、全く新しい事項について話す。神の聖さは、神特有の本質におけるもう一つの側面であるので、本事項についてあなたがたに伝える必要性が大いにある。本日伝える、神の本質におけるこの側面は、以前伝えた2つの側面である神の義なる性質と、神の権威と同様に、独自のものであろうか。(その通りである。)神の聖さもまた独自のものであるので、この独自性の基礎や根幹が本日の主題である。この点は理解できるであろうか。わたしに続いて復唱してほしい。「神特有の本質、神の聖さ」(神特有の本質、神の聖さ)この言葉を心の中で復唱した後、あなたがたはどう感じるであろうか。あなたがたの中には、「神の聖さを伝えるのは何故だろうか」という多少の疑問がある者もいるかもしれない。しかし、わたしがゆっくりと全て話すので、心配は無用である。いまからわたしが話す内容を聞けば、この事項について伝えることがなぜそれほど必要かが、直ちに理解できるだろう。
まず「聖なる」という言葉を定義しよう。あなたがたの理解力と、あなたがたの得た知識によれば、あなたがたは「聖なる」という言葉をどう定義すべきだと考えるだろうか。その定義を述べて欲しい。(「聖なる」とは、染みも無く、人間の腐敗や欠点が全くない状態である。考えであれ、発言であれ、行動であれ、聖なるものが発する物事は、完全に前向きである。)素晴らしい。(「聖なる」ものとは、神聖であり、汚れもなく、人間が害することのできないもの、ということである。聖なるものは唯一のものであり、神の性質を象徴する。)(「聖なる」とは、染みがなく、神聖で害することのできない性質である。)それがあなたの定義だろうか。各個人の心の中に、この「聖なる」という語の範囲と定義、解釈がある。少なくとも、「聖なる」という言葉を聞いた時、あなたがたの心には何かがある。あなたがたは、この「聖なる」という単語にある定義された範囲を持っており、一部の人々によるこの語の解釈は、神の性質の本質を定義するのに用いているものに近い。それは非常に好ましいことである。大部分の人々が、「聖なる」という言葉は良い言葉であると考えているが、それは断定できるであろう。しかし、わたしが本日伝える神の聖さについては、ここで単に定義したり説明したりするだけではない。その代わりに、わたしが神は聖なる存在であると言う理由、わたしが神の本質を説明するために「聖なる」という言葉を用いる理由をあなたがたが理解できるよう、事実を挙げて検証する。わたしの話が終わる頃には、「聖なる」という語で神の本質を定義することや、この語を用いて神を指すことが、最も相応しく、かつ適切であると感じるであろう。少なくとも、現在における人間の言語では、この語で神を指すことは、ことさらに適切である。この語は、人間の言語のなかで、神を指す語として最も適した唯一の語である。この語が神を指すのに用いられた場合、この語は無意味なものでも、理由のない称賛でもない。この話の目的は、あなたがたそれぞれが、この神の要素が存在する真実を確認できるようにすることである。神は人々の理解を恐れることはないが、人々の誤解は恐れる。神は、全ての人々が神の本質、神であるすべて、神が持っているすべてを知ることを望まれている。そうしたわけで、神の本質の側面について述べる時は、毎回多くの事実を用いて、この神の本質の側面が紛れもなく存在し、真実であり、かつ現実であることを人々が理解できるようにすることができる。
「聖なる」という語を定義したので、その例を検討する。人間の考えでは、「聖なる」物や人物を挙げるのは容易である。たとえば、人間の辞書では、童貞や処女は聖なるものとされているだろうか。童貞や処女は聖なるものであろうか。(聖なるものではない。)この、いわゆる「聖なる」と、ここで伝える「聖なる」は、同じものであろうか。(違うものである。)徳が高く、洗練された教養ある話をし、誰も傷つけたことがなく、話をして他の者を快適で好意的な気分にさせる人々は、聖なる存在であろうか。儒者や、徳が高く言動が洗練されている君子は、聖なる存在であろうか。善行を頻繁に行い、慈悲の気持ちに溢れ、他人に多くの援助を提供する人々、他人の生活に多くの楽しみをもたらす人々は、聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)他者に対して利己的な考えを一切持たず、他人に厳しい要求をせず、誰に対しても寛容な人々は、聖なる存在であろうか。誰とも争ったことがなく、誰も利用したことのない者は聖なる存在であろうか。慈善活動を行い、他者のために尽くし、他者をあらゆる方法で教え諭す者は、聖なる存在であろうか。生涯をかけて貯蓄した蓄えを他者のために寄付し、質素な生活をし、自分に厳しく他人に寛容な者は、聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)あなたがたは、自分の母親があなたがたのために尽くし、あらゆる事の世話をしたのを覚えているであろう。しかし、あなたがたの母親は、聖なる存在であろうか。有名人であれ、スターであれ、偉人であれ、あなたがたが好きな偶像的な存在は、聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)これらはみな確かなことである。多くの人々が知り得ない将来を予測することのできる、聖書に登場する預言者について検討してみて、こうした預言者は聖なる存在であろうか。神の言葉や業を聖書に記すことができた人々は、聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)モーセは聖なる存在であろうか。アブラハムは聖なる存在であろうか。ヨブはどうだろうか。(聖なる存在ではない。)そう言えるのは、何故であろうか。(「聖なる」という語を用いることができるのは、神について述べる時だけだからである。)ヨブは、神に「正しい者」と呼ばれたが、それでも聖なる存在であると言えないのは、なぜだろうか。この論題については、多少懸念があると思うが、どうであろうか。神を畏れ、悪を避ける人々は、本当に聖なる存在ではないのであろうか。こうした人々は聖なる存在であろうか、そうではないだろうか。(聖なる存在ではない。)聖なる存在ではないと答えるだろう。それでは、その回答の根拠は何であろうか。(神は唯一の存在であるから。)それは確かな根拠であり、素晴らしい根拠である。あなたがたが物事を早く覚え、得た知識を用いる能力に長けているのが分かってきた。あなたがたは少し理解したようであるが、十分な確信が無い。しかしあなたがたは敢えて「確信がない」と言わず、かといって「ある」とも言わないので、「ない」と言わざるを得ない。もうひとつ質問する。神が地上に送る使いは、聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)良く考えて欲しい。十分に考えて回答してほしい。天使は聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)サタンに腐敗させられていない人間は、聖なる存在であろうか。(聖なる存在ではない。)あなたがたは全ての質問に「聖なる存在ではない」と答える。その答えの根拠は何であろうか。わたしが述べた言葉が、あなたがたの答えの根拠だろうか。あなたがたは困惑しているであろう。天使までもが聖なる存在ではないと言うのは、何故であろうか。あなたがたは理解しているように感じるであろう。それでは、これまで挙げてきた人々や物や創造物以外の存在が聖なる存在ではないのは何故かを、あなたがたは説明できるであろうか。説明できないであろう。それでは、あなたがたの「聖なる存在ではない」という回答は、多少無責任ではないだろうか。あなたがたは無造作に答えているのではないだろうか。「そのような効き方をするのだから、聖なる存在ではないに違いない」と考える人もいるだろう。無造作に答えないようにして欲しい。「Yes(イエス)」か「No(ノー)」かを良く考えて欲しい。今から話す内容を聞けば、答えが「聖なる存在ではない」である理由がわかるだろう。後ほど正解を言うが、まずは聖句を読むことにする。
1.人間に対するヤーウェ神の命令
(創世記2:15~17) ヤーウェ神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。ヤーウェ神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
2.女を惑わすへび
(創世記3:1~5) さてヤーウェ神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。へびは女に言った、「あなたがたは必ず死ぬ訳ではない。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
これらの聖句は、聖書のどの書からの抜粋であろうか。(創世記である。)あなたがたは皆、これら2つの聖句を知っているであろうか。これは、人間が最初に造られた時の出来事である。実際にあったことだ。まず、ヤーウェ神がアダムとエバに言った命令を考えてみよう。この内容が今日の話題で極めて重要だ。「ヤーウェ神はその人に命じて言われた」この文章に続く聖句を読んで欲しい。(「あなたは園のどの木からでも取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。)この聖句における神の人間に対する命令には、どのような内容が含まれているだろうか。まず、神は人間に対して、食べてもよいものは様々な木からの実であることを伝えている。危険も毒もなく、望むままにどれも好きなだけ食べることができた。これがひとつの箇所である。もうひとつの箇所は警告である。ここでは、どの木から実を取って食べてはならないと、人間に警告しているだろうか。(善悪を知る木である。)人間は、善悪の知識の木からその実を取って食べてはならない。それを取って食べると、どうなるであろうか。(必ず死ぬであろう。)神は人間に言った。「それを食べると、必ず死ぬ」と。この言葉は分かりやすいか。(分かりやすい。)神がこのように言い、あなたがなぜ神がそのようなことを言うのか、理由を理解しなかったとした場合、あなたはそれを従うべき規則や命令とみなすであろうか。従わなければならないであろう。しかし、人間がそれに従うことができるか否かを問わず、神の言葉は絶対的なものである。神は人間に対して、食べてもよいものと、食べてはならないもの、そして食べてはならないものを食べた場合にどうなるかを、極めて明瞭に述べた。あなたは、神が述べたこの短い言葉から、神の性質を認識したであろうか。この言葉は真実であろうか。(真実である。)何か欺瞞は含まれているだろうか。(含まれていない。)何か虚偽は含まれているだろうか。(含まれていない。)何か脅しは含まれているだろうか。(含まれていない。)神は人間に対して、正直に、誠実に、そして真摯に、食べても良いものと食べてはならないものを、分かりやすく伝えている。この言葉には、隠された意味があるであろうか。この言葉は分かりやすいであろうか。この言葉の意味は一見して明瞭であり、読んですぐに理解できる。何か憶測は必要であろうか。(必要ない。)推測する必要などないのではないか。そのままで極めて明解である。神が述べたいこと、神が表現したいことは、その心から出る。神が言うことは混じりけがなく、分かりやすく、明確である。隠れた動機や意味などない。神は人間に直接語り、食べてもよいものと、食べてはならないものを伝えた。つまり、こうした神の言葉から、神の心には隠された部分がなく、真実であることを、人間は理解できる。食べられるものを食べてはならないと言ったり、食べられないものについて「食べて、どうなるか確かめればよい」などといったりする虚りなど全くない。神は、このようなことを意図していたであろうか。(意図されていない。)そのとおりである。神が考えることは、神が言うことそのままである。神はこれらの言葉により、このように示し、表すのであるから、聖いのだとわたしがいったならば、わたしは些細なことを大げさに述べているとか、わたしが行き過ぎた解釈をしているという印象を多少受けるかもしれない。もしそうであっても、心配は無用である。なぜなら、この話はまだ続くからである。
次に、「女を惑わす蛇」について話そう。この蛇は、誰であろうか。(サタンである。)神の六千年にわたる経営(救いの)計画において、サタンは引き立て役であり、また神の聖さを伝える時に必ず述べなければならない役割を担っている。わたしがこう述べるのはなぜであろうか。(サタンが卑劣で腐敗した全ての物を代表する存在であり、その首謀者だからである。)あなたがたがサタンやサタンの性質の邪悪さと腐敗を知らなければ、それを認識することも、聖さとは何かを知ることも、決してできない。人間は困惑し、サタンの行動が正しいと思い込む。なぜなら、人間はそうした腐敗した性質の中で生きているからである。比較対照する引き立て役が無ければ、聖さを理解することはできない。だからこの問題をここで取り上げる必要があるのだ。この事項を何の根拠もなく取り上げたのではない。サタンの言動から、サタンがどのように行動し、どのように人間を腐敗させ、どのような性質を持ち、どのような表情であるかを理解できる。では、女は蛇に何と言ったのであろうか。女はヤーウェ神に言ったことを蛇に説明した。女の言葉から判断して、女は神が女に言った言葉の効力を、この時既に確認していたであろうか。女は、それを確認できなかったのではないか。新たに造られたばかりの者として、女には善と悪を見分ける能力も、周囲の物事を認識する能力も無かった。女が蛇に語った事柄によると、女は心の中で神の言葉が正しいと認めていない。女は懐疑的な姿勢であったからだ。だから、神の言葉に対して確固たる態度ではない女を見てとった蛇は、「あなたがたは必ず死ぬ訳ではない。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」と言った。この言葉には、何か問題があるであろうか。(ある。)その問題とは何だろうか。この文章を読んで欲しい。(へびは女に言った、「あなたがたは必ず死ぬ訳ではない。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。)これらの言葉を読んで、何かを感じるであろうか。この一文を読み終わった瞬間、あなたがたは蛇の意図を感じ取っただろうか。(感じとった。)この蛇は、どのような意図を持っているであろうか。(人間を惑わして罪を犯させようとする意図である。)蛇はこの女を惑わして神の言葉に耳を傾けさせまいとしたが、蛇はそのことをそのまま女に告げただろうか。(告げなかった。)蛇はそのままを女に告げなかったことから、蛇は極めて狡猾であると言える。蛇は、人間に気付かれないよう心の中に秘めていた所期の目的を果たすため、その旨を悪質かつ曖昧な方法で表現した。これが蛇の狡猾さである。サタンは常にこの要領で話をし、行動してきた。蛇は「必ず~訳ではない」のように言い、はっきりと語らなかった。しかし、この話を聞いて、無知な女の心は変わったであろうか。(変わった。)蛇の言ったことが所期の効果をもたらしたので、蛇は喜んだ。これが蛇の狡猾な意図であった。さらに、「それを食べると、あなたがたの目が開け」と述べ、人間が良いと考える効果を約束して女を惑わせた。そこで女は「私の目が開くのは良いことだわ」と考えた。そこで蛇は、人間が知らなかった、耳よりな話、聞く者を強く誘惑する力のある話をした。すなわち「神のように善悪を知る者となる」と語った。この話は、女を強く誘惑したであろうか。(誘惑した。)それは、誰かがあなたに「あなたの顔立ちは美しい。鼻筋が僅かに短いが、それを直せばあなたは国際的な美人になるだろう」と言うようなものである。整形手術を望まなかった者は、この話を聞いて心が動くであろうか。(動くであろう。)それならば、この話は誘惑する力があるだろうか。この誘惑は、あなたにとって魅力的であろうか。この誘惑は、拒み難いであろうか。(拒み難い。)神はこのようなことを言うであろうか。(言われない。)神の言葉に、現在検討している話のようなものが少しでもあるであろうか。(ない。)それはなぜであろうか。神は自身の心をそのまま述べるであろうか。人は神の言葉により神の心を理解できるであろうか。(理解できる。)しかし、蛇が女に話した時、あなたは蛇の心を理解できたであろうか。(理解できなかった。)己の無知故に、人間は簡単に蛇の言葉に惑わされ、騙され、誘導されていった。あなたは、サタンの意図を理解することができたであろうか。サタンの言葉の裏にある意図を見抜くことができたであろうか。サタンの策略と抜け目ない計画を見抜くことができたであろうか。(できなかった。)サタンの口調は、どのような性質を示すものであろうか。この話から、サタンのどのような本質が分かるであろうか。(邪悪な本質が分かる。)邪悪ということだが、サタンは狡猾であろうか。おそらくサタンは表面的にはあなたに微笑みかけるか、全く無表情であろう。しかし、サタンは胸中で、いかにして自分の目的を果たすかを計画しており、あなたはその目的を知ることができない。そしてあなたは、サタンの様々な約束や、サタンが語る利点に惑わされる。あなたは、そうした約束や利点を良いものであると判断し、サタンの話す内容が神が述べる話よりも役立ち、重要であると感じる。このような状態になった時、人間は服従する囚人となるのではないか。(その通りである。)それでは、サタンが用いる手口は極悪非道ではないのだろうか。あなたは深みにはめられ、沈んでゆく。何をすることもなく、サタンのふた言で、あなたはその手口にはまり、サタンに従わされてしまう。こうしてサタンの目的が達成される。そうではないだろうか。(その通りである。)こうした意図は邪悪ではなかろうか。これがサタンの元来の姿ではないか。(その通りである。)サタンの話から、人間はその邪悪な動機と醜悪な姿、その本質を知った。そうではないだろうか。(その通りである。)これらの話を比較すると、あなたは詳しく分析することなく、ヤーウェの話は退屈で平凡なありふれたものであり、とりたてて神の誠実さを讃美するに値しないと感じるかもしれない。しかしながら、サタンの話と醜悪な姿を引き立て役として起用した場合、この神の言葉は現在の人間にとって遙かに大きな重要性があるのではなかろうか。(その通りである。)この引き立て役によって、人間は神の純粋無垢さを感じることができる。そう言って間違いないであろうか。(その通りである。)サタンが述べる言葉のひとつひとつと、その動機、意図、そして話し方は、すべて汚れている。サタンの話し方の主な特徴は、何であろうか。サタンは曖昧な言葉で、人間に気付かれることなく、また目的が何かを判断させることなく、人間を惑わす。サタンは人間を餌に食いつかせ、それを称賛させ、その利点を述べさせる。そうであろうか。(その通りである。)これはサタンの常套手段ではないか。(その通りである。)次に、サタンの醜悪な姿を知ることができるその他の話や表現を見てみよう。引き続き、聖句をいくつか読むことにする。

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