神の聖さ(2)
(おり返し):「愛」とは、心で愛し、感じ、思いやる、汚れ無き純真な感情。愛には条件を付けることも、障壁も、距離も無い。愛には疑いも、偽りも、見返りを求めることも、ずるがしこさも無い。愛においてはすべてが宿命で、汚れが無い。
1.そのような愛があるならば、騙したり、不平を言ったり、裏切ったり、逆らったり、金銭や物を求めたり受け取ったりしてはならない。愛しているならば、喜んで自らを捧げる。
2.そのような愛があるならば、喜んで困難を乗り越え、神に協力する。自分の家族、将来、若さ、結婚など、自分の全てを神に捧げる。それができないのであれば、あなたの愛は、愛ではなく、騙しと裏切りである。
あなたがたが選んだ歌は、良い歌である。あなたがたはこの歌を歌うのが好きだろうか。(好きだ。)この歌を歌った後、あなたがたは何を感じるだろうか。あなたがた自身の中に、このような愛を感じることが出来るであろうか。(まだ感じることが出来ない。)この歌の歌詞のなかで、最も深い感銘を受ける言葉はどれであろうか。(「愛には条件を付けることも、障壁も、距離も無い。愛には、疑いも、偽りも、見返りを求めることも、ずるがしこさも無い。愛においては、すべてが宿命で、汚れが無い。」という部分である。しかし、自分自身には未だに不純な部分や、神に見返りを求めようとする部分など、至らない部分があるので、今の時点で自分自身について考えた場合、自分は汚れのない純真な愛に至っていないと考えている。)汚れのない純真な愛に至っていないとすると、あなたの愛はどのような愛だろうか。あなたの中には、どの程度の愛があるだろうか。(私は進んで求め、熱望している段階にあるにすぎない。)自分自身の背丈と、自分自身の経験から得た言葉を用いると、あなたはどの段階に達しているだろうか。あなたには偽りや不平不満があるだろうか。(ある。)あなたの心の中には、神に対する要求や神から欲するものがあるだろうか。(そうした汚れたものがある。)そうしたものは、どのような状況で現れるであろうか。(神が私のために定められた状況が、私が考える然るべき状況と合致しない場合や、私の望みが叶わなかった場合に、そうした腐敗した性質が現れる。)あなたがたはこの歌を頻繁に歌うだろうか。あなたがたは「汚れ無き純真な愛」をどのように解釈しているか、また神が愛をこのように定義されている理由を、説明できるだろうか。(私自身この歌が大好きだ。この愛が完全な愛ということが良く分かるからだ。しかし、私はその基準から程遠いと感じる。現在、私は特定の物事なら進んで犠牲にし、真理を求めるためにある程度の代償を払うものの、何かが私の将来や運命に影響を与えると、心の中で葛藤を覚える。胸中に神に対する確信が少ししかないことが分かる。)(現時点では真実の愛から程遠いところにいると感じるが、真実の愛に向かって進歩した点もいくつかある。そのひとつとして、神の御言葉から与えられた強さによる進歩がある。もうひとつは、自分のいる状況下で祈りにより神と協力することによる進歩がある。しかし、存在に関する私の見方が関連する場合、私はそれを乗り越えられないと感じることがある。)それを乗り越えられない場合、あなたを阻むものごとについて考えたことはあるだろうか。あなたは、その問題について自分を省みたことがあるだろうか。(はい、自分を省みてはいるが、それは専ら自尊心と虚栄心、そして将来や運命に対する期待であり、それらが大きな障害となっている。)将来や運命に対する期待が障害となる場合、そうした物事がそれほどまで大きな障害となる理由について、あなたは考えたことがあるだろうか。そうした将来や運命は、どのようにして障害となるであろうか。あなたは、自分の将来や運命に対して、何を望むであろうか。(その問題については、すべて明確に理解していないが、時々自分の将来や運命が無いと感じたり、神により明示された物事において、終着点が見出せないと感じたりすることすらある。こうした場合、私は自分が弱いと感じるが、それが自分にとって大きな障害となっていると感じる。しかし、一定期間の経験と祈りにより、状況が転換点を迎えることもあるが、この問題により動揺させられることが往々にしてある。)あなたは、「将来や運命」と言った場合、それは正確に何を指すものであろうか。(それは、神が私のために、ある状況を定められた場合に、自分が神の必要条件に遠く及ばないと感じる、ということである。神が私を明示されるかどうかと疑うことがあり、また私には宿命も終着点も無いと感じ、自分が弱いと感じる。)あなたがたは、「将来や運命」と言った場合、それは正確に何を指すものであろうか。何かあなたが指摘できる物事はあるだろうか。それらは、イメージや、あなたが思い描く物事であろうか、それとも実際に見ることが出来るものであろうか。それは実在するものであろうか。(それは終着点である。)終着点とは、何であろうか。あなたの将来とは、何であろうか。あなたがたの胸中にある、将来や宿命に関する懸念とは何かを、あなたがた各人の心の中で、考えねばならない。(それは救われ、生き長らえることであり、また徐々に神のために役立てる存在となり、自分の役割を基準に達する程度に果たす望みである。こうした事柄が神により明示されることが多いが、自分が至らないと感じる。)他の人も発言して欲しい。あなたがたは「汚れ無き純真な愛」をどのように解釈しているだろうか。(ある者に由来する不純な部分が一切無く、かつその者の将来や運命により支配されていない愛である。神がその者をどのように扱われるかを問わず、その者は神の御業と采配に完全に服従し、最後まで神に付き従うことができる。神に対するこうした愛のみが汚れ無き純真な愛である。神を信じた数年間、表面的には何らかの物事を犠牲にし、代償を費やしてきたが、本当に自分の心を神に捧げることが出来ないままであったということは、そうした愛と自分自身を比較してはじめて分かる。神が私を明示される時、私は救われ得ない者の性格を備えているかのように感じ、そうした消極的な状況の中に留まる。自分自身が本分を尽くしているのは分かるが、それと同時に神に対して見返りを求めようとしたり、神を心から愛すことが出来なかったりし、また心の中には常に自分の終着点や将来、運命がある。人間の交わりのなかで、人間は自らの本分を尽くして神の愛に応え、空虚な言葉だけでは無く愛を心から表現する必要があると言われたのを覚えている。それと比べると、自分はそうした愛から程遠い所にいると感じる。)
あなたがたは頻繁にこの歌を歌い、この歌に関するある程度の理解があり、この歌はあなたがた自身の経験と何らかの繋がりがあるようである。しかし、「汚れ無き純真な愛」という歌の各フレーズに、ほぼ全員が個々に異なる段階の受け止め方をしている。率先的な者もいれば、自分の将来をなげうつことを求めている者や、家族をなげうつことを求めている者、見返りを一切求めない者もいる。その一方で、自分自身に対して偽りや不平不満を持たないこと、神に対して反抗しないことを求めている者もいる。神がこのような愛を提案し、このように人間が神を愛することを求める必要があるのは何故であろうか。この種の愛は、人間が達成し得る愛であろうか。つまり、人間はこうした形で愛することができるであろうか。それが不可能であると思う人々もいるが、それは、そうした人々にはこの種の愛が一切無いからであり、したがってそうした人々がそうした愛を持っていないので根本的に愛を知らないので、神はそうした人々が全く馴染みの無い、このような言葉を述べられている。人間はこの世界で生活し、自らの腐敗した性質の中で生活しているので、仮にこの種の愛を持っているかあるいは獲得でき、何も要求したり命令したりすることなく、自らを進んで捧げ、進んで試練を受け、自らの持つ全ての物事をなげうつことができる人間がいるとしたら、そうしたこの種の愛を持つ人間は、他の人間からどのように思われるであろうか。そうした人間は、全き人ではないだろうか。(そうである。)この世界に、そうした全き人が存在するだろうか。そうした人間は存在しないのではないか。この種の人間は、その人間が真空の中で生活していない限り、絶対にこの世界に存在しないであろう。そうではないか。したがって、一部の人々は、自らの経験により、こうした言葉により述べられている状態に達するまでに、大いに努力する。こうした人々は自分自身と向き合い、自制し、継続的に自我を捨てさえする。こうした人々は苦難に耐え、それまでの誤った考え方を捨てる。またこうした人々は神に対して反抗していた部分を捨て、自らの願望や欲望を捨てる。しかし、結局それらの必要条件に達し得ない。それは何故だろうか。神は、この言葉を述べることにより、人間が従うべき基準を与え、神が人間に対して求めている基準を人間が知ることができるようにしている。しかし、人間がこの基準を即座に満たす必要がある、と神は述べているであろうか。人間がこの基準に到達するまでの所要時間について、神は述べているであろうか。(述べていない。)神は、このようにして神を愛する必要があると述べているであろうか。この聖句では、そうしたことが述べられているであろうか、というと、述べられていない。神は、単に神が言っている「愛」について人間に伝えている。人間がこのようにして神を愛し、扱うことが出来るようになることに関する神の必要条件は、どのようなものであろうか。即座にそのような人間になる必要は無い。なぜなら、それは人間にとって不可能だからである。あなたがたは、このようにして神を愛するために人間が満たさなければならない条件がどのようなものかについて、考えたことがあるだろうか。人間が頻繁にこの言葉を読んだとしたら、人間は次第にこの愛を身に付けられるであろうか。(身に付けられない。)それでは、どのような条件があるであろうか。まず、人間は、どのようにすれば神に関する疑念が無い状態となることができるであろうか。(それが可能なのは正直な人間のみである。)騙すことを無くすことについては、どうであろうか。(それについても人間は正直である必要がある。)神から見返りを求めない人間になることについては、どうであろうか。これについても人間は正直である必要がある。ずるがしこさを無くすことについては、どうであろうか。愛においては、すべてが宿命である、というのは、何を指すものであろうか。これらは皆、正直な人間になることについて述べているであろうか。これらの言葉には、この種の愛を育む神の力や、この種の愛を定義する神の力など、多くの詳細がある。このように述べることにより確認されることは何であろうか。神にはこの種の愛があると言えるであろうか。(そう言える。)そのことは、何によって確認できるであろうか。(神の人間に対する愛で確認できる。)神の人間に対する愛には、条件があるであろうか。(無い。)神と人間の間には障壁や距離があるであろうか。(無い。)神は人間を疑っているであろうか。(疑われていない。)神は人間を見守り、理解している、そうではないか。(その通りである。)神は真に人間を理解している。神は人間を騙そうとするであろうか。(そのようなことは無い。)神はこの愛について極めて完璧に述べているが、神の心や本質は極めて完璧であろうか。人間はかつて愛をこのように定義したことがあったであろうか。(無い。)人間は、どのような状況において愛を定義してきたであろうか。人間は愛についてどのように語るであろうか。それは、与えること、捧げることではないか。(その通りである。)人間の愛は単純であり、本質が欠如している。

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