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2020年7月4日土曜日

東方閃電 全能神教会 キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(4)天国は地上にあるのでしょうか、それとも天にあるのでしょうか

キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(4)天国は地上にあるのでしょうか、それとも天にあるのでしょうか 主を信じる者の多くは、天国は天にあると信じています。本当にそうなのでしょうか?主のお祈りの中で、「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイによる福音書6:9~10)ヨハネの黙示録には、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。」(ヨハネの黙示録11:15)「また、聖なる都、新しいエルサレムが…神のもとを出て、天から下って来るのを見た。…神の幕屋が人と共にあり」(ヨハネの黙示録 21:2~3)とあります。天国は地上ですか、それとも天にあるのですか?

2020年6月22日月曜日

東方閃電 全能神教会 キリスト教映画「待つ」主イエスはすでに「雲に乗って」戻って来た 日本語吹き替え

キリスト教映画「待つ」主イエスはすでに「雲に乗って」戻って来た 日本語吹き替え ヤン・ホウエンは、中国にある「家の教会」の牧師です。彼と彼の父、ヤン・ショウダオは、主イエスが雲に乗って来られ、彼らを天国に引き上げて下さることを待ちわびていました。そのため、彼らは主に仕え、主の御名に忠実であり続け、雲に乗って来られる主イエス以外の者は誰であっても偽キリストであると信じていました。そのため、主の再臨の知らせを受けた時、彼らはそれに耳を掛けようも、受入れようとせず、それだけは「目を覚まして待つ」だと考えた。 彼らが受動的に待っている間に、ヤン・ホウエンのいとこであるリ・ジャインは全能神の終わりの日の働きを受入れ、彼らに福音を伝えました。いくつもの激しい議論の末、ヤン・ホウエンはようやく「目を覚まして待ちなさい」の本当の意味を理解し、全能神の言葉が真理であり、道であり、いのちであること、これらが主の御声であること、全能神こそが、彼らは長年待ち望んでいた主イエスの再臨だということがわかったのでした。

2020年6月19日金曜日

東方閃電 全能神教会 キリスト教映画「玉座から命の川の水が流れ出る」抜粋シーン(2)なぜ宗教界は荒廃してさびれているのか

現在宗教界全体が厳しい飢饉に遭い、聖霊の働きと主の臨在を失い、不法な出来事が増え、信徒の信仰と愛が弱まっています。さらに各地で起こる災難はますます大きくなり、主が終わりの日に再来する預言はすでに成就しました。どうすれば教会の荒廃してさびれていることを根本的に解決し、心から神を信じ、神を現れを渇望している人を再び神の前に連れ戻し、救済の道を歩ませられるのだろうか?この短編映画が、あなたと共に教会が荒廃してさびれている問題を解決いたします。 [東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年6月17日水曜日

東方閃電 全能神教会 朗読 主イエス・キリストの再臨の御言葉 「神の働き、神の性質、そして神自身 3」 その7


[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年6月15日月曜日

東方閃電 全能神教会 聖書の黙示録の奥義「七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」聖霊の御言葉



朗読 聖書の黙示録の奥義「七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」聖霊の御言葉 全能神は言われた「東方の光が徐々に白く変わるとはじめて、全地の暗闇は光に変わり始める。そしてその時になってはじめて、人はわたしがずっと前にイスラエルを去っていて、東方で新たに現れるのだと知るだろう。わたしは以前イスラエルへ下り、その後そこから立ち去った。そのため、わたしは再びイスラエルに生まれることはできない。なぜならわたしの働きは宇宙のすべてを導き、さらに、稲妻が東から西へひらめき渡るからである。だからわたしは東方へ下り、カナンの地を東方の人々にもたらしたのである。わたしは地上のすべての人々をカナンの地へ連れて行きたいと願う。それ故わたしは全宇宙を支配するため、カナンの地で声を発し続ける。この時、カナンの地以外はどこにも光はなく、すべての人々は飢えと寒さにさらされている。わたしはわたしの栄光をイスラエルに与え、その後その栄光を移す、そしてイスラエルの人々を東方へ連れて行き、すべての人々を東方へ連れて行った。わたしは彼らをみな「光」へと導いた、彼らが光と再会し、光と交わり、それ以上探す必要がないように。」 『言葉は肉において現れる』より

2020年6月8日月曜日

東方閃電 全能神教会 キリスト教の歌「神の足跡を探すなら」

「神の足跡を探すなら」ワーシップソング 歌詞付き
神の足跡を探すなら
探さねばならない
神の御心、神の御言葉、神の御声
神の新しい御言葉の中
神の御声がある
神の足跡があるところには
神の御業がある
神の印があるところ
そこには神が現れる
神の現れるところには
真理、道、命がある

神の足跡を探す時
神の真理、生きる道、命さえも見失ったら
見つけることはできない
神の足跡
そして神の現れに気づくことはできない
なんとそれは大きな過ちだろう
神は人の思いを遥かに超えて
人の思うようには現れない
神には自身の選択がある
神が働くときに
神には自身の目的がある
神の御業がある
神は誰にも話さない
神は誰にも伝えない
それが神の性質
人は気づかなければ

神の現れを望むなら
そして神の足跡を探すなら
自分を超えて求めてはならない
自分の望みを神を自分の心に閉じ込めないで
自分の世界に閉じ込めないで
神の足跡を探し求め
神の現れを受け止めて
神の新しい御業に従い
それがあるべき道
人はみな誰も真理ではなく
真理を持たず
人は真理ではなく
真理を持たず
だから探し求め、受け入れながら
探し求めて受け入れて
真理に身を委ねる
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より
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2020年6月7日日曜日

東方閃電 全能神教会 素敵なワーシップソング「神の新しい業を受け入れる者は祝福される」歌詞付き

素敵なワーシップソング「神の新しい業を受け入れる者は祝福される」歌詞付き 聖霊の今の言葉に従えば 誰もが祝福される 聖霊がどう働きかけたかや 過去がどうであろうと この日に御業を受け入れる者は 誰より祝福される この日に御業を受け入れずいれば ふるい落とされる 今 新しい光を受け入れよう 今 神の御業を受け入れよう 神は待っておられる 御業を受け入れる者を 純潔な乙女になるべき訳は 御業を求められるから 乙女こそ古い観念を新たに 御業に今日も従う 今 新しい御業に従う者は 今 神の御業に従う者は 神に定められた者 最も祝福を受ける者 今 神の御声をあなたは聞き 今 神の御姿をあなたは見る 全ての時や世代天地で これ程祝福された者はいないだろう 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より [東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年5月19日火曜日

東方閃電 全能神教会 神の現れによる新時代の到来

六千年間にわたる神の経営(救いの)計画が終わりを告げようとしている。そして、神の国の門は神の現れを求めるすべての人にすでに開かれている。兄弟姉妹たちよ、何を待っているのか。あなたがたが探し求めているものは何か。神の現れを待っているのか。神の足跡を探し求めているのか。神の現れがどれほど慕わしいものか。だが、神の足跡を見出すことはいかに難しいことか。今のような時代に、このような世界で、神の現れる日をこの目で見るために何をするべきであろうか。神の足跡をたどるには何をするべきであろうか。神の現れを待つすべての人が、このような疑問を抱いている。あなたがたもこのような疑問を何度か抱いたが、その結果はどうであったのか。神はどこに現れるのか。神の足跡はどこにあるのか。答えは見つかったのか。多くの人は、「神は自分に従う人々に現れ、神の足跡は私たちのただ中にある。単純なことだ」と答える。決まり切った答えであればだれにでも言える。だがあなたがたは、神の現れとは何かを、神の足跡とは何かを本当に理解しているのか。神の現れとは、神がその働きを行うためにみずから地上に来ることである。神としての身分と性質をもち、また神に固有の方法で、一つの時代を始め、別の時代を終わらせる仕事を行うために、神は人類のもとに下ってくる。このような神の現れは儀式の一形式ではない。それはしるしでも、図画でも、奇跡でも、大いなる幻でもない。ましてや宗教的な過程でもない。それは、実際に手で触れ、目で見ることのできる現実的で実際的な事実である。このような現れはただ表面的な動作をするためでも、短期間の作業のためのものでもない。それは、神の経営(救いの)計画の中にある一つの働きの段階のためである。神の現れは必ず何かの意味があり、必ず神の経営(救いの)計画と関係している。ここで言う「現れ」は、神が人を案内し、導き、啓く「現れ」とは全く異なる。神は自身を現す度に、神の大いなる働きの一段階を実行する。この働きは他のどの時代の働きとも異なる。それは人には想像もできないもので、人が経験したことがないものである。その働きは、新しい時代を到来させ、古い時代を完結させるもので、人類を救う働きの新しく向上したかたちである。さらには、人類を新しい時代に導き入れる働きである。これが神の現れの意義である。
ひとたび神の現れが何であるかがわかれば、神の足跡をどのように探し求めるべきであろうか。この問いに答えるのは難しくはない。神の現れるところはどこであれ、そこに神の足跡も見つかる。このような説明は単純に聞こえるが、実際にはそれほど単純ではない。多くの人は、神がどこに現れるか、ましてや神がどこに現れるつもりか、あるいは現れるべきかを知らないからである。聖霊の働きがあるところには神が現れると、感情にかられて考える人がいる。または、霊的な指導者がいるところに神が現れると思っている。あるいは、名声が高い人のいるところであれば、どこであれ神が現れると思っている。そうした考えが正しいかどうかは、今のところは深く考えないでおこう。このような問題を解説するには、まず目的をはっきりさせる必要がある。私たちが探し求めているのは神の足跡である。霊的な指導者を求めているのでもなく、ましてや有名人でもない。私たちがたどっているのは神の足跡である。このため、神の足跡を探し求めている私たちは、神の心意、神の言葉、神の発する声を探り求めなければならない。神が語る新しい言葉があるところには神の声があり、神の足跡があるところには神の業があるからである。神による表現があるところに神が現れ、神が現れるところには真理、道、いのちがある。神の足跡を探し求める中で、あなたがたは「神は真理であり、道であり、いのちである」という言葉を無視していた。そのため、真理を受け取っても神の足跡を見出したとは思わない人が多いのである。ましてや、神の現れを認めることなどない。なんと大きな過ちであることか。神の現れは人の観念と一致することはない。ましてや神は人の言うままに現れない。神は自らの判断で、自らの計画に従って働く。さらに、神にはその目的と方法がある。神がどのような働きをしようと、人と話し合ったり人の助言を求める必要はない。ましてや神が人間一人一人にその働きを知らせる必要などなおさらない。これが神の性質であり、さらにそれはすべての人が認識すべきことである。もし神の現れをその目で見、神の足跡をたどりたいと願うなら、自分自身の観念を捨て去らなければならない。神にこれをせよあれをせよと命じてはならない。ましてや神を自分の枠の中に閉じ込めたり、自分の観念の中に押し込めたりすべきでない。そうではなく、どのように神の足跡をたどるべきか、どのように神の現れを受け止めるべきか、どのように神の新しい働きに従うべきかと問うべきなのである。これが人のすべきことである。人は真理ではなく、真理を自分のものにしていないので、人は探し求め、受け入れ、従うべきである。
アメリカ人であれ、イギリス人であれ、国籍がどこであれ、自分の国籍の枠を乗り越え、自分自身を超越し、神の被造物として神の働きを見なくてはならない。そうすれば、神の足跡を枠にはめることはない。それは、現在は特定の国や民族に神が現れることは不可能だと多くの人が考えているからである。神の働きはなんと意義深く、神の現れはなんと重要なことか。どうして人の観念や考えで測ることができようか。そのため、神の現れを探し求めるためには、国籍や民族性という観念を突き抜けるべきである、とわたしは言うのである。そうして初めて、自分自身の観念に制約されることなく、神の現れを迎えるにふさわしくなる。そうでなければ、暗闇の中にいつまでもとどまり、神から認められることもない。
神は全人類の神である。神は自らを一つの国や民族の所有物とみなさない。神が自ら計画したとおりに働きを行い、形式や国、民族といった制限を受けることはない。これまであなたはこのような形式を想像したこともなかったかもしれないし、そのような形式を否定するかもしれない。神が現れる国や民族はたまたま誰からも差別されている地上で一番遅れている国や民族かもしれない。しかし、神には神の知恵がある。神はその偉大な力とその真理と性質により、神と心を一つとする人々の一群を本当に得ている。それは神が完成させたいと願う人々の一群で、神に征服され、あらゆる試練と困難、あらゆる迫害に耐え、最後の最後まで神に従うことのできる一群である。神が形式や国の制約を受けずに現れる目的は、その計画どおりに働きを完成させることである。それはちょうど神がユダヤの地で肉となったときと同じである。神の目的は全人類をあがなうことで十字架の働きを完成させることであった。しかし、ユダヤ人は神がそれを行うのは不可能だと考えた。神が肉となって、主イエスの姿をとるのは不可能だと考えたのである。この「不可能」が、ユダヤ人が神を罪に定め、神に敵対する根拠となった。そして、最終的にはイスラエルの破滅へとつながった。今日、多くの人が同じような間違いを犯している。神は今すぐにでも現れると強く主張しながら、同時に神の現れを断罪している。その「不可能」が再び、神の現れを自分たちの想像できる範囲に押し込めているのである。神の言葉に出会うと、多くの人が騒々しく大笑いするのをわたしは見てきた。しかし、その笑いはユダヤ人による神への断罪と冒涜とどこか違うであろうか。あなたがたは真理を目の前にしても敬虔さがなく、ましてや真理を慕い求める態度もない。ただ手あたり次第に研究し、気楽に待っているだけである。そのように研究し、待っていることで得られるものは何なのか。神から直に導きを受け取ることができると思っているのか。神の発言を聞き分けることができないなら、どうして神の現れをその目で見る資格があるというのか。神が現れるところでは、真理が表され神の声がある。真理を受け入れることができる人だけが神の声を聞くことができる。そしてそういう人だけが神の現れを見ることができる。観念を捨てなさい。落ち着いて、これらの言葉を注意深く読みなさい。真理を慕い求めるなら、神はあなたを照らし、あなたは神の心意と言葉を理解できるようになる。「不可能」だと思うことについての意見を捨て去りなさい。人が何かを不可能だと思えば思うほど、それは実現しやすくなる。神の知恵は天より高く、神の思いは人の思いより高く、神の働きは人の考えや観念をはるかに超越するからである。何かが不可能であればあるほど、そこには探し求めることのできる真理がある。人の観念と想像を超えるものであればあるほど、そこには神の心意がある。神がどこに現れようとも、神はやはり神であり、神の本質が現れる場所や方法で変わることはないからである。神の性質は、神の足跡がある場所によらず、いつも同じである。神の足跡がどこにあろうとも、神は全人類の神である。それはちょうど主イエスはイスラエル人の神というだけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカの人々の神でもあり、さらに、全宇宙で唯一無二の神であるのと同じである。だから、神の言葉に神の心意を探し求め、神の現れを発見し、神の足跡に従おう。神は真理であり、道であり、いのちである。神の言葉とその現れは同時に存在する。また、神の性質と足跡はいつでも人類に対して開いている。兄弟姉妹たちよ。あなたがたがこれらの言葉に神の現れを見てとり、新しい時代に向かって進みながら、神の足跡をたどり始め、神の現れを待ち望む人のために用意された美しく新しい天地に入れることを望む。

2020年5月5日火曜日

東方閃電 全能神教会 日々の神の御言葉「七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」(抜粋 1)


日々の神の御言葉「七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」(抜粋 1)  わたしは異邦人国家にわたしの働きを広めている。全宇宙にわたしの栄光は閃く。わたしの心はあちこちに散らばる人々の中に現れ、みなわたしの手によって誘導され、わたしが与えた作業をしている。この時点からわたしは新しい時代へと入り、全ての人々を別の世界へ連れて行く。わたしが自分の「故郷」へ戻ったとき、わたしの最初の計画にある働きの別の部分に着手した。その働きにより、人々がわたしをより深く知るようになるためだ。わたしは宇宙全体を眺め、わたしの働きにとっていちばん良い時だと知る。そしてわたしは、人々の中で新しい働きをするため、あちこちを巡る。いずれにしろこれは新たな時代であり、わたしは、もっと多くの新しい人々を新たな時代へ引き入れ、淘汰すべき者達をさらにより多く投げ捨てるために新しい働きをもたらした。大きな赤い竜の国家にあって、わたしは、人々には測り難い段階の働きを実行し、彼らを風の中で揺れさせる。その後、多くの者が吹く風によって静かに漂い去る。まさにこれが、わたしが一掃しようとしている「脱穀場」だ。それがわたしの願いであり、それはわたしの計画でもある。というのは、わたしが働いている間に多くの「悪い者」が静かに忍び込んだからだ。しかしわたしは急いで彼らを追い払いはしない。むしろ、適切な時が来たら、彼らを追い散らす。そうしてはじめて、わたしはいのちの泉となり、真にわたしを愛する人々がいちじくの実やゆりの香りをわたしから受け取れるようにする。サタンがとどまる地、塵の地には、砂があるのみで純金は残っていない。だから、このような状況を見て、わたしはこのような段階の働きを実行する。わたしが獲得するものは砂ではなく、精錬された純金であることを、あなたがたは知らなければならない。悪い者がどうしてわたしの家に残っていられるだろう。狐がわたしの楽園の寄生動物になるなど、わたしが許すだろうか。わたしは考えつくすべての方法でこれらのものを追い払う。わたしの心が表されるまで、わたしが何をしようとしているかを知る者は一人もいない。この機会をとらえて、わたしはこの悪い者たちを追い払うので、彼らはわたしから去るしかない。わたしは悪い者たちに対してこのようにするが、彼らがわたしのために仕える日はまだあるだろう。人々の神の恵みへの欲望はあまりに強すぎる。だからわたしはからだの向きを変え、わたしの栄光に満ちた顔を異邦人の諸国に見せ、人々がみな自分の世界に住み、自らを裁くようにする。そうする間に、わたしはわたしが言うべき言葉を言い続け、人々が必要とするものを与え続ける。人々が我に返るころには、わたしはわたしの働きをずいぶん広めていたことになるだろう。それからわたしは、人々にわたしの心を表し、わたしの人間に対する働きの二番目の部分に着手する。そして、わたしの働きに協力するために人々がわたしにしっかりと付き従うようにし、わたしのすべき働きを共に行うために、人々が能力の限りを尽くすようにする。 『言葉は肉において現れる』より引用
その他の内容

2020年4月27日月曜日

東方閃電 全能神教会 朗読 聖霊が諸教会に語られた御言葉「救い主はすでに『白い雲』に乗って戻って来た」

  
全能神は言われます「イエスが旅立って以来、彼に従った使徒たちや、彼の名前のおかげで救われたすべての聖徒はイエスを切望し待っている。恵みの時代にイエス・キリストの恵みによって救われた人々はすべて、終わりの日の喜びに満ちたある日、救い主イエスが白い雲に乗って到着し、人々のもとに現れる日をずっと待ち焦がれている。……しかし、救い主イエスはそうはしなかった。彼は人が心に抱いたこととは反対のことをした。イエスはその再来を切望していた人々のもとには到来せず、白い雲に乗ってすべての人の前に現れもしなかった。彼はすでに来ていたが、人は彼を知らず、その到来に気づかないままである。イエスがすでに白い雲(イエスの霊、言葉、全性質、そして彼のすべてである雲)に乗って降りてきて、終わりの日に彼が作る克服した者たちの一団のもとに今ではいることに人は気づかず、虚しく彼を待っているだけである。人はこのことを知らない。」