また、そうした適切な気温の環境において人間が生活できるのは、その全ての側面についての神の周到な計画、検討、采配のおかげである。したがって、太陽など人間が見るあらゆる物、南極や北極など人間が頻繁に話を聞く物、地上や地中、海中の様々な生き物、森その他の植生の面積、水源、様々な形態の水域、そうした水域の淡水や海水の量、さらに様々な地理的環境を用いて、神は人間の生存のための常温を維持している。これは絶対である。また、そうした適切な気温の環境において人間が生活できるのは、神の周到な検討のおかげである。そうした環境は寒すぎることも暑すぎることも無い。人体が順応出来る気温を超えるほど暑い場所は、間違い無く神が人間のために用意した場所では無い。気温が低すぎて寒すぎる場所、すなわち人間が到着して数分で凍えてしまい、話が出来ず、脳が凍り、思考不可能となり、息が詰まるような場所も、神が人間のために用意した場所ではない。人間がどのような調査を行うことを望んだとしても、現状を革新したい、あるいはこうした制約を打破したいと考えたとしても、人間がどう考えるかを問わず、人体が順応可能な限界を超えることは決して出来ない。人間は、こうした神が人間のために設けた限界を解消することは決して出来ない。神は人間を創ったので、神は人体が順応可能な温度について最も深く理解している。人間はその温度について知っているであろうか。(知らない。)知らないと言えるのは、何故であろうか。人間はどのような愚行を行って来たであろうか。北極や南極に常に挑んでいる人々は、これまで多数居なかったであろうか。そうした人々は北極や南極へ向かい、その地を占有して定住して開発することを常に望んでいる。これは自滅的行為ではないだろうか。(自滅的行為である。)仮にあなたが南極と北極を完全に調査したとしよう。しかし、あなたがそうした気温に順応できたとしても、南極や北極の生活環境や生存環境を変えることが、人類に何らかの利益をもたらすであろうか。南極や北極の氷が全て溶けたとしたら、あなたは満足であろうか。それは信じがたいことである。それは愚かな行為である。人間には、生存できる環境があるが、素直にそこで静かに誠実に留まっていることが出来ず、生存不可能な場所へ行かずには居られない。それは何故であろうか。人間は適切な気温の中で生活することに飽きている。人間が享受した祝福が多すぎるのである。また、この通常の生活環境は、人類によってかなり破壊されて来たので、南極や北極へ行って更なる破壊を行ったり、ある種の「先駆者」となることができるよう、何らかの「活動」を行ったりする。それは愚かではなかろうか。そうした人間の祖先であるサタンの指揮下において、そうした人間は次から次へと愚かな行動を続け、神が人間のために造った美しい住処を、見境無くみだりに破壊してゆく。それはサタンの業である。さらに、地球上における人類の生存が多少危うくなったのを見て、月へ行ってそこに住む方法を模索し、月に住めるのであれば地球から脱出しようとする者も大勢居る。だが結局月に欠如しているものは何であろうか。(酸素である。)酸素無しで人間は生存できるであろうか。(生存できない。) 月には酸素が無いので、人間が居留できる場所ではないが、人間は相変わらず月へ行きたがる。これは何であろうか。(自滅行為であり、悩み事を招く行為である。)それは自滅行為であろう。月は空気の無い場所であり、気温も人間の生存に不適であるので、月は神が人間のために用意した場所では無い。
つい先ほど話をした気温の問題は、人間が日常生活で接することの出来る問題で、「本日は素晴らしい空模様で、気温は23度である。好天快晴で空気は爽快だ。新鮮な空気を吸い込もう。太陽が光り輝いている。日の光が降り注ぐ中で、身体を伸ばそう。良い気分だ。」あるいは「本日は非常に寒い。手を出すと、すぐ冷たくなるだろう。寒いから屋外に長時間居てはならない。身体が冷えないうちに帰宅しよう。」というような会話を交わす。気温は全ての人間が体感できるものであるが、この気温がどのようにして現れたか、あるいは人間の生活に適した気温を制御しているのは誰かについては、誰も考えない。本日明らかにしようとしているのは、この問題である。気温には、神の知恵が含まれているであろうか。気温には、神の業が含まれているであろうか。(含まれている。)人間の生活に適した気温の環境は、神が造ったことを考えると、気温は神が万物に恵みを与えるひとつの方法だろうか。実際、それはひとつの方法である。このことにより、神が万物に恵みを与え、管理していることは、真に現実的なものであることが分かるのだ。

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