代表的な神の言葉
はじめ、神は安息の中にいた。その時、地上には人類も他の何物もなかったし、神は何も働きをしなかった。人類が存在するようになり、さらに人類が堕落してしまった後、神ははじめて経営(救い)の働きに取りかかった。その時から神はもう安息せず、人類の間で忙しく働き始めた。人類が堕落したため神は安息を失い、また天使長が裏切ったため神は安息を失った。もしサタンを打ち負かさず、堕落した人類を救わなければ、神は永遠に安息の中に入ることができない。人が安息を失ったので、神も安息を失った。神がもう一度安息の中に入る時、人も安息の中に入る。安息の中の生活とは、戦いも道徳的堕落も、持続する不義もない生活である。そのような生活には、神に敵対するいかなる勢力の侵入もないだけでなく、サタン(サタンとは敵対する諸力を指す)による妨害もサタンの堕落も存在しない。万物がおのおのその同類のものに従い、造物主を礼拝する。天上も地上も平穏になる。これが人類が安息に入った生活である。神が安息の中に入った時、地上にはもうどんな不義も持続せず、もういかなる敵対勢力の侵入もなくなる。人類も新しい領域の中に入る。すなわち、彼らはもはやサタンに堕落させられた人類ではなく、サタンに堕落させられた後救われた人類である。人類の安息の日々は、神にとっての安息の日々でもある。神は人類が安息の中に入ることができないため、安息を失ったのである。つまり、神は本来、安息に入ることができなかったのではない。
『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より
以下はそれに対する事実である、この世がまだ存在していなかったとき、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。大天使は、天国のすべての天使に対する権限を握っていた。それは神から大天使に与えられた権威だった。神を除いて、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。神が後に人間を創造したとき、大天使はこの世において神に向けて大きな裏切りを行った。大天使は、人間を支配し、神の権威を超越したかったため、神を裏切ったと言われるのである。エバを誘惑して罪に陥れたのは大天使だった。大天使が神を裏切ったのは、この世に自分の王国を建設し、人間に神を裏切らせて、代わりに自分に従わせたかったからである。大天使は自分に従う者がたくさん存在することを知った。天使たちは、地上の人々と同じく、大天使に従った。鳥と獣、木々、森、山、川、およびこの世のあらゆるものは、人であるアダムとエバの管理下にあり、アダムとエバは大天使に従った。大天使はそのようにして神の権威を超越し、神を裏切ろうと考えた。後に大天使は多くの天使たちに神を裏切らせ、それが汚れた霊となった。今日までの人間の発展は、大天使の堕落に影響されているではないか。人間が今日あるような状態なのは、大天使が神を裏切り、人間を堕落させたからである。…この世の人間と万物は今、サタンの支配下にあり、邪悪な者の支配下にある。神は自身の行為を万物に示し、そうすることで人々がみな神を知ることを望んでおり、それによりサタンを倒し、神の敵を徹底的に滅ぼしたいと考えている。神が自身の行為を示すことでこの働き全てが成し遂げられる。神の創造物のすべてはサタンの支配下にあり、そのため神はそれらに自身の全能性を啓示し、それによりサタンを倒すことを望んでいる。もしサタンがいなかったなら、神は自身の行為を示す必要はなかっただろう。もしサタンの妨害がなかったなら、神は人間を創造してエデンの園で生活するように導いていただろう。神は、サタンの裏切りの前に、天使や大天使のために自身の行為を決して啓示しなかったが、それはなぜだろうか。天使や大天使が神を知り、始まりにおいて神に従ってもいたなら、神はそれらのむなしい行為の働きを実行していなかっただろう。サタンと悪霊の存在のために、人々は神を拒絶し、反抗的な性質があふれんばかりに満ちているため、神は自身の行為を示すことを望む。神はサタンと戦うことを望むため、自らの権威を用い、自らのあらゆる働きを用いて、サタンを倒さなければならない。そうすることで、神が人間の中で遂行する救いの働きは、人々に神の英知と全能性を知らしめるものとなる。
『言葉は肉において現れる』の「あなたは人間全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである」より
一旦、征服の働きが完成すると、人は美しい世界に連れて行かれる。もちろん、この生活はまだ地上にあるが、今日の人の生活とは全く似ていない。それは全人類が征服された後の生活で、地上の人間にとって新しい始まりであり、人類にとってそのような生活を送ることは、彼らが新しく美しい領域に入ったという証拠である。それは地上における人と神の生活の始まりである。そのような美しい生活の前提として、人は清められ征服され、造り主の前に服従しなければならない。そして、征服の働きは人が素晴らしい終着点に入る前の、神の働きの最終段階である。そのような生活は地上における人の未来の生活であり、地上で最も美しい生活で、人が待ち焦がれている生活で、世界史上人が決して達成したことのない生活である。それは六千年の経営の働きの最終的結果で、人類が最もあこがれる、神が人に約束したものでもある。しかし、この約束は直ちには実現されない。終わりの日の働きが完成され、人が完全に征服され、つまり、サタンが完全に敗北して初めて、人は未来の終着点に入るのである。人は練られた後、罪のない性質になる。なぜなら、神はサタンを打ち負かしたので、敵対する勢力の侵略はなく、敵対する勢力による人の肉への攻撃がなくなるからである。そして、人は自由になり、聖くなり——永遠へと入ったことになる。暗闇の敵対する勢力が縛られて初めて、人はどこに行っても自由で、反抗的行為や敵対する者たちもいなくなる。人が無事でいるために、サタンは縛られるより他ない。今日、サタンは地上のどこにおいても問題を引き起こしており、神の経営の働きはまだ全て終わってはいないので人は無事ではない。一旦サタンが敗北すると、人が完全に解放される。人が神を得てサタンの領域から抜けると、義の太陽を見ることになる。…このようにして、一旦サタンから邪魔が入らなくなると、神は自身で人間を管理し、人に命令を与えてその全人生を管理する。これによって初めてサタンが敗北したと見なされる。今日、人の一生は大方汚れの一生で、やはり苦しみと苦悩の一生である。これをサタンの敗北と呼ぶことはできない。人はまだ苦悩の海から逃げ出しておらず、人生の困難あるいはサタンの影響から抜け出しておらず、依然としてほんの少しの神の認識しか持っていない。人のすべての困難はサタンによって作られ、人の人生に苦しみをもたらしたのはサタンであり、サタンが縛られて初めて、人は苦難の海から完全に逃れることができるのである。しかし、サタンを束縛することは、人の心の征服や獲得を通して、そして人をサタンとの闘いの獲物にすることによって達成される。…その時、人は神に照らされた生活、つまり神の配慮と守りの下にある生活、そして神と共に生きる生活を獲得する。人類は地上で普通の生活を送り、人類全体は正しい軌道に入ることになる。六千年の経営計画は完全にサタンを敗北させるだろう。つまり、神は創造に従って人の本来の似姿を回復させ、そうして、神の本来の目的が成就されるという意味である。
福音書|『言葉は肉において現れる』の「人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く」より
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